喜七さんと、開かない扉。

神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ)

第1話

 青森某所に実在するK大学獣医学部。

 昼、食堂。タッパーと格闘する男が一人。

「キシ、弁当箱開かんのか?」

「うん…。今日は、バラ焼きだから、レンチンしないと…」

 くっ、開かない。開かないぞ。ふと思い当たり、弁当をテーブルの上に置く。驚愕の事実。

「昨日、爪切ったばかり!」

 一生、開く気がしない。見かねた友人が、ひょいと手を伸ばす。

「ほれ。次からは、ちゃんと中身を冷ましてからふたを閉めるように」

「はい…。ありがとうございます」

 一瞬で、開いたではないか。今までの苦労は一体…?

 愛しのバラ焼きさんを加熱する。当然のように、友人は分け前を所望した。ふたを裏返し、いくらか分けてやる。

「牛バラとたまねぎ、そして甘辛いタレ! これが、いずくんぞ白米と合わずや、いや合う!」

「反語で食レポ…」

 いヤツである。

「B級グルメ万歳! ついでに言うなら、ビールが欲しい!」

「残念ながら、それはない」

 獣医学部は多浪が当たり前なので、隣の友人も大学二年生だが、すでに成人(※二十歳以上)である。

「これは、減塩運動が盛んな長野県人には酷な味付けではないか。代わりに、俺が全て食ってやろう。ほら、それを寄越せ!」

「ひいっ、居直り強盗だ!」

 大学一年生の時に、町内会のおばちゃんが自分ん家の味噌汁の塩分濃度を測りにくるという話をしたら、周囲に大層驚かれた。自分はそのことに驚いたものだった。

「塩分ハラスメント、断固反対!」

 長野だって、山間地だ。昔は、保存食だらけで塩に漬かって生きてきたのだ。それを地道な運動の結果、じりじりと塩分の使用を減らしてきただけにすぎない。

 つまり、長野出身だろうが、甘じょっぱいものは美味しいのである。

「くっ! 俺は、アメリカに留学してきた日本人か。もはや、長野に帰っても満足できそうにない…」

 とか何とか言いつつ、しっかり完食。


「そう言や、キシは親戚の家に間借りしているんだったか」

「うん、そうだけど?」

 放課後、コンビニに立ち寄る。

「あれ、扉が開かない?」

「手前に引くんじゃないか」

「ああ…」

 扉を開き、傘置き場を背にして、自動ドアが開く。

「風除室のドアって、そこのコンビニによって違うから、いっつもあれ? ってなる。トラップだよな」

「行ったことのないコンビニだとな。あるあるだよ」

 バラ焼きのお礼にと、アイスをおごってくれた。

 友人は、ちらりと風除室を眺める。

「これはな、軽音楽部の先輩から聞いたんだが…」

「え、何、怪談?」

「ある意味な」

 友人の視線に、ごくりと唾を飲む。

「それは、真冬日のことだった。夜中、コンビニのバイトから帰ってきた先輩。アパートに着き、鍵を開ける。そこまでは、良かったんだ」

 背筋を冷たい汗が流れる。確か、地元の長野でも…。

「扉が、開かないんだよ」

「きゃー!!」

 悲鳴を上げた。

「真冬日のことだ。あいにく、友人は帰省していて、頼れる者は誰もいない。凍死の恐怖に、先輩は不動産屋に助けを求めた」

 手に汗握る展開とは、このことか。何せ、命が懸かっているのだ。

「ああー、こういうことってよくあるんですよね。お友達は? 実家に帰っていて、いない? じゃあ、まあ、業者に連絡してみますけど…」

 両手を握りしめ、俺は祈っていた。

「トラックが到着する。ドアを確認して、言った。ああ、これは開きませんね」

「きゃー!!」

 再びの悲鳴。

「あなた家を出る前に、ちゃんと部屋の温度を下げましたか?」

 つまり、部屋は外気との甚だしい温度差で開かなくなっていたのである。気密性の高いアパートのドアならではの、盲点である。

「風除室とは、大発明だったのだな」

「古い家だと、風除室はなくても、大体玄関が広い土間になっているよね。子供の頃は、ここにこんな広さ必要? とか思っていたけれど…」

 ああ、風除室よ。ありがたや。二人して、拝んでから帰った。

 先輩は、バイト先に戻ったらしいとのこと。

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喜七さんと、開かない扉。 神逢坂鞠帆(かみをさか・まりほ) @kamiwosakamariho

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