ヤツの支配する世界

宍戸ヴィシャス

馬の独り相撲

駅からすこし離れ、閑静な住宅街のとあるマンション地下に、バー「エイミー&リサ」がある。カジュアルでオシャレな店内、リーズナブルなうまい酒、そこそこにおいしい肴、そして、マスターの趣味から抜け出せない音楽で、近隣の住民に愛されている。そして、「エイミー&リサ」のマスター一ノ瀬は、平日は一人で店を回している。

 この日、「エイミー&リサ」の始まりは静かだった。開店して間もなく、常連の男が、一、二杯飲んで帰っていった。その後も、数組入店があったが、長居するわけでなく、数杯のんで帰っていった。夜九時前には、お客さんはいなくなった。

「ここからが、バーの稼ぎ時なんだけどね、……」

マスターはつぶやき、音楽をクラシックのピアノ曲に変えた。クラシックな気分だった。たまに、マスターは静かな気分になりたいとき、クラシックをかける。音楽は沈黙よりも静かなことがある。

「こんばんは、二名、大丈夫ですか?」

静かな気分をぶち壊す、若い男の声。見ると、学生らしき男女が入り口に立っていた。普段のこの店は、客層がアラサー以上なのだ。若いお客さんは珍しい。

「どうぞ、お好きな席をどうぞ」

マスターが言うと、学生らしき男女は、カウンターの端の席に腰をおろした。

「へえ、ヨウスケ君、よくこんなお店知っているね」

女はそう言って、店を見回す。女はセミロングの髪に、グリーンの縁のメガネ、その奥にあるくっきり二重の瞳、そして、整った顔と体型。ドラマなら、女検事役がぴったりな美人だ。

「いやいや、山中センパイなら、こんな店、好きかなと思って。前きたときは、古い洋楽がかかっていたんすよ。今日はクラシックか」

男はそう言って、だらしない笑顔を見せた。男は、幼さがまだ残る顔立ちに、可も不可もない体型。ドラマなら、せいぜい証言者その一がいいところの、まあ、そんな感じの男だ。

 マスターは、珍しい若い客を観察する。

 男の方は、明らかに、酒を飲む前に、一緒にいる美女にも酔っている。苗字でセンパイと呼んでいるのだから、深い関係ではなく、憧れのセンパイだろう。女の方は、……、よくわからない。愛想のいい笑顔を浮かべているが、それが表面的で、どうも奥までは読めない。まんざらでもない顔にはみえる。

 マスターは、二人におしぼりをわたし、最初の一杯を聞いた。

「じゃ、オレはバドワイザーをください」

「すいません、メニューにないけど、シンデレラってつくれます?」

女のリクエストに、マスターはOKした。

「山中センパイ、なんすか、シンデレラって?」

「そういうカクテルの名前」

「すげー、センパイに超似合うカクテルじゃないっすか」

「えー、それってどういうこと?」

「いやいや、王子様を一目ぼれさせるほど美しいってことですよ」

「もー、やめてよ。わたし、舞踏会で踊る気はまったくないから」

マスターは注文を聞き、まず、ヨウスケと呼ばれる男には、冷蔵庫からボトルを出し、栓を抜いて出す。

そして、山中センパイと呼ばれている女のカクテル。オレンジジュース、レモンジュース、そしてパイナップルジュースをシェイクしてグラスに注ぐ。これがシンデレラだ。

「センパイ、すごいオシャレなカクテルっすね」

「うん、しかもとっても飲みやすい。これなら何杯でもいける」

「マジっすか。どんどんいきましょう」

ヨウスケ君は、鼻の穴をふくらました。幼さの残る顔立ちが、スケベ親父な顔つきに変わる。マスターは、そんなヨウスケ君を残念な目でみることしかできなかった。

 まず、シンデレラはノンアルコールカクテルなのだ。

 とっても飲みやすいはずである。アルコールなんて入っていないのだから。山中センパイは、酒でもヨウスケ君にも酔う気はないようだ。ヨウスケ君はこの後、センパイが酔ってしまい、あわよくばなことを計画しているであろう。

ただ、シンデレラは酔うことはできない。

二人はつまみにチーズ盛り合わせとミックスナッツを頼んだ。どうも、二人は大学のマンガサークルのメンバーで、最近読んだマンガの話で盛り上がっていた。ヨウスケ君はいろいろなボトルビールを楽しんでいた。一方、山中センパイは、シンデレラしかおかわりしていない。

「そういえば、今日はあの新刊発売日だったよね」

山中センパイが切りだした。

「そうでしたね」

「ここに来る前に、本屋あったよね。帰りに買っていこう」

「でも、そこの本屋、十時閉店っすよ」

「本当?なら、もう閉まるじゃない。ちょっと、買ってくる。往復しても十五分かからないでしょ」

「なら、オレが行きますよ。あの新刊ですよね。パッと行ってパッと帰ってくるんで」

言い終わらないうちに、ヨウスケ君は席を立ち、店を飛び出した。ここで、店内はマスターと山中センパイの二人きりとなる。

 山中センパイは、グラスに残っていたシンデレラを飲み干した。そこでマスターは声をかける。

「おかわりは、同じやつで?」

「ええ、お願いするわ」

マスターはシェイカーに材料を入れてシェイクする。今度は山中センパイが、マスターに声をかけてきた。

「連れがさ、とってもいいお店を見つけたから、一緒に行きましょうって、声をかけてくれたの。しつこさに負けて来てみたけど、本当に素敵なお店ね」

「ありがとうございます」

「これはわたしの偏見だけど、こういう店のマスターって、やたらと勘が鋭いのでしょ」

「……、想像に任せますよ」

「……、どこまで気づいています?」

「シンデレラのカクテルには、十二時前には帰るという意味、込めてました?」

「あたり」

「今日発売の新刊は、連れのヨウスケ君を外に出す口実に使った」

「そう。マスターとは、念のためだけど、二人だけで話したかったから」

「……、念のためとは?」

「新規の若い男女が、お客として来ました。さて、この新規のお客様が、一度だけでなく、通いのお客にするには、どうしたらいいでしょう? ……、答えは、この店に思い入れをつくる。たとえば、ここでのきっかけで深い男女の仲になるとする。そうなったら、ここは思い出の場所となり、別れるまでは常連として来てくれるだろう」

ここまで話して、山中センパイは少し間をおいた。マスターは黙ってシンデレラを差し出す。山中センパイはそれに少し口をつけて、さらに続ける。

「しかし、みるからに女の方は、連れの男を男として見ていない。ここで何も起きなかったら、新規のお客様がそれで終わってしまう。ようするに、マスターとしては、このあとわたしとヨウスケ君は、深い仲になってほしいのでしょ。そのためにヨウスケ君の後方支援をする気もある。……、そうじゃない?」

「半分正解ですね」

マスターは正直に答えた。

「なにが正解で、なにが間違っている?」

「君とヨウスケ君が深い仲になってほしいのは正解だよ。でも、そんな常連にしたい、うんぬんではない。前にヨウスケ君、一人でここに来たんだ。バー初体験だったみたいで、えらく感激してくれた。オレみたいなおじさんからは、ヨウスケ君みたいな若造がかわいくて応援したいだけだよ」

「うん、わかる。ヨウスケ君、後輩としては、すごいかわいいの。だけどなぁ、男としては無理だな」

「なるほどね。ヨウスケ君はシンデレラの王子様にはなれないわけだ」

「むしろ、こんなステキなお城に連れてきてくれたカボチャの馬車の馬だよね」

「そうか、君のなかではヨウスケ君はその程度か。なら、十二時をすぎたら魔法がとけてネズミに戻るのか?」

「いや、ヨウスケ君の場合は、ネズミというより、ウサギになるかな。とにかく、わたしたちに、余計なことはしないでちょうだい」

「するもなにも、こちらからできることなんて、ほとんどないだろ。シンデレラはノンアルだと教えちゃうとか?」

「あら、よくあるじゃない。マスターが男とグルで、酒強めのカクテルで女をつぶしちゃうとか」

「そんなこと考える男は、うち、出禁にしているんだ。そもそも、君ならそんな男にやられないだろ」

「あら、初対面なのに、わたしの何をしっているの?」

「こういうお店のマスターは、勘が鋭いからね」

「とりあえず、マスターとしっかり話せてよかった。今度、かわいい女の子の友達と一緒にくるから。そのときは、シンデレラにメッセージをこめたりしないで、心置きなく飲むから。マスターおすすめのウィスキーを、ロックで飲んでみたいな」

「ありがとう。ところで、ヨウスケ君は魔法がとけると、ネズミというよりウサギになるというのは、……」

 ここまで話したとき、扉がひらいた。ヨウスケ君が戻ってきた。

「遅くなってすいません。閉店間際のくせして、レジが並んでいて」

ぜんぜん遅くなっていない。おそらく、往復を全力で走ったのであろう。全身汗だくになり、鼻水、涙、よだれを垂れ流して、ゼエゼエと息を切らしている。

後輩としてはかわいいけど男としては無理。

山中センパイの評価が納得できる姿だ。マスターは、ヨウスケ君にお冷とおしぼりをわたした。ヨウスケ君は一言お礼を述べグイっと飲み干し、顔を拭き、山中センパイにだらしない笑顔を向けて話し始めた。

 あいかわらず、ヨウスケ君と山中センパイは、マンガについて語りあっている。マスターはこのあとの二人を予想してみる。おそらく、ヨウスケ君は憧れのセンパイをしつこく誘い、念願かなっていっしょに飲むことになった。ただ、これで終わりではないはずだ。さらに親密な関係を望んでいるだろうし、そのための何かが、きっとあるはずだ。

 そして、ここまでは山中センパイにも予想しているはずだ。

 男と二人きりでバーに来て、何もならないなんて甘い考えだ。だから、山中センパイはメニューにないノンアルコールカクテルでシラフを維持して、マスターに自分の意思を伝えた。後輩としては気に入っている分、現状の関係を維持しつつ、親密な関係を回避する方法を模索していると思う。手っ取り早いのは、このままマンガ談議で終わらせて帰ってしまう方法だ。ごめんね、明日早いから今日はおひらきにしようとか言って、とりあえず、始まらせないうちに終わらせるのだ。

 しかし、山中センパイはそんなあやふやな手段をしないような気がする。こういうお店のマスターの勘だが、もっとハッキリとした手段をするつもりでいる。それはどんなものかはわからない。山中センパイ本人も、まだ、明確なビジョンはないかもしれない。

 ヨウスケ君は、魔法がとけるとネズミというよりウサギになる。

 なんとなく、マスターはこの言葉を気になっていた。


「そういえば、今、家族心理学できょうだい関係におけるパーソナリティの形成について、講義を受けているんすよ」

 ヨウスケ君がつぶやいた。初めてマンガ以外の話がでた。ヨウスケ君の酔った赤ら顔に、すこし緊張の色がみえた。手にしていたハイネケンのボトルを、グイっと飲み干した。

 ここまで分かりやすく仕掛けてくるとは、マスターも山中センパイもわからなかった。正直、もっと自然に仕掛けてほしかった。

「へえ、なにそれ?」山中センパイは尋ねた。

「たとえば、長男だからしっかりしているだとか、末っ子だから甘えん坊だとか、きょうだいの位置で性格が決まるのではないか、それを実際に研究されたことがあって、その一つにトーマンのきょうだいプロフィールがあります」

 ヨウスケ君の口調が、ですます調に変わった。プレゼンのスピーチで、何回も練習したような口調だ。実際、何回も練習したみたいだ。

「山中センパイは、きょうだい、だれかいますか?」今度はヨウスケ君が尋ねた。

「三つ下の弟がいるけど」

「そうなると、弟をもつ長女ですね」

ここでヨウスケ君は一息おき、ハイネケンのボトルに口をつけたが、すでに空だった。気にせずに続ける。

「トーマンのきょうだいプロフィールによると、弟をもつ長女は、独立的でくじけにくく、楽観的だけど、寂しがりやということです」

「すごい。あたっている」

「つまり、弟をもつ長女は、どういう女性かといいますと」

ここでヨウスケ君は一息おき、あたりを見回す。ですます調になってから、ヨウスケ君の語りは人を惹きつけた。山中センパイだけでなく、マスターもヨウスケ君の一挙一動を注目させた。あたりを見回していたヨウスケ君の視線は、山中センパイの顔にとまった。

「ぼく好みの女性です」

そう言って、ヨウスケ君は山中センパイを見つめる。さらに続ける。

「山中センパイみたいな女性がそばにいてくれたら、ぼくはどんなに幸せだろうと思います」

ヨウスケ君の真剣なまなざしは、山中センパイから離れない。山中センパイは、まず、ヨウスケ君から視線を外し、シンデレラに一口つける。しばらく、無言が続く。店内にはエルガーの「愛のあいさつ」が流れていた。

「あのさ」山中センパイが口を開いた。

「わたし、ヨウスケ君にきょうだいの話なんてしたことあった?」

「いや」

「なんで、わたしが弟をもつ長女だって知っているの?」

「いや、知らなかったです」

「なら、どうして?」ここで山中センパイの眼が光った。

「センパイがどんなきょうだいがいても、対応できるようにしていました」

「たとえば、わたしに姉がいたら」

「女きょうだいの末っ子は、変化と興奮を求め魅力的ということで、ぼく好みの女性です」

「妹がいたら」

「女きょうだいの長女は、気づかい上手で献身的ということで、ぼく好みの女です」

「つまり、それってさ」ここで山中センパイは挑発的な笑顔をヨウスケ君に向けた。「女なら、だれでもいいってことだよね」

ヨウスケ君の赤ら顔が、一気に蒼ざめた。「いや、その、……」となにか言葉を出しそうで、なかなかでない。

山中センパイは財布から二千円取り出し、カウンターに置いた。

「ごめんね、ヨウスケ君。女ならだれでもいい男と深い仲になるなと、ママからきつく言われているの」

そう言って、山中センパイは残っているシンデレラを飲み切って、店を出て行った。



「兄さん、今日は残念だったね」

マスターは慰めのカクテルをヨウスケ君に差し出した。事前に彼が振られることが分かっていたので、慰めにまわる準備はできていた。山中センパイが出ていってから、ヨウスケ君は天井を見つめたままだ。

「まあ、月並みな発言だけど、兄さんはぜんぜん若いから、これからもチャンスはたくさんあるから。まあ、くよくよしないことだね」

「くよくよなんてしていないですよ」ヨウスケ君は天井を見つめたまま、返事をした。「今日は残念な結果でした。でも、次回はこうならないように、今日の反省をしています。酔った頭で反省なんて難しいことですが」

「そうか、ならよかった。……、え、次回があるの?」

聞き捨てならない言葉を、マスターは見逃さなかった。ようやく、ヨウスケ君は上体を戻し、慰めのカクテルを口につけた。

「ええ、次回というか、来週の水曜日、同じゼミの女の子、マリナちゃんを連れてきます。そのときは、ぜったい口説いてものにしてやります」

ヨウスケ君の目には、次回の意気込みで燃えている。慰めのカクテルが、なにもしていないのに、闘志のカクテルに変わっている。

 ここで、店の入り口が開いた。二十前半の女がはいってきた。

「すいません。一人ですが、大丈夫ですか?」女が尋ねる。

「どうぞ、こっちでは大歓迎です」この言葉は、マスターではない。ヨウスケ君だ。さらに続ける。

「実は、いままで一人でチビチビと飲んでいて、さみしかったところです。よかったら、いっしょに飲んでくれますか?」

ヨウスケ君の幼さの残る顔立ちに、ふたたびスケベ親父がにじみだした。

「そういや、ウサギって年中、発情期だったよな」

マスターは、ポツリ、つぶやいた。

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