episode.43 火照と共に花は舞う

 浮遊島の端にある眺望崖の岬で俺は一人何を見るでもなく、ぼぅーと雲平線を眺めていた。


「ここにいたのか。探したぞ。」


 声に振り返ればルクスの姿があった。


「お前の方はもういいのか?」


「ああ。団長のお陰で懲罰は免れたよ。」


 やれやれと両手を天に向けてはため息を付くルクスに申し訳なさを覚える。


「俺の所為で悪かった。」


「別にお前の所為じゃない。俺はただ自分が守りたいものを守っただけだ。」


 そう言って横に並んでは、ルクスも同じように雲平線を眺め始めた。


「覚えてるか?」


 唐突にルクスが口を開いた。と同時に、空気を読んだかのように雲海が晴れていく。

 眼下には王国祭の終わりを告げる花火が無数に打ち上がっているのが見えた。


「ああ。忘れないさ。」


 忘れるわけがない。

 大切な彼女との思い出。

 その中でも脳の一番奥に刻まれている記憶。



 大切な記憶だ――。



「はーあ。やっぱり花火って上から眺めるものじゃないわね。」


「と、言うと?」


 少女は岬の先端からぶら下げていた足を持ち上げ立ち上がると、早々にルクスの元に歩み寄った。


「いい、ルクス?花火っていうのはね、打ち上がってから満開になるのよ。」


「はあ。それは存じていますが。」


 ルクスの返しに少女は不満そうに頬を膨らませた。


「それってつまり、下から見上げるのが前提ってことでしょ。下から見るのが一番綺麗に見えるように作ってるんだから、上から見下ろしたって綺麗には見えないわ。」


 少女は熱弁するように手振りも添えて訴える。


「理屈は分かりますが、私にはここからでも充分綺麗に見えます。」


 その返しに益々不満げになる少女。

 呆れたように肩を落としては、直後何か閃いたように岬の先端へと駆け戻っていく。


「ウェイは分かるでしょ?ウェイは王都からも花火を見たことあるんだから。」


 必死に前のめりになる少女に、俺はクスクス笑った。


「そうだな。ここからでも王都の街灯と相まって絶景だけど、花火は下から見る方が好きかな。」


「ほらね!!」


 俺の返しに機嫌良くしたか、少女の顔に笑顔が浮かんだ。

 背後にはルクスが呆れたように首を振っている。


「そうだ!!折角なら王都へ見に行きましょうよ!!」


 少女は再び立ち上がり、明るい声色で俺達に提案してみせる。


「なりません!!」


 そこで毅然とルクスが少女の言うことを否定した。


「ご自分のお立場をお考え下さい。王都へ赴くことは公務以外ではあってはなりません。」


「分かってるわ。けど、ちょっとくらいいいでしょ?」


 少女はルクスに向かって手を合わせ、媚びを売るように目で訴える。


「駄目です。」


 そんな少女を意に返さずルクスは首を横に振った。


「誰の目にもつかないようにするから、お願い!」


「絶対駄目です。」


「ケチ!」


 杓子定規に認めてくれないルクスに、少女は頬を膨らませてはそっぽを向いた。


「そう拗ねないでください。私とて姫のお気持ちは理解しております。しかし、何かあっては私如きの命では責任が取れません。」


「その何かが起きないように貴方がいるんじゃないの?」


「そ、それはそうですが……。」


 ああ言えばこう言う少女に、ルクスは困ったと言わんばかりに額に手を当てた。


「そうルクスをイジメないでやってくれよ、レーナ。」


 そこで俺も二人の元へ歩み寄っては3人で向かい合った。


「こいつもお上と君の間で苦労してるんだ。ほどほどにしてやってくれないか?」


「ウェイ……。」


 親友に助け舟を出してやると、彼女は仕方ないと出した袖を引っ込めた。

 不服そうだった彼女の顔がため息とともに沈んでいく。


「そう落ち込まなくても大丈夫さ。」


 そんな彼女を見かねて、俺は一つ考えた。

 二人が首を傾げてこちらを見てくる。それにニヤリと笑みで返しては、俺は岬の先を指差した。


「花火、観に行こうか、レーナ。」


 俺の言葉にレーナは目をときめかせ、ルクスは顔を青褪めさせた。


「正気か、ウェイ⁉」


「そう焦んなって。ちょっと待ってな。」


 本当に嬉しそうにするレーナに微笑み、すれ違いざま口をあんぐりと開けて目をギョロっとさせるルクスの肩に手を乗せてやってから、俺は一度研究棟に戻った。


 少しして俺が戻ってくると、二人は俺の引きずってきたそれに真っ先に目を向けた。


「それは?」


 レーナはドキドキワクワクと感情が声になって聞こえてきそうなくらいに期待の眼差しを送っている。


「ルーン式エンジン型飛行バイク。こいつがあれば王都まで下りなくても花火の下まで行ける。」


「いつの間にこんなもの……。」


「飛空艇のルーン式エンジンをもう少し軽量化出来ないか模索してたんだ。結果、複数の【魔法石ルーン】を繋げて一つの術式に作用させる【魔法石塊ラクリマ】として発動させることで術式負荷の軽減と軽量化に成功した。とはいえ、こいつはまだ試作段階だけどな。」


 俺はシート部分をポンと叩いては、ルクスの顔色を窺った。

 訝しげなその顔は徐々に何となく察したようで、焦りが浮き出ていた。


「ウェイ、お前まさかとは思うが……。」


「ああ。これで花火の近くまで飛んでいく。二人乗りだからルクスは留守番頼むぜ。」


 俺の言葉に、ルクスは全身を震わせた。


「バカバカバカ!!そんなの駄目に決まっているだろう!?何かあったらどうする気だ!?」


「大丈夫だよ。火傷するほど近づきゃしねえし、低空飛行とはいえ夜中で、しかも王都から見てる奴らからしたら精々『何か飛んでる』くらいにしか分からないって。」


「そういう問題じゃない!!飛竜が襲ってきたらどうする気だ!?」


 必死に説得を試みるルクスの様子に、気持ちは分かるが思わず可笑しくなってしまう。


「飛ぶのは王都上空だけだ。仙人の魔法壁で飛竜は入ってこれないはずだし、逆に出たらそれはそれで大問題だ。」


「そ、それはそうだが……それに、そいつはまだ試作機なんだろう!?何か間違いがあったら――」


「ルクス。」


 俺は途中でルクスの言葉に強引に割り込んだ。そしてニヤリと口角を上げてはその目を見つめる。


「俺がミスすると思うか?」


 その一言でルクスは押し黙った。

 こいつとはもう6年半の付き合いだ。そして、その共に過ごしてきた期間はこの一言に重さを持たせるには十分過ぎるだろう。


「分かったよ。」


 大きなため息をついては諦めたようにルクスは零した。

 それを見てはレーナは飛び跳ねるように喜んでは、誰よりも早く後部座席に跨いで、運転席のシートをポンポン叩いた。


「さ、そうとなれば早く行きましょう!花火終わっちゃうわ!」


 そのあどけない笑顔に、俺もルクスも負けを認めては和んだ。


「んじゃ、行ってくる。」


 ゴーグルをつけてはハンドルを引きエンジンの起動を確認する。


「何かあれば【通信】のルーンで呼んでくれ。直ぐに駆けつける。」


 ルクスの言葉に頷きマフラーを噴かせると、一気にアクセルを踏んでは飛び上がった。


 高度も相まって、この季節の凍てつくような風が肌に刺さる。


「レーナ、平気か?」


 風に打ち消されないよう声を張って後ろの様子を覗う。

 すると、すぐに腰に回っていた腕がぎゅっと強く締まった。背中には彼女の温もりが感じられる。


「大丈夫。」


 その温かく優しい声色に、肌に感じていたチクチクと刺さる寒さは消え去った。


 そこから暫く無言の時間が続いたが、花火の真下まで来ると俺達の口からは声が漏れ出していた。


「素敵……。」


 それはまるで遠近感が狂った星空の世界だった。


 無数に散る色とりどりの火の玉が頭上を照らし、それまで分からなかったお互いの姿に気づく。


 俺はゴーグルを首元に下げた。

 この絵画のような幻想的な世界をグラス越しに見るなんて、そんな勿体ないこと出来ない。


 ホバリングしながら、俺達は儚くも落ち消えゆく火花の残滓を見届けた。


「さて、最後だ。」


 花火が落ち着き周囲が暗闇に包まれるのを見計らって、俺は高度を少し上げた。その瞬間、下から次々にヒューと花火が打ち上がる音が迫ってくるのを耳で感じる。



 自動運転モードに切り替えて目線を上げた時だった――。



 自分たちを中心に、円状に囲むようにして一斉に花が咲き乱れる。


 圧倒され、言葉を失う。

 気づけば視線はただ一点に吸い込まれていた。


 自分以外の時間が止まっているような気がする。



 レーナ――。



 少女に声をかけようとした。

 けれど、その前に彼女がこちらを向いた。


 確信した。

 止まっているのは俺以外じゃなく、俺と彼女以外だと。


 照らされた彼女の顔は濡れた時の頬のようにきらびやかで、どこまでも透き通っていた。


 柔らかい。

 いままでに感じたことのない柔らかさが唇に当たる。


 大それたことをしているのかもしれない。

 皇女である彼女を今この瞬間俺は独り占めしている。彼女の一生において、今この瞬間は俺と彼女だけの時間なのだ。


 王都で万人が見上げている。

 もしかしたらルクスも上から見下ろしているかもしれない。

 彼らの視界には間違いなく俺と彼女が写っている。それでも俺達だと気づくものは誰一人としていないだろう。


 そんな状況の中でする彼女とのキスは、何物にも代えられない興奮を覚える。


 腰に回していた腕を戻し、膝上に乗った彼女の手にそっと自分の手を重ねた。


「知らなかった。」


 うっとりとした表情のまま、彼女は周囲に咲き乱れる花々に視線を移した。


「真横から見る花火がこんなにも綺麗だったなんて……。」


 見渡すように視線を一周させては、最後に彼女と目が合う。


「私忘れない。貴方と真横から見た花火が一番綺麗だってこと。」


「俺もだよ。俺も忘れない。」


 二人して微笑み合っては、そして再び唇を重ねた。


 もうすぐ花が咲き終わる。

 王国祭が終わりを告げる。


 それは新しい年の始まりを意味する。


 この先何年経ったとしても、今日という日を忘れなんてしない。



 ずっと、ずっと忘れない――。

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