episode.44 なりたいもの

「どうしよう……。」


 先生が出ていってからもうすぐ2時間が経つ。にもかかわらず、誰一人として作業に入れてはいなかった。


 みんな渡された資料をじっと見つめているだけ。

 フレイテスさんと数人が話し合ってはいるけど、一向に作業に入る様子はなさそう。


 先生に頼むと任されたのに、私もみんなと同じように資料に目を通すだけで何もできてない。


「ちょっと。」


 ふと後ろから声を掛けられ振り返ると、そこにはエリンが立っていた。


「貴女が動かなくてどうするのよ。」


「そうは言っても……。」


 私がもう一度資料に視線を落とすと、エリンは呆れたようにため息をついた。


「ルイス、貴女はウェイに何を任されたの?」


「それは、この場の指揮を取ること……。」


「そうね。ウェイはそう言ってたわ。じゃあ、それってつまり?」


 エリンの物言いは私に何かを促すようだった。


「ごめん。エリンが何を言いたいのか良くわからない。」


 私が困った顔でそう言うと、エリンはガクッと肩を落とした。


「全く貴女って人は……ウェイは貴方に何をして欲しいの?貴女がしなきゃいけないことは何?」


 エリンの目は真剣だった。

 何で急にこんな必死なのかと少し戸惑う。


「私のしなきゃいけないこと……。」


 先生が言ったことを思い出す。



” 一人俺の術式を限りなく正しく解釈できる人間を紹介しておく “


 

 先生は私がこれを正しく解釈できると確信していた。だからこそ、この場でたった一人の三級の私に指揮を任せると言ったのだと思う。


「私の役目はこの術式を正しく解釈して皆に共有すること。」


 エリンの目を見つめて答えた。


「そうよ。貴女の役目はここにいる人達に指針を示すこと。だったらやることは決まっているわ。」


「でも、私の話を聞いてくれるかな?私、ここでは一番階級低いし、実績もないのに……。」


 不安になる私に、エリンはまたため息をついた。


「指針を示す方法なんて何も声を出すだけじゃないでしょ。」


「えっ?」


 首を傾げる私に、エリンは巨大ルーン結晶を指差した。

 それで何となく言わんとすることを理解する。


「もしかして直接彫るってこと?」


 私の返しにエリンは頷いた。


「貴女今自分で言ってたじゃない。ここにいるのは皆一級と二級の製錬技師。もっと言えば国認製錬技師のフレイテス様だっている。私達よりも総合的な知識も、経験も、技術も、ずっと上の人達なのよ。そんな凄い人たちなら、言葉なんて交わさなくても行動だけで意図を理解してくれるわ。」


「そう……だね。」


 エリンの言う通りかもしれない。

 私はきっと難しく考えすぎてた。


 術式の解釈自体は感覚的な部分はあれど何となく把握できてる。躓いていたのは、その解釈をどう言語化してみんなに伝えるか。そこが問題だった。

 けど、エリンの言う通りここにいる人達は私なんかよりずっと研鑽を積んできている人たちなんだ。

だから、きっと私の行動と描く術式の順番で理解してくれるはず。


 私は梯子を巨大ルーン結晶に引っ掛け登った。


 その様子を見てか、一人の男性の声がボソリと聞こえる。その呼びかけで一気に皆が私に気づいた。


 巨大ルーン結晶の天辺に手で触れる。滑らかでスベスベな面。一見固そうだけど、この質感なら彫刻具の刃はたぶん簡単に入る。


 私は腰にあるポーチから本彫り用の彫刻具を取り出した。


「ちょっ、ちょっと⁉」


 その瞬間、一人の女性が声を上げた。その声を皮切りに周囲が物々しくなる。


 今にも非難が飛び交いそうな雰囲気に私は不安に駆られるも、それも当然かと思う。


 先生の資料にも書いてあるし、普通より少し大型なくらいのルーン結晶でもそうだけど、大型の結晶に術式を彫る場合には、まずペンで基準線を引くのが定石。

 次に筆で術式を下書きして、下彫り。その後調整を加えて、ようやく本彫りに入る。


 いきなり本彫りするなんて普通はしない。

 だから声を上げる人たちの気持ちもよく分かる。


 融化用に製錬したルーン結晶はまだ少し余ってる。下彫りなら修正が効く。

 けど、本彫りをしたらもう修正は効かないから一発勝負になる。


 結晶の面を捕らえたところで、彫刻具を持つ手が震えた。


 怖い――。


 今からやろうとすることは、失敗すればここまでのみんなの努力を全て無駄にすることになる。

 それだけじゃない。みんな口にはしないけど、既に納期に間に合わない可能性も出てきてる。

 そんな中で今失敗すれば、最初からやり直している時間はない。そうなったら、依頼を完遂できず、フレイテスさんや先生の信頼が地に落ちて、更には世界の物流に支障が出て大勢の人たちに迷惑がかかる。


 だから、怖い――。


 先生の期待に答えたい。皆の力になりたい。

 このルーンを完成させて大勢の人に届けたい。


 震える手を逆の手で掴んで無理矢理押さえる。

 けれど、考えれば考えるほど怖くなった。


 ――と、そこで騒々しかった声がピタッと止んだ。


 不思議に思って周囲を見渡してみれば、フレイテスさんが手を上げていた。


「彼女に任せよう。」


 ポツリと一言だけそう言うと、フレイテスさんは手を下ろした。


 静まり返る場に緊張が走る中、私は結晶に面と向かった。



 ありがとう、フレイテスさん――。



 結晶の天辺に彫刻具を刺し込み一文字目を彫り始める。


 もう手は震えなかった。

 黙々と彫り進め、一文字目の本彫りを六割程終えたところで、次の文字に移る。


 今私がやるべきは、優先順位の高い順に術式を本彫りしていくこと。本彫りと言っても、完全に一文字一文字を完成させていくのではなく、誰でも途中から彫れるように仮彫りして基準を作っていくこと。

 基準さえ作れば、あとはここにいる人達の腕なら下書きや下彫りがなくても本彫りしていけるはず。


 注意しなければいけないのは、普段彫っている何倍も結晶が大きい為、当然文字自体も、文字と文字の間隔も大きくなること。

 私の癖からして、思っている以上に意識して大きく彫らないと集中すればするほど文字は小さくなっていってしまう。


 あとは、術式間と文字間隔も常に意識すること。

 今回先生が作った術式で最も複雑なのは、ルーン文字とルーン文字の間隔が一定じゃないこと。

 通常はどんな術式でもほぼほぼ等間隔で彫るのが当たり前だけど、先生のそれは全体の術式バランスを整えるためにそれらの間隔が広いところもあれば、狭いところもある。

 これが一つ間違えて帳尻が合わなくなると術式そのものが発動しなくなってしまうので、これは最優先で気をつけないといけない。


「すごい……。」


 ルイスが黙々と術式を彫り続ける姿に、見ていた者達は皆圧倒された。


 なまじ技術と経験があるからこそ分かる。

 下書きどころか基準線すら引かずに彫る技術。その正確さと丁寧さ。そして何よりそれらを実現した上での銘彫スピード。


 誰もが震撼した。

 そして己を恥じ、叱責した。


 彼女は三級。

 いくらフレイテスが信頼しているウェイの言葉でも、ここまで複雑な術式を無名の三級如きが指揮を取るなど、ましてや術式を彫ることなどできるわけがない。


 そう思ったことをこの場にいた全員が反省した。


「ねえ、私達は何をすればいい?」


 話しかけられ、ルイスはふと顔を上げた。


「えっ……?」


 驚いた、というより戸惑った。

 目の前にはフレイテスさんのところの勝ち気そうな女の人が二人こちらに話しかけてきていた。

 二人だけじゃない。周りを見てみれば、皆梯子を掛けて登ってきている。


「えっと……じゃあ、私の仮彫りした文字を完成させていってくれますか?」


 ルイスは戸惑いながら彫ってきた動線を指さした。

 すると、二人は頷いてすぐさま作業に入る。


「なら、私はあなたの彫っている術式を基準に【風】のルーン術式の部分を担当するわ。それでいいかしら?」


 今度は横から話しかけられた。

 見れば、フレイテスさんとよく話している一級製錬技師の女性だった。

 こんな人も私に指示を仰いでくれるのか。


「は、はい!是非お願いします!」


 畏れ多くもお願いすると、女性は笑みを溢しては何人かに声を掛けて側面の方へ回っていく。


 嬉しい――。


 別に偉くなったわけじゃない。けれど、みんなに伝えたかったことが確かに伝えられた感触があった。


「ほら、言った通りじゃない。」


 気づけば横にエリンが登ってきていた。

 自信満々そうに胸を張っては彫刻具を手に取って私が仮彫りした一文字に宛てがう。


「当然私も手伝うわ。」


「えっでも、エリン術式の銘彫苦手じゃ――」


「馬鹿にしないで。私だっていつまでも同じじゃないわ。貴女が炭みたいな源魔石を作らなくなったように、私だって少しは成長してるのよ。」


 そう言ってエリンは真剣な顔で目の前の文字を彫り始めた。


「そう……だよね。」


 もう一度周囲を見渡してみる。

 みんな私の指示や銘彫を元に思い思いに彫り進めている。それでも銘彫に統一感があるのは先生の資料にある基準をみんなが守っているから。


「私も頑張らなきゃ!」


 私が先導して彫らなきゃみんなが基準を決められない。


 先生の期待に応える為。

 依頼を完遂させる為。

 そしてなにより、自分の為に――。


「エリン。私ね、なりたいものがあるんだ。」


 作業する手は止めずにエリンに話しかける。

 エリンもこちらに耳を傾けても手は止めない。


「私ね、先生みたいな製錬技師になりたい!」


 心から目一杯出したその声に、エリンは手を止めて私を見つめてきた。


「私、元はお母さんみたいな製錬技師になりたいと思ってた。でもそれは、憧れとかって意味じゃなくて、お母さんを手伝ってあげたいとか、お母さんが製錬技師だから私もなるんだっていうぼんやりした理由だった。」


 そう。お母さんは病気と戦いながらも国認製錬技師まで上り詰めて、本当に立派な人だった。

 そんな誇りに思えるお母さんだったから、私はただお母さんの背中を追ってた。


 けど、今は違う。


「先生みたいに使う人のことを想って、その人に幸せを届ける――そんな製錬技師になりたい!」


 ソフィさんのルーン式万年筆も

 サウスさんの治療用ルーンも

 冒険者さん達の戦闘補助ルーンも


 先生の製錬したルーンを手に取った人達はみんな笑顔になってた。

 先生はいつもみんなに幸せを配ってた。


 そんなルーンを作れる製錬技師に私もなりたい。


「そうね。」


 エリンは笑みを浮かべながら視線を目の前のルーン文字へと戻しては再び彫り出した。


「私も決めたわ。さっさと一級に上がって評議員になる。」


 そう言ったエリンの姿は以前とはどこか雰囲気が違って見えた。


「評議員?自分でお店を出すんじゃなくて?」


 今度は私が手を止めて、エリンを見つめた。


「何よ。悪い?」


「あ、いや、悪くはないけど、なんか意外だなって……。」


 こちらが戸惑う様子に、エリンは手を止め得意げな顔でこちらを見つめた。


「製錬技師にも色々あるのよ。」


 エリンのその言葉には妙に説得力を感じる。

 先生に色々連れ出してもらってたみたいだし、もしかしたら私の知らないところでエリンの価値観が変わるような何かがあったのかもしれない。


 私達はそこでお互いに笑みを浮かべた。


 なりたいもの、目指したいものは決まった。

 それならやるべきことは一つ。



 目の前の仕事に全力で取り組むこと。



 彼女たちのその姿勢は周りにも伝染していった。


 この日、この瞬間、100人弱の製錬技師が思いを一つに、真の意味で一体となった。

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製錬技師の解体新書 iReSH @iReSH

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