005「編集者・スエザキ」
「冥王社、第二文芸課のスエザキです」
出版社の無機質な会議室の中、そういって名刺を差し出す男の第一印象は、ひとことでいえば「死神」だった。
背が高く、酷く痩せた体躯は枯れ木のようであり、なで肩に引っかけられている大きすぎる黒いジャケットがどこか不吉な印象を与える。目元には濃い隈が浮かび、顔には骨格がはっきり視認できるほど殆ど肉が付いておらず、表情の変化も殆どない。
ともかく立ち振る舞いの隅から隅まで不吉な印象を与える男であり、差し出されている名刺を受け取れば、なんらかの黒魔術的契約が完了するのではないかという疑念さえ抱くほどであった。
「……どうかなさいましたか?」
「い、いや。頂戴します」
怪訝そうな視線を避けるように名刺を受け取る。白地の紙に部署と名前と連絡先だけが書かれたシンプルな名刺だった。
事前に調べたところによると、冥王社はそれなりに大きな出版社であった。業歴は五十年近く、かつては文芸書や学術書なども手広くやっていたようだが、昨今の出版不況のあおりを受けて事業は全体的に縮小傾向にある。最近は芸能人やアーティストの、いわゆるタレント本が主な収入源となっているらしい。
ともあれ、まともな会社であることは間違いない。そうでなければ私とてあんな怪しさ爆発のメールでノコノコやってきたりはしない。
稀代の新人作家である私がわざわざ有給をとってまで足を運んだのであるから、出版社側もさぞ手厚くもてなしてくれることだろうと期待していたが、全くそんな気配はなかった。
受付で声をかけると、案内されたのは応接室ではなく、編集部などから少し離れたところに位置する会議室だった。テーブルとホワイトボードがあるだけの恐ろしく簡素な部屋であり、プラスチック製の椅子は座り心地が悪かった。茶菓子の一つどころか水も出てこない。その上現れたのは死神と見まがう不吉な男である。
どうやら、私はあまり歓迎されていないらしい。
いや、むしろ忌避されているのではないかという疑念が生じるほどの扱いである。
「本日はご足労いただき、ありがとうございます。申し訳ありませんね。こんな部屋で」
「い、いえ、お構いなく」
私の内心を見透かしたように、スエザキは言った。ひどく平坦な声だ。こんなに申し訳なさを感じない謝罪もめずらしい。
「さて、お呼び立てした理由は事前にお送りしたメールの通りです。坂本様の作品を、是非当社で本にさせていただきたく思っております」
その言葉に心臓が高鳴るのを感じる。
ものを書き始めてから約七年。夢にまでみた書籍化の打診である。文字通り狂喜乱舞してしかるべき状況であるが、しかし私は冷静だった。それはもちろん私が人並み外れた自制心を持つ立派な大人だったからであるが、目の前のスエザキが夢も希望も失った市役所の職員のごとき疲労感を放っているのも一因であった。
「メールの返信にて書籍化についてはご同意いただいおりますので、早速契約に移ってもよろしいでしょうか」
「あ、その前に一つうかがいたいことが……」
事務的に手続きを進めようとするスエザキを遮るように声をかける。
流石にこれだけは聞いておかなければ気が済まない。
「はい。なんでしょう」
「どうして、私なんですか?」
普段から天才を自称してはばからない私であるが、周りが見えていないわけではない。
ネット上には膨大な数の小説が投稿されており、認めたくないが、私よりも人気も技量もある作家は多数存在する。それを差し置いてどうして私のような無名の素人を使うのか、それが大きな疑問だった。
私の問いかけに、スエザキは表情一つ変えずに答えた。
「ひとことで申し上げれば、我々のコンセプトに合致したからです」
「コンセプト?」
「ええ。私たちは、実力があり、かつ知名度のない作家を探していたのです」
なぜわざわざそんな作家を、という疑問が浮かぶが、それを遮るようにスエザキは続けた。
「御作、拝見いたしました。文章力、ストーリー構成、メッセージ性、どれをとってもプロと遜色ないものと感じます。これだけの作品を書ける才能を、このままネットの海に埋没させるのはいささか不経済であると我々は判断いたしましてお声かけした次第です」
「そ、そうですか」
賛辞を述べるにしてはあまりにも感情の起伏に乏しい声色ではあったが、ここまで言われるとさすがにこそばゆい。むしろ、淡々と事実だけを述べるような口調が言葉の信憑性を高めているようにも感じる。
私しか信じていなかった私の才能を、第三者が、しかもプロの編集者が見いだしてくれたという事実が、じわじわと心にしみてくる。自分の作品が理解されるという喜びで、脳に甘い痺れが広がった。
その甘い痺れのせいで、先ほどまで持っていた健全な疑念は煙のように消えてしまった。
「おわかりいただけましたか? よろしければ具体的な契約内容をご説明いたします」
先ほどの賛辞が嘘のように素っ気ない態度で、スエザキは手元のファイルからA3用紙をとりだした。
その素早さといったら、まるでとっとと契約を終わらせて私を帰らせたいかのようだ。
取り出したのはどうやら契約書のようだ。読み手の気力を削ぐような細かい文字がびっしりとならんでいる。
「読みにくくて申し訳ありません。基本的に書いてあることは秘密保持、情報の取扱いについてです。出版前に内容を公開したり、第三者にリークすることがないように契約でしばるわけです。まあ、そんなことは滅多にありませんが念のため……」
そう言ってスエザキは契約書の文面を頭から説明し始めた。
最初こそ私も真剣に耳を傾けていたが、どれもこれも、良識ある一般市民であれば破るわけもない約束事ばかりで、次第に注意力が散漫になっていくのを感じた。さらに、スエザキの自動音声よりも機械的な一本調子は、文章を暗号めいたものに変質させており、読解難易度を格段に跳ね上げた。
スエザキの声は段々と輪郭を失って、聞こえているのに言葉の意味が徐々に理解出来なくなった。私はいつのまにか福島の赤べこよろしく曖昧に首を上下に振るだけになっていた。
そして、スエザキは、その他の一般常識と同列に、あくまでさりげなくこう言った。
「そうそう。これはほんの些細なことですが、著作物の名義は『小宮山真琴』となります。あらかじめご承知おきください」
「…………は?!」
無視出来ないセリフが聞こえたような気がして、思わず声が出た。結構な声量だったが、スエザキは顔色一つ変えない。
「どうかなさいましたか?」
「いや、スエザキさん、申し訳ない。少しぼうっとしてしまったらしい。もう一度言ってもらえるか?」
「ええ。かまいませんよ」
スエザキは人差し指の爪をテーブルに二度ぶつけた。コツコツという乾いた音が部屋に響いた後、録音かのように先ほどと同じ口調で言った。
「坂本さんによって書かれた著作物はアイドル『小宮山真琴』の名義で弊社から出版されます」
「……はぁ?!」
やはり聞き間違いではないらしい。
しかし、全く何を言っているかわからない。
「……それはいったい、どういう」
「わかりませんか? ようするに坂本さんには……」
アイドルのゴーストライターになって欲しいのです。
だってアイドルが書いたほうが売れるじゃないですか 1103教室最後尾左端 @indo-1103
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