第8話 怪物との対峙

『ごめん!今日は用事があって会えない(>_<)』


「……」


 スマホの画面に映る無慈悲な文言を見つめながら、勇吾は一人嘆息した。

 人狼との対決を決めた矢先にこれは、若干出鼻をくじかれた感じではあるが……。しかし、この程度で揺らいではいけない。たとえ一人だとしても戦わなくては。

 それに、相談に乗ってもらうだけだとしても、危険に遭わない保証があるわけでもない。そう考えると、かえって先輩を巻き込まなくて済んで良かったのかもしれない。

 そうポジティブに考え直すと、勇吾は持ってきたリュックサックを地面に置き、ぐるりと周りを見渡した。

 周囲は木々に囲まれ、背後には自らが歩いてきた、舗装された山道が見える。そして正面には、勇吾の住む町の全貌を見渡すことのできる光景が広がっている。

 ここは町の外れにある山の中腹に作られた高台。休日にはハイカーや登山者が多く訪れる人気のスポットではあるが、平日の昼過ぎの今、周りに人気は無い。

 勇吾は人狼との対決の場として、まず周囲に被害が及ばない場所としてここを選んだ。この場所ならば仮に勇吾が人狼として暴走したとしても、誰かに被害を及ぼすことはない。


「昔はピクニックで来たなぁ」


 まだ両親が健在の頃、春先に家族でこの場所によく訪れていた。あの頃は勇吾も有希も普通の子供で、高台をゴールにして舗装路を競争して駆けっこしていたものだった。

 最後に訪れたのは両親が亡くなる数か月前だったか。それ以来、有希と一緒に遊行に行く機会などめっきり少なくなってしまった。

 僅かばかりの間思い出を懐かしんだ後、勇吾はリュックサックを開き、中から光を反射して鈍く輝く物を取り出した。

 勇吾が用意した切り札。それは銀製の食卓ナイフだ。

 これは家の押し入れの奥に眠っていたもので、おそらく両親が知人の結婚式の引き出物として貰い、所有していたものだった。

 狼男は銀の武器に弱い。勇吾でも知っている有名な逸話だ。まあ、話に知っているのは矢だったり銃弾だったりでするので、こんな小さく切れ味の悪そうなナイフにどれほど効果があるか分からないが……。だが、無いよりはマシだろう。


「頼むぞ…」


 懐にナイフをしまい込み、いつでも取り出せるようにしておく。頼りない武器だが、それでも頼みの綱が傍にあることは、思っていた以上に勇吾に安心感を与えた。

 服の上からナイフをポンポン、と叩き、深呼吸をする。

 準備は十分とは言えない。何か策があるわけでもない。しかし、対決するという覚悟を決めて来たのだ。

 家族のため。知人のため。そして自分のため。人狼なんてものに負けるわけにはいかない。


「……よし」


 意を決して、リュックサックの中から例の毛皮を取り出す。人狼を呼び出す術を直観で理解している状況は、僅かばかりの気味悪さを感じる。しかし逆に考えれば、勇吾には戦う術があるということでもある。

 そう。戦うことができるのは俺だけだ。心を強く持て。人狼の声に備えろ。俺は俺だ。――人狼じゃない。

 ごくりと息を呑み、覚悟を決める。そして――勇吾は毛皮を頭から被った。


「出てこいよ人狼。いるんだろ?」


 しんと静まり返った静寂。返答は無い。問いかける言葉は静けさに溶けて消え、風にそよぐ木々のざわめきだけが聞こえてくる。

 当てが外れた?――いや、違う。梢の葉擦れの音に紛れて、何かの息遣いを感じる。

 ――奴だ。直感でそう感じ取る。人狼が勇吾の中に潜みながら、こちらを窺がっている。


「聞いてくれ人狼。話がしたい」


 もう一度そう問いかけると、何かが暗闇から這い出てくるように、どこからともなく気配が沸き上がってきた。


⦅ひい、ひい、ひい。今日は俺に怯えないのかい?⦆


 耳障りな擦れた声。おおよそ人の言葉とは思えないほどしゃがれているそれは、まぎれもなくあの夜の人狼のものだ。


「話がしたいんだ」


 人狼の挑発なのか気遣っているのか分からない言葉を無視し、対話の意思を伝える。

 無論、怯えていないわけではない。だが、こちらの弱さに付け込まれたら対等な会話などできない。毛皮を被る手を強く握りしめながら、声が震えないように注意を払いながらゆっくりと語りかける。


「俺と話そう。人狼」


⦅……いいだろうぅ⦆


 すると、人狼はこちらに応える返事を発した。会話が成立したことに一先ず安堵する。以前のように、こちらの言葉がまったく届かない可能性があっただけに大きな進展だ。

 勇吾は慎重に言葉を選びながら言葉を発した。


「俺がお前に求めていることは一つ。俺の体から出て行って欲しい」


 相手を刺激しないように、ゆっくりと話す。どんな言葉が気に障るのかは全く分からないが、普通ならば嘘をつくことはよくない。なので自分の本心を包み隠さず伝えた。これが吉と出るか凶と出るか。


⦅それは無理だぁ。はすぐにヘタれたが、お前は住み心地がいぃ⦆


 相も変わらずしゃがれている声からは感情の揺らぎを感じ取れない。だが、少なくとも勇吾の言葉に腹を立てている様子は無い。

 そして分かったことが一つ。この口ぶりからして、人狼は勇吾にしたように、人間に乗り移ることで動いているようだ。

 あの夜のように、人狼として襲い掛かることで人から人へと乗り移り、移動してきたのだろう。――そしてその道中、二人の女性が犠牲となった。


「だけど、今までのように体を乗っ取られると俺が困るんだ。どうにか俺にも気を遣えないか?」


 人狼の一番の目的は妹を喰うことではなく、勇吾の体自体。それならば、交渉する手立てもある。


「もしこのまま俺が人を喰ったら、警察っていう人間たちに捕まることになる。そうなったら肉なんて食えなくなるぞ?」

 

⦅……⦆


 自分自身を盾にする。それが人狼相手の交渉材料だ。

 人狼の発言から、乗り移る対象は誰でも良いわけでは無いのだろう。その条件はよく分からないが、簡単に見つかるとは思えない。ならば、勇吾自身を担保にして不利益をちらつかせる。怪物と渡り合うにはそれしかない。

 薄っすらではあるが、解決策が見えてきた。このままこちらが主導権を握ってしまえば――


⦅ひい、ひい、ひい⦆


 だが、人狼は勇吾の考えを見透かしたように甲高く嗤った。


⦅人間。俺を唆そうとしてるのか?⦆


「……!」


 こちらを小馬鹿にするように喉で唸る。まるでお前の浅知恵など見抜いていると言わんばかりに。


⦅俺が捕まる?だからどうしたぁ。喰わない理由になるかよ⦆


 「……警察を甘く見ない方がいいぞ。銃だって沢山持ってる」


 ひっ、と短く噴き出す声。


⦅ならその前にたらふく喰わんとなぁ。たとえば…お前の妹とかな⦆


「お前……!」


 倫理観が違い過ぎる。会話が成り立っても、理解することができない。今更ながら、人外を相手にしているということを痛感する。


「人間二人喰ってもまだ空腹なのかよ……!」


⦅二人ぃ?⦆


 とぼけたような声を発する人狼に怒りが湧いてくる。見ず知らずの犠牲者たち。彼女たちにも家族がいて、友人がいて、大切な人がいたんだろう。そんな人命を奪っておいて、何も感じていないようだ。その態度がどうしようもなく腹立たしい。


「二か月前と一か月前!その時も人間を喰ったんだろうが!」


⦅ひい、ひい、ひい⦆


 相変わらずこちらを馬鹿にするように嗤い続ける人狼。……だめだ。交渉は成り立たなかった。人外相手に話し合えると思ったことが失敗だったのだろう。――ならば、奥の手を出すしかない。

 勇吾は懐に忍ばせておいたナイフを取り出すと、即座に自らの喉元に添えた。


「また人を喰うって言うなら――ここで死ぬぞ!」


 このままナイフで切り裂けば勇吾にとっては致命傷。そして銀製であるなら、人狼にもダメージが及ぶ可能性が高い。

 ――伝承を信じるなら、だが。

 頼むから脅しになってくれよ――そんな期待を感じさせないように、毅然とした口調で人狼に告げる。


「俺と一緒に死にたいか?」


⦅……お前に、そんなことができるか?⦆


 鼻を鳴らして呆れたような態度が伝わってくる。信じられないなら、行動で示すしかない。

 少しだけナイフを持つ腕に力を込める。喉に鋭い痛みが走り、血が滲む感触がする。


「お前は俺の体で妹を喰おうとしてるんだろ?そんなことをするぐらいならここで死ぬ」


⦅……⦆


 さらに力を込める。刃が少しずつ、少しずつ深く喉に入り込んでいく。垂れてきた血が服の襟を濡らしていく。


⦅……チッ⦆


 どうやらこちら本気であることが伝わったのだろう。舌打ちをするとこちらに向き直るように語りかけてきた。


⦅人間を喰わなければ俺が死ぬ。死んでたまるか⦆


「だから俺の妹を喰うのか。あの二人のように?」


⦅お前はさっきから何を言っているんだ⦆


 呆れたような態度が声からでも伝わってきた。

 その言葉に引っ掛かりを覚える。まさかコイツ――本当に知らない?


「何って……殺して喰ったんだろ?女性二人を……。それでこの町に逃げて来たんだろ?」


⦅知らない⦆


 途端に嫌な予感がする。

 俺は何か勘違いをしていた?今まで連続殺人事件を人狼によるものとして考えていたが……まさかそうじゃなかった?

 いや――待て。違う。最初に人狼が勇吾の体に出現したあの夜。コイツは一体なんと言っていた?


(まだ、何も喰ってないんだぁ。死んでもらっちゃ困るんだよ)


「――」


 もしもコイツの言葉が嘘じゃないなら。最初から何も喰っていないという意味ならば。


⦅俺はただ……


 コイツの他に――――!



 ピリリリリリッと――その場の雰囲気を裂くように、勇吾のスマホが鳴った。



 思わずビクリとする。急いで聞かなくてはならないことがあるが、とりあえずナイフを懐にしまって慌ててスマホを取り出す。

 画面には有希と――妹の名前が表示されていた。


「はい!ゆ、有希か?」


『うん。お兄ちゃん今どこにいるの?』


「へ?どこって――」


 思わず周りを見渡すが、目に映るのは木々と町を見下ろす光景のみ。流石に山を登っているとは言えない。


「ちょっと用事があって郊外に郊外にいるけど」


『今日ファミレスのバイトじゃなかったの?お店の人に聞いても今日は休んでるって言われたから電話したんだけど……』


「ああ、急な用事が入ったから……えっと、有希は今ファミレスにいるのか?」


『うん。お店の近く』


「どうしたんだ?何か用事か?」


『……今朝のこと。謝りたくて』


 有希は後悔の念を滲ませながら、ぽつりぽつりと謝り始めた。


『ごめん、なさい。お兄ちゃん、ずっと忙しくても頑張ってたのに。私、お兄ちゃんの気持ちも考えずに……』


 有希の謝罪に思わず叫びそうになる。そんなことない、悪いのは自分だと。


「違う!俺が有希に隠し事をしてたのが悪かったんだ。有希のせいじゃない」


『ううん。お兄ちゃんが私のことを想って隠してたんだなって分かってたもの。だから、私が……』


「とにかくすぐそっちに行く。店の中で待っててくれ」


 今にも泣きだしそうな妹の声に、勇吾は慌てて広げていた荷物を片付ける。電話を耳に当てながら服装を整える。


「気にしなくていいから、何か頼んで食べながら待っててくれ。いいな?」


『うん。……あれ?』


 耳に有希の困惑したような声が届く。その様子に眉を顰めると――



『ゥウオオオオオオオオオオッ』



 大型犬のような――野太い遠吠え。

 だが、勇吾は直観で気づいた。犬では、無い。



 俺と、同類だ。



 肌が粟立つ。嫌な予感が的中したことを、最悪な形で実感した。


「有希!逃げろ!」


『キャ――』


 ゴッ、と鈍い音と、アスファルトを擦るようなガリガリという音が立て続けに聞こえる。

 おそらくはスマホが落下した音。――それだけで、あってくれ。

 僅かな希望を願って有希に呼びかけ続ける。


「有希!聞こえるか!?有希!」


 返事は――無い。代わりに、勇吾の耳に届いてくる音がある。


 それは、フー、フー、と。まるで、獣のような荒い息遣いが――。


「――ッ!!」 


それを聞いた瞬間、勇吾は即座に荷物を背負い、全速力で駆け出した。

 


 




 


  

 

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月下ゴーストストーリーズ 柿炭酸 @kakisoda

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