004「転機」
『書籍化の打診が来ています』
某小説サイトの「運営からのメッセージ」に来ていた通知が目に入ったとき、私の心中に最初に去来したのは「困惑」であった。
自分が天才作家であることは明々白々の事実であり、その事実にいつまでも気づかない世界、いや、諸君に対して日夜憤ってきたのは先述のとおりである。
だからといって、なんの前触れもなく私の才能が認められてしまうと、それはそれで受け入れがたいものがあった。
すぐにメッセージの内容を確認すると、そこには私の作品への賛辞、小説家デビューへの誘い、近日中にアポを取りたい旨、返信用のメールアドレス、そして以上のことは他言無用であることが書かれていた。
文面は簡素で、必要最小限のことしか書いていない。絵文字はおろか、「!」も「?」もない。正確かつ事務的な口調である。
諸君、勘違いしないで頂きたい。私が自分の才能について過剰なまでに声高に主張していたのは、他のだれもそのことについて語ってくれないからである。私とて私の魅力について語る人間が周囲にわんさかいれば、「そんなことないっすよ。ナハハ」と謙遜してみせるだけの謙虚さくらい持ち合わせている。
裏返していえば誰も私の事に興味が無いという事実があるからこそ、堂々と自分の天才ぶりについて語る事ができるのであって、世間に自分の能力が認められるような事態になれば、私は単に鼻持ちならないオタンコナスに成り下がってしまう。それは私の本意では無い。
人生で経験したことのないような困惑の中、さしあたって私はこのメッセージになにかしらの結論を出す必要があった。返事は一週間以内にほしいとのこと。それ以上の期間反応がなければこの件はなかったことにして欲しいとある。
私は大急ぎで返信用の文面作成にとりかかった。まずは作品を読んでもらったことについて慇懃に謝辞を述べ、数あるネット小説の中から私の事を選んで頂いた喜びを表現し、書籍化の打診について快諾する旨を書き記した。
その時の私が少々舞い上がっていたことは認めざるをえない。キーボードをたたくのに合わせて画面に出現する文字の配列は、恋文と見まがうほどの情熱と暑苦しさが同居していたが私は全くそれに気づかなかった。
そして、アポについては上司を殴ってでも有給を勝ち取るのでいつでもかまわない旨を書いているあたりで、はたと「こんなうまい話があるのだろうか」という本来一番最初に検討すべき問題にたどり着いた。
冷静に、客観的にみれば、この打診は酷く怪しい。私が天才小説家であることはもう言うまでもないが、現状、私の創作における実績は皆無である。受賞歴もPV数もフォロワー数も、他の書籍化作家と比較すればハナクソもいいところだ。そんな私に突然書籍化のオファーが来るなんて、いくらなんでも胡散臭すぎる。
もしや、このメールは新手の詐欺なのではないだろうか。こんなものに律儀に返事をするなど、有村○純からの「こないだはありがとう♡メアド変えたから登録よろしく(゜▽゜)/」に「人違いだと思いますよ(笑)」と返信するような愚行なのではないかという懸念はぬぐえない。
しかし、しかしである。この世に「売れないネット小説家」だけをピンポイントで狙った詐欺メールなどあり得るのだろうか。閲覧履歴から広告がパーソナライズされる時代である。詐欺メールだって個々に細分化が進んでいても不思議はない。とはいえ、これはあまりにもニッチが過ぎるのではないか。そんな狭いターゲットの為にわざわざ文面をこしらえるなど、よっぽどヒマでのんびりとした連中だと思われる。詐欺グループにしてはあまりに牧歌的過ぎる。
ここは思い切って返事を……いや、しかしこれはあまりにも……。
様々な憶測が脳内に飛び交い、画面上の矢印は、返信用アドレス宛の「送信」ボタンの上を右往左往した。信じたい気持ちとあり得ないと疑う気持ちが入れ替わり立ち替わり私の脳内を上書きし合う。まさしく半信半疑である。
かように心中混濁した中、ふとメールの一文が目に入る。
「この好機をお見逃しすることのないよう、できるだけお早めの回答をお願い申し上げます」
好機。そう、これは好機である。人生を変える、またとないチャンス。もしもこれが本当に書籍化の打診だったとしたら、みすみす見逃すなどもったいなさ過ぎる。そうなれば私は、返信しなかった私を一生恨み続けるだろう。
月並みな表現だが、やらずに後悔するくらいなら、やって後悔するべきだ。半信半疑ということは、半分は信なのだ。この世には四捨五入という素晴らしい金言もある。つまり、半信は全部信であり、何の問題も無いということだ。
「頼むぞ……」
一世一代の大勝負である。私は人生を変える覚悟を決め、あらゆる非希望的観測を脳内から排除し、少し震える指で祈るように返信ボタンを押した。メールが飛び立つ音が、普段より勇ましく聞こえたのはきっと気のせいではないだろう。
返信はわずか数分で来た。そのレスポンスの早さは私の葛藤と覚悟を嘲笑うかのようであった。メールには返事の簡単なお礼と打合せの日程候補、都合のいい日付を連絡して欲しいという内容が記されていた。何万回もコピペが繰り返されて来たのであろうその事務的な文面は、どこかメールの送り主であるスエザキという男のすり切れた疲労感を思わせる。私は送られてきたスケジュールに目を通し、適当な日程を選んで回答した。
編集者とのこうした作家っぽいやりとりに、やや興奮していた感は否めない。私はそれからスエザキとの打合せの日まで、どこか落ち着かないふわふわとした気分のまま過ごした。ふとしたときにスエザキからのメールを思い出し、口元がにやつく。
あまりにもふわふわしすぎて、仕事で細かいミスを連発し、上司から叱責と皮肉を幾度となく頂戴したが、それでも幸せな気分は途切れることがなかった。
ここから私の新しい人生が始まる。退屈で変化のない今の仕事ではない。ずっと思い描いていた作家としての華やかな生活がスグそこまで近づいている。私はそう信じて疑わなかった。なんなら来たるべき時のためにサインの考案とかもした。その浮つきっぷりは見るに堪えがたく、思い出すだけで気恥ずかしさで頬がほてるほどだ。
しかし、打合せ当日、私を待ち受けていたのは、酷く冷たく鋭い現実であった。
飲むだけで痩せる錠剤などこの世にないように、可愛い子には大概カレシがいるように、うまい話には必ず裏がある。
そんな当たり前のことに、私は気づいていなかった。
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