それは嘘でも本当でもなくて
「————日本にいらしてたんですね、エデュアルト商館長」
「オランダ商館の私用でこっそり入国さ。君とは……十年ぶり、ってところかな」
「アンボンにいた私を逃して下さった日から、そんなに経ちますか」
「久々の再会が獄舎なんて、最悪の一言だけどね」
「私も、こういう形で再会するとは想像もつきませんでしたよ」
「ていうか、囚われの身なのに紙と筆がなんで檻の中にあるのさ。没収されるでしょ、普通」
「こっそり届けてくれる人がいるんですよ。見張りの方にも黙認されていますが、外に知られたら大騒ぎでしょうね」
「やれやれ。どこで作った縁なんだか」
「……。エデュアルト商館長、歴史って【鉄】みたいだと思いませんか?」
「鉄だって?」
「冷たい血の香りがして、強固で柔軟で。——歴史の重みはどれも同じ。そして嘘と真実の錆と共に溶かされては、都合よく形を変えていくんです」
「それって、イギリス文学ってやつ? 僕にはちょっと難解かな〜」
「ふふ、つまらない例えで申し訳ないです。だからこそ今になって……確かめたくなったのかもしれません」
「何を?」
「私達の人生を」
「……。なんだい、この紙の束は」
「日記……回憶録、自分史と言うべきでしょうか。世に出た所で、妄想の物語としか言われないでしょうけど」
「これを僕に押し付けて、どういうつもりだい?」
「価値を付けるのは、お得意でしょう?」
「はぁ……。参ったな、僕はもう商人じゃないよ。オランダ
「理想を得る為なら、差し出す事も惜しまない。それがエデュアルト・オールトという貿易商人でしたね」
「——どうかな。得た分だけ失ってるよ。身近で大切なものを、特に多くね」
「エデュアルト商館長は本当に、大変な思いをされたと思います」
「僕なんかより、君はどうなんだ」
「私、ですか?」
「得を持ち去られて、損ばかり押し付けられて……君が築いた『今』を生きてる人は誰も知らない。……オフィーリア・ハリソンという存在を!」
「それが、私の選んだ生き方ですから」
「影の商館長が作り上げた功績は、歴史の表舞台に出るべきなのに……全て揉み消されて、奪われているんだぞ」
「いいんです、これで」
「それに、仲間も多く失った!」
「……はい」
「松浦も死んだ。ローガンも、ジャックスも、稲葉も、高墨も、緋櫻も、それに……ッ」
「エデュアルト商館長」
「君はッッ! こんな寂しい死に方をしていい人間じゃないッ!」
「…………」
「頼むから、僕の
「
「僕の商談は、いつだって必死だよ」
「そうでしたね。ですけど私は、イギリス商館の貿易商人。やはり、お断りするしかありません」
「オランダ商館なら、君を救えるんだよ!」
「シーッ……。声を荒げたら、役人が来てしまいます」
「……、誰からも知られずに終わるなんて。あまりにも、悲し過ぎるじゃないか」
「——商人は嘘も真実も知られてはならない——エデュアルト商館長は、この言葉をご存知でしょうか?」
「嫌でも頭に染み付いてるよ。
「私は、先生の教えを守りたいんです」
「本当……頑固な所まで似てるよ、君は」
「褒め言葉として、受け取っておきますね」
「嘘でも本当でもない君に一つ、聞いていいかな」
「なんでしょうか、エデュアルト商館長」
「僕達が日本にいた意味って、あったのかな」
「貿易が終わらない限り、意味はあったと思いますよ?」
「たくさんの人と縁を繋いだのに、思ったより広げられなかった。変わらなかったどころか……悪くなった」
「そのお気持ち、……分かります」
「結局、僕らってなんだったんだろうね」
「うーん。——私達ってezelで、paardだったのかも?」
「はぁ? 何でロバとウマなのさ」
「驢事未だ去らざるに馬事到来すって、聞いた事ないですか?」
「ああもう、こんな所にいると詩的なものに引き摺り込まれて頭がおかしくなる! やっぱり君は、なんとしてもここから出してやらないとな」
「うふふ。エデュアルト商館長には色々振り回されましたので、最初で最後の意地悪です」
「僕は、絶対に諦めないからね」
「私も、何一つ諦めてませんよ」
「……。また来るよ、オフィーリア」
「お互い時間は、あんまりないようですけど?」
「言ってくれるなあ。でも、人様に興味を持たせるのは僕の特技さ」
「それは、期待出来ますね」
「待っててくれ、必ず助けるから——」
「——どうかお元気で、エデュアルト商館長」
『ハッさん、飯やで! ここ座りーや』
「……いいや、まだいらない」
『かーッ! いっつも飯後回しにしよってからに』
「その前に、博多の事を……一緒に思い出してみたいのだ。チエ————」
商館女長の薬膳日記 篤永ぎゃ丸 @TKNG_GMR
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