オレじゃない、僕でもない

日本の夏は暑い。

その暑い夏に、劇団「ハコニワ」の看板俳優のモトキとケイコが、中野の安居酒屋にて、サシで飲んでいる。暑い夏の中、ケイコの口調はかなり熱い。それに対し、モトキは弱々しく情けない。しかし、モトキはケイコの熱さに飲み込まれることはない。のらりくらりとやり過ごしている。お互い、けっこうなビールが入っていて、目の座り方が半端ない。

「だから、迷惑なのよ。そりゃ、あんたには直接苦情はこないよ。あんたがなにも言えないように仕掛けたからね。その結果、苦情があんたの周りの人にくるのよ」

「そもそも、なにが不満で苦情になってんの? オレは、最初にしっかり説明したよ。それで不満をもらすのは筋違いじゃない? というか、直接オレに言ってほしいよ」

「説明したからOKって発想が、まずダメ。あんた、しっかり説明されて、消費税が25%にされて納得できる?」

「いや、できないな。だけど、……」

「でました、『だけど』。生まれて二十数年、『だけど』の後に続く言い訳って、ロクなものがなかったわ。だいたい、女の子を六股して罪悪感がないの、どうなの? ここは日本よ。ニッポン。ニッポン! 一夫一妻の国ニッポン! 六股かけたいなら、一夫多妻の国にでも移住したら」

「だから、しょうがないだろ。みんな愛しているから。一人にしぼるなんて、オレには無理なんだよ!」

「その結果、愛している女の子たちを悲しませているのよ。愛している女の子が悲しんでいるのはいいの?」

「……」

「あらあ、ケイコ、やたら熱いじゃない」

モトキとケイコの席に、一人の女が乱入してきた。ビールジョッキ片手に、座った目をしつつもニコニコしている。

「やだ、なんでここにマミがいるの?」

ケイコはうれしそうに、乱入した女の手を握った。

「向こうの席で、会社の同僚と飲み会やっているの。もう、つまらない飲み会だったから、会計前にバックレようかなって考えていたら、心の友と書いて『シンユウ』の声が聞こえたから、ちょっと来ちゃった」

「そうだったの。まあ座って。そのまま、会社の飲み会バックレちゃって」

乱入した女を心から歓迎する一方で、モトキはキョトンとしかできなかった。モトキにとっては見知らぬ女だった。それに気づいて、乱入した女は自己紹介を始めた。

「どうも、麻倉マミです。ケイコとは高校からの付き合いで、お互い、いろいろ語りあっているから、あなたのことは知っています。ケイコは、自分の劇団のことも楽しく話すし、観た映画なんか熱く語るし、そして、あんたの女癖の悪さにはウンザリした目でぼやく」

 モトキの汗が止まらないのは、決して夏の暑さのせいでない。これから、二人の女に責められるであろう恐怖だ。ネズミは猫と鉢合わせしたら、たいてい、恐怖を感じ逃亡をするだろう。しかし、まれに恐怖で判断を誤り、猫へ噛みつくこともある。俗に言う「窮鼠猫を嚙む」というやつだ。モトキは逃げずに噛みついた。

「なんだよ! そんなにオレが悪いのかよ! オレは自分の気持ちに素直なだけだよ! オレが悪かったら、ボスザルも悪いだろ! 雄ライオンも悪いだろ!」

「てめえは畜生と同レベルか」

マミの静かな一撃が、モトキを黙らせた。マミはさらに続ける。

「畜生レベルのくせして、『オレ』『オレ』って、偉そうに。なんだろう、男ってさ、一人称が『オレ』のやつ多いけど、『オレ』ってなんか偉そうじゃない?」

「わかる。一人称『オレ』に見合う男ってなかなかいないよね。やっぱ、『オレ』というくらいなら、肩にタオルかけて、ロックぐらい、歌ってほしいよね」

ケイコはマミの言葉に同意した。牙を抜かれたモトキはおそるおそる提案する。

「なら、『ぼく』がいいですか?」

「てめえはどこぞの坊ちゃんだよ!」

そう言って、マミは持ってきたビールを飲み干した。さらに続ける。

「一人称『ぼく』は、いいとこのボンボンか、小学生の男の子が使うのがピッタリなんだよ。普通の成人男性が使ったら、なんか、弱々しくて頼りないだろ」

マミの偏見は止まらない。そのマミに対し、モトキはおそるおそる提案しかできない。

「『ぼく』もダメ、『オレ』もダメ、なら自分をなんと呼べばいいのですか? 『なにがし』ですか?」

「てめえ、ふざけてんのか。今、時代は令和だぞ」

マミは勝手にモトキのビールを飲み干した。さらに続ける。

「たしかにてめえは『ぼく』も『オレ』も似合わない。なら、何が似合うか、……、難しい問題だな」

マミはそう言って黙りこんだ。ケイコがつぶやく。

「そうだよね。男の一人称って、『オレ』だと偉そうだし、『ぼく』だとなんか頼りないから、一般の男に最適な一人称って、考えるべきよね。『わたし』はなんか公的な感じだからちがうよね。マミはどう思う。……、マミ、……、マミ、……、ひょっとして寝てる?」

「……、いやいや、あたいが酒の席で寝るなんてぜったいしない」

「……、これだ!」

「何が?」

「『あたい』、これなら『オレ』ほどの偉そうな感じはないし、頼れる感じがあるから、男の一人称の新しいスタンダードになるよ」

「さすがケイコ! モトキ君、てめえは今日から一人称『あたい』を使っていきな」

 こうして、モトキの一人称は「あたい」になった。

そして、六股から三股に減った。

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ヤツの支配する世界 宍戸ヴィシャス @shishidovicious

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