女性教師が吸血鬼の男子生徒に血を吸わせてあげたら虜になっちゃう話
甘栗八(アマクリエイト)
本編
西陽がレースカーテンを通して横から差し込み、進路指導室の床をまばらに黄色く染めている。
早川ユキは、ひとりの男子生徒と机に向かい合って座っていた。彼、羽島レンセイは、いわゆる「吸血鬼」だ。
あらゆる妖魔がたがいに血をさまざまに混ざり合わせて久しいこの時代、吸血鬼だからとて日の光で困るということもほぼないらしい。
白銀の長い睫毛にも午後の光の粒子が跳ねて、端正な容貌を黄金に彩っていた。すらりとした長身に透き通るような肌が美しい。とはいえ彼の血の気の引いた顔は、この暖色の薄明の中でも、目に見えて蒼く映った。
体育の時間をレンセイが休むのは、この学期に入って既に3回目だった。副担任として彼の体調を気にしていたユキ。自身の受け持つ古文の授業について質問に訪れたレンセイを捕まえて、話を聞きたいと放課後に連れ込んだのが、この小部屋なのだった。
・・・
「他人の生命力を、無遠慮に奪い取るのって、生命への冒涜に思えるんです」
彼はそう、呟くように、その葛藤を私に教えてくれた。しばらく血を吸わないで過ごしていることが、不調の原因だったのだ。
他者の血を糧に生きる吸血鬼。その餌食となった生物は、生命力を吸いとられることに喜びさえ覚えてしまうようになるともいう。彼の繊細な感性がそれを、生物の尊厳を踏みにじっているようにとらえてしまったのかも知れない。
その思いやりには好感を覚えながらも、そのせいで明らかに体力を落としていることが、私には心配になった。日光を浴びても平気なように、血を吸わないでも生きられるのかもしれないけれど、その生活は彼の健康をひどく害しているのではないかしら。だとしたら、彼の優しさは私が支えてあげたい。他者を食べて生きる業を背負っているのはヒトだって同じ。自分が吸血鬼であることを肯定してほしい。私は心からそう思った。
「だったら、私なら、冒涜していいよ」
わざとすこし冗談めかして彼の言葉をなぞる。赤い目がすこし戸惑って私を見た。
「相手の同意があれば無遠慮じゃないでしょう」
私は机に両肘をついて、彼の右手を握り込み、その目をまっすぐに見つめて伝えた。
「私は真剣なの。私の血を吸ってほしい。あなたがあなたとして生きることに正面から向き合って」
彼は私の目を見つめ返し、口を結んだまま少し押し黙って、長い睫毛をまたたかせて、もう少し黙って、それから優しく微笑んで、私の提案を受け入れて穏やかに答えた。
「じゃあ、いただきます」
首筋を噛まれることはさすがに私のほうが恥ずかしかったので、血を飲むのは指先からにしてほしいと伝えた。そして、さきほどから卓上で彼の右手を捉え込んだままでいた両手をほどいて、私は彼の方に右手を伸ばそうとした。それを、自由になった彼の手の揃えられた指先がふわりと抑える。なぜ?問いかける私の目を見返して彼は甘く囁いた。
「痛くはしませんけど、すこしの間、跡が残っちゃいますから。利き手は避けましょうね」
これまで恋人からもこのような細やかな気遣いは受けたことがない。そう思うとなんだか胸が少しドキリとときめいてしまう。
とっさに目を逸らした私の左手を、今度は彼が両手で絡めとった。そのまま薄く開いた口唇に運ぶ。横目で伺う私。頬が火照っているのが自分でもわかる。血を吸われるのならこの動悸も見抜かれてしまうのかも。そんなふうに内心すこし焦る私に気づいてか気づかないでか。
彼は目を閉じて、薬指の先端に、慈しむように、この上なくそっと、くちづけた。
「あ、、、」
瞬間、指先から全身に電流が駆け抜けた。一気に体中から力が抜ける。とろけるような甘く切ない疼きが内側から溢れた。心臓は爆発したように高鳴りだし、彼のその口元から目が離せない。
この感覚は、生物として絶対に味わってはいけない食べられる側としての昂奮、いますぐに逃げ出さなければいけない。体の中を急激に荒れ狂い始めた淫らな欲望の奔流の中で、わずかにつなぎとめた理性が全力で鳴らしている警鐘が、遠雷のように聞こえた。
そしてそれとは別に。
吸ってほしい。
私の血を吸ってほしい。
私の血を吸い尽くしてほしい。
これまでの私の、押し着せのような心配とはまったく異なる、根源的な願望が五体すべてに満ちてくる。本能が、一瞬で、彼に恋してしまおうとしていた。
「あ、、、あはあ、、、ああ、、、」
言葉にならない声が喉から漏れる。命乞いなのか、それとも何か別のものを懇願しているのか、自分でもまったくわからなかった。
ただ、心身をぐちゃぐちゃにかき乱す混乱とは裏腹に、いま目に入ってくる光景は、すべてがゆっくりと鮮明に感じられた。
開いた口から下の牙が白く覗く。(噛んで……!!)
その牙が薬指の頭に近づく。(噛んで……!!!!)
鋭く尖った先端が当たり。(いますぐ噛んで……!!!!)
指先の皮膚をつらぬいた。
「ああーーーーーーーっ」
全身の毛穴から何かが強烈に吹き出すような感覚に襲われ、私は、絶叫した。視界が真っ白になる。脳が、肉体が、あらゆるところから涙を流しながら幸せを訴えているような気がした。指先を噛まれただけだというのにそれは、ズブリと身体の奥の奥まで串刺しにつらぬき通されたような感覚だった。
咥えられた指の先から、血液の塊が脈動ごとにドピュリドピュリと打ち出されるような錯覚。熱い舌が傷口をネットリとねぶりまわす。すぼめた口唇が指先全体を包んで吸いたてる。膝から爪先から腰骨から首筋から脳天までグルグルと巡る甘過ぎる痺れが、下腹部に満ちた彼を切なく慕う気持ちを指先に届ける。
愛しさですべてが染まる。
自分のすべてを、このひとに、捧げ尽くしたい。
これまで晒されたことのない圧倒的な快感、吸血鬼に捕食されるという禁断の悦びに、私は目の焦点も定まらず涎を垂れ流し呆けたような声を漏らしながら、ただただどうしようもなく翻弄されつづけていた。
・・・
どれくらいの時間が経っただろうか、窓から射す光はやわらいで赤みを帯び、一日の終わりが近いことを告げている。
レンセイは口唇をゆっくりと離した。
指先から血は一切こぼれなかったが、かわりに一筋の銀色の糸が口元にかかった。どちらの未練であろうか。それを舌先ですくいとり、そしてペロリと舐めあげて薬指に別れを告げる。ユキの背筋がまたビクンと跳ねた。
レンセイの頬には先程までとは明らかに異なる紅みが差していた。部屋にまだ残る夕日のオレンジとはまったく違う、血の色。席を立ち机を回り込んで、悦楽の余韻にくずおれそうなユキを背中から抱きとめる。しなやかな動作の中にも、いまや力が溢れていた。ユキは朦朧とした意識の中で頭を彼に預けた。赤く光るレンセイの目は優しさの中に、血に酔った捕食者の本来の残酷さを宿している。もたれる頭を撫でてレンセイは囁いた。
「先生自身が望んだことですよ。これから、もっともっと、冒涜していってあげましょうね」
ユキは耐えかねたように大きく吐息を漏らして媚びを示し、うっとりと蕩けきった目で頷いた。
一度刻み込まれた吸血の呪縛からはもう、逃れようがないのだった。
終
女性教師が吸血鬼の男子生徒に血を吸わせてあげたら虜になっちゃう話 甘栗八(アマクリエイト) @amacreate92
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