episode.42 覇魔石

 静寂に包まれ、生暖かい空気が漂う無機質な空間。天井の隙間から木漏れ日のように墓標を照らす陽光。

 自分達の足音だけが響き渡る度に、ここが生地なのか、それとも死地なのか、曖昧な感覚になってくる。


 ここはそんな場所だ――。


 いくつかの墓標を通り過ぎたところで前を歩く皇妃の足が止まった。その先を見れば、一つの墓標が目の前にあった。


「これが……。」


 皇妃は何も言わず道を開けては俺を見つめた。

 俺はゆっくりと墓標に近づき、そして目の前の文字を読むとともに頬を濡らした。



〝 レーナ・ヴィンセントモルへノース 十四ニシテソノ真強キ御霊ココニ眠ル 〟



 初めて見る彼女の墓。

 自ら殺してしまった少女の顔が頭に浮かぶ。


 嘘であって欲しかった。

 夢であって欲しかった。


 そんなことは絶対にないのに、自分で殺してしまったくせに、毎日のように考えていた。


 だが、それももう無理だ。


 この墓を目にした瞬間から、彼女との記憶が雫となって溢れ出して止まらない。


 それはまさに俺の中で彼女の存在と、彼女がいなくなってしまったことの証明だった。


「ごめん……ごめん……俺が……俺の所為で……」


 漏れ出てくるのは罪の意識と謝罪の言葉。

 嗚咽を漏らすように俺は涙を流し続けた。


「レーナは……あの子は貴方と出会って変わりました。」


 崩れ落ちる俺の横で、皇妃は語り始めた。


「あの子は頭がよく、周囲によく気を遣う子でした。側仕えや騎士には勿論、私達家族にまであの子は本当の自分を見せませんでした。」


 皇妃は涙声で、しかしそれを悟らせないように落ち着いた口調でゆっくりと話す。


「ですが、貴方と出会ってからあの子は度々素の顔を見せるようになりました。私にも毎日のように貴方のことを話してくれました。」


 そこまで言うと皇妃は墓の前でしゃがみ込む俺の肩にそっと手を添えた。


「結末がどうあれ、あの子にとって貴方は唯一心の色を教えてくれる存在であった。それに間違いはないでしょう。」


 心の色――俺にとっての君はまさに虹そのものだった。


 ある時は喧嘩して

 ある時は互いを信じ

 ある時は笑い合い

 ある時は学んで

 ある時は一緒に悲しみ

 ある時は頭を下げ


 そして、ある時は君に恋をした。


 君と出会ったあの日から、俺の心の色は虹のように色づいた。


 君にとっての俺はそういう存在になれていたんだろうか。


 俺は君にどんな色をあげられたのかな。


 それも今となっては分からない。

 けど、君の心の色が何色であったとしても、魔力液がルーンに順応した時に優しくて温かな淡い光を放つように、君のその色も温かに光っていて欲しい。


 そう願うばかりだ。


「レーナは最後の瞬間、悲痛な顔で俺に手を伸ばしていました。だけど、俺はその手を掴めなかった。」


 墓標に飾られた花々。その中には一輪だけ種類の違う花がある。

 おそらくは先程ガレリオが供えたものだろう。


 丁重に供えられたその花弁に俺はなぞるように指で触れた。


「あんな思いは二度とごめんだ。」


 瞼に溜まった涙が零れた。

 鼻水を啜る音が静かに響きながら、俺はゆっくりと立ち上がって皇妃と向かい合った。


「教えてください。何故また覇魔石の研究を始めたのか。」


 俺の言葉に皇妃は直ぐには口を開かなかった。


 目を瞑り、切ない表情を浮かべながら天井を見上げては、ゆっくりと目を開いてそこから差す陽光を虚ろ気に眺める。


 その立ち姿はまるで絵画を思わせた。


「古の魔物が目覚めようとしているのです。」


 皇妃は一言そう口にした。

 そこで再び目が合う。


「嘗て、この世に魔力が生まれたばかりの時代のことです。多大な魔力に侵された魔物が世界を襲いました。」


「魔物?」


「その魔物は災獣とも呼ばれ、その呼び名通り世界は滅びの際まで追い詰められました。」


 皇妃の目は嘘を言っているようには見えなかった。そもそもこんな嘘を言う人ではない。


 過去の皇妃との記憶はそれが真実だと裏付けるに足るには十分だった。


「でも、今でも世界は残っている。それはつまり倒し……いや、目覚めるってことは、封印したのか。」


 俺の言葉に皇妃は小さく頷いた。


「災獣が世界を滅ぼして回る中で、人々もまたそれに対抗しうる魔法を生み出したのです。」


「それはつまり――。」


「はい。我らが皇家の始祖たちが災獣討伐に打って出たのです。」


 なるほど。その話の流れからすると、魔力をこの世に生み出した皇家の始祖たちはそれを使って数々の魔法を生み出した。

 黎明期の時代では魔法の種類も数もまだまだ少なかったはずだ。

 その少ない手数の中で、世界を滅ぼすレベルの魔物を討伐まで出来ずとも封印できたのは流石の手腕だと言っていいだろう。


「災獣は想定よりも遥かに強大で、始祖たちは討伐は困難と考え、悠久の時に封印することにしました。」


「で、封印は見事成功したが、それが今目覚めようとしているわけか。」


 皇妃は黙って頷き返すと、切ない表情で俺を見つめる。

 何を思うか、その気持ちは想像に固くない。


「理由は分かりました。でも、よりによってなぜ覇魔石を選んだんですか?あれの他にも選択肢はあるはずだ。」


 それは受け入れたくないという我儘な気持ちからだった。

 聞いたところで帰ってくる言葉は分かりきっている。俺と同じくらい皇妃はその危険性を理解しているのだから。


 それでも、嘗て結論を出した俺には否定せずにはいられなかった。認めてしまえば、彼女を殺してしまったことへの後悔で俺はまた壊れてしまうだろうから。


「残念ながら、災獣を封印する手段を今の私達は持ち合わせていません。」


 皇妃は申し訳なさそうに首を横に振った。


「皇宮の書庫には皇宮が出来てから生み出された魔法の全てが記録されています。しかし、それは凡そ600年程前のこと。それ以前の魔法は虫食いのように残ってはいれど、その全ては保管していません。」


 やはりそうか。

 ここまで話を聞いた限りで考えれば、まず災獣を封印した術式は残っていないのだろう。

 それこそ黎明期の話だ。記録を残す媒体が今よりずっと限られているだろうし、そもそも世界が滅びの際までいったのなら復興などでそれどころではなかったのが容易に想像できる。


 凡そ千年ある魔法史の中で、災獣に関する傳承が残っている一方、その対抗策がないということは、これまで生み出された既知の魔法では封印に至らないというのが皇家の見解か。

 だとすると、今ある手の内で残された可能性として覇魔石に手を出すしかないというのは自然の成り行きと言える。苦渋の決断ではあるだろうが。


「覇魔石は今我々が持ちうる唯一の可能性なのです。しかし、まだあれを使えるだけの知識と技術力が私達にはありません。ですから――」


 そこまで言って、皇妃は口籠った。

 口元を震わせ、焦って口走ろうとした言葉を飲み込んでは自身を落ち着かせているようだった。


 あの後からずっと、この人は俺を凄く気遣ってくれている。それは気を遣われている俺が一番分かってはいる。

 それについては申し訳なく思うし、ありがたくも思う。

 

 だからこそ俺も誠心誠意伝えるべきだろう。


「俺は手を貸せません。」


 皇妃の目を見つめはっきりと断る。


「皇妃陛下も知っての通り、覇魔石は通常の魔素石とは違います。」


 俺は当時の研究と王都を出てからの7年の研究を思い出す。


「一番大きな違いは、覇魔石は魔力を常に取り込み続けることです。空気中の魔粒子や廃魔塵を始め、生物から発生する魔力に至るまでありとあらゆる魔力を覇魔石は吸収します。」


 俺が話している間、皇妃は剣呑な面持ちでこちらに耳を傾けていた。


「加えて、通常の魔石なら魔力を注入しすぎると破砕しますが、覇魔石の器は世界中の魔力を取り込んだとしても余りある。故に、その器は有限なれど事実上無限です。」


 覇魔石のことを話すのはいつぶりだろうか。

 あの時のことを思い出すからと、今までずっと避けてきたはずだが、意外にもすらすらと話せていることに内心驚いている自分がいた。


「結果、覇魔石で製錬したルーンは劣化することなく、壊れることはありません。」


 それが、俺がここに来てから研究した末に出した結論だった。

 実際、覇魔石は常時周囲の魔力を吸収し続けるが、大気中に放置しても破砕したりはしない。

 吸収量と自然発生量が上手く循環している為、意図的に手を加えない限り周囲の魔力が枯渇することもない。


 それは謂わば、空気と同じだ。


「壊れないということは、裏を返せばどんな術式でも彫れ、複数彫ることも可能だということです。ルーンを製錬する上ではまさに夢の魔石です。」


 だからこそ、俺はその性質に注目して、人体に臓器の代わりとして生みこむための研究をしていた。


 人を含む生物の体内にも魔力は巡っている。それらをもっと増幅し、コントロールすることができれば、魔法陣からルーンへと魔法が置き換わったように、魔法のあり方はもう一段階新たな形へと進化できると思っていた。



 だが、それこそが最大の過ちだった――。



「ですが、覇魔石にはある欠点があります。」


 記憶が完全に蘇る。

 心が沈み、体に悪寒を覚えながら俺は息を落ち着かせながら口を開いた。


「覇魔石で製錬したルーンは”必ず暴走します”。」


 それが、彼女を失った後も研究し続けた俺がその末に辿り着いた結論だった。


 覇魔石は常に魔力を取り込み続ける。

 それは、製錬した際の魔力充填率を気にせずとも魔法を最大火力で何時でも何度でも使用できるというメリットであるが、逆にいえば魔法発動時に消費される魔力量を遥かに超える魔力を溜め込む為、魔法の過剰発動を引き起こすリスクにもなっている。


 通常の魔石で製錬したルーンにおける暴走は、主に劣化等で魔力充填率が不安定になることや、彫った術式が経年で欠けたり歪むことで別の術式の要素が偶発的に取り込まれることによって、それが所謂バグとなって引き起こされる。

 それら以外にも原因の分からない乱数的な確率で引き起こる暴走もあるが、それらを含めても暴走率は2%程度でめったに起こることではない。

 仮に暴走したとしても、直接的に使用者自らの命が脅かされるまでの事態にはそうそうならない。


 だが、覇魔石で製錬したルーンの暴走は別だ。

 覇魔石の器は先にも言ったように世界中の魔力を取り込んでも余りある。それはつまり、世界そのものを崩壊させることも場合によっては可能だということだ。



 そんなものを体内に取り込めば、人の命など……。



 俺は愚かだった。

 当時の俺は机上の数値だけを信じて、そんなことにも気付けなかった。


「もし覇魔石のルーンを使うとするなら、暴走をどうにかしてコントロールする必要があります。ですが、俺はその術を持ち合わせていません。」


 俺は半ば睨みつけるように皇妃を見つめた。


「だから俺は手は貸せません。貸すつもりも。」


 まっすぐな俺の言葉に皇妃は落ち込んだように視線を落とした。

 失望させてしまったか。だが、それで良かったのかもしれない。

 俺にはもう先頭に立って研究するほどの気力はない。ルイス達を見守り、若い芽を育てる方が今の俺には合っている。


 皇妃に一礼し、最後にレーナの墓に目をやっては心の中で呟く。



 本当にごめん

  そして、ありがとう

   君に出会えて良かった



 足を来た方角に向け、この場を去ろうと二、三歩出したところで足を止めた。


 それは何となく。

 本当に何となく言っておこうと思った。


「書庫の裏口――3番目の棚のD-22にある右から14番目の本の背表紙を火で炙って下さい。」


 俺の言葉に皇妃は下げた視線を戻した。

 振り返って見た皇妃の顔は、やはり彼女の面影を感じる。


「そこに、”人を生き返らせる魔法”の研究記録が保存されています。書庫記録インデックスには登録していません。覇魔石の研究に役立つものがきっとあると思います。」


 それだけ言い残すと、俺はこの場を後にした。

 皇妃は引き止めず、追っても来なかった。



 ようやく叶った彼女への謝罪――。



 思っていたよりも俺の気分は晴れてはいなかった。

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