最終話 やっぱり好きじゃないらしい



 「彼」のことは、別に好きでもなんでもないのです。


 ただ。まるで人に接するみたいに、丁寧に物を扱うところとか。

 週一の読書の時間を楽しみにしているとか。

 考えごとをする時に指先を顎に寄せる癖があるとか。思慮深いところとか。

 眉を下げて、ふわりと笑うところとか。


 そういうところがいいな、と思っているだけで。


 彼のことなど、私は決して好きじゃない。


 ノエルの人生を奪ってしまった時から、私はそう思うことに決めているのです。




☆☆☆




「これ、私が全部食べていいの……?」

「はい。そのために買ってきましたから」


 はしたない。そうは分かっていても、私は生唾を飲み込んでしまいました。


 目の前には、私の好物の苺タルトがホールであります。サクサクのパイ生地の上に、均等に並べてある苺は、艶があり、まるで宝石のようにキラキラしています。


 ノエルは、これを全て食べていいと言うのです。


 なんという幸福。


 なんという誘惑。


「うっうぅ……っ」


 私は涙を滲ませながら、タルトを頬張りました。


 ノエルはよく、私にお菓子を献上してきます。そんな気遣いはいらないと伝えても、頑としてやめません。

 せめて一緒に食べようと誘うのですが、ノエルは甘い物が「得意ではない」とのこと。はっきり「嫌い」と言わないところが、ノエルのいいところです。


 なので、ノエルが持ってきてくれたお菓子を、私はいつも一人で食べます。


 太ってしまって、困ります。国の顔である私は、いつだって綺麗を保たなければいけないのに。


 ああ、それにしても。そんな考えもどうでも良くなるほど、美味しい。


 苺のさっぱりした甘さと、クリームの濃厚さが溶け合って、絶妙な美味しさを体現しています。


 悪魔的な誘惑です。食べる手が止まりません。


 不意にノエルが私をじっと見ていることに気付きました。私は食べる手を止めます。


「な、何……?」

「美味しいですか?」

「奇跡的な美味しさだわ。生きてることに感謝したくなる」

「苺タルト、好きですか?」

「ええ、好きよ。税金を苺タルトに変えたくなるくらい」


 キリッと素早く答えました。あまりに早口だったからでしょうか。ノエルはクスクスと笑いました。結構、笑い上戸なのです。


 しかし、ノエルはすっと笑みを消し、真剣な表情になりました。そして、こう言ったのです。


「俺は、ロザリー様が好きです」

「え?」

「ロザリー様。婚約相手は、俺ではダメなのでしょうか?」


 心臓がバクバク鳴っています。突然のことに、私の頭は真っ白になりました。


 というか、タルトを食べている時に言うことかしら?ここに来る前から、言うって決めてたの?


 私は、ノエルを見つめます。


 ノエルの顔はどこまでも、真剣で、誠実で、真っ直ぐで。

 ノエルの言葉が本当だと期待してしまいます。


 けれど……


 ついさっき、兄上がノエルに耳打ちしていた姿を思い出します。


「兄上から何か聞いたの?」

「ロザリー様?」

「私と結婚して欲しいとでも言われたのかしら?」


 兄上は、私がノエルを好きだと思っているから。そして、王族から頼まれたら、ノエルだって断れないでしょう?


「俺の意思です」

「ノエルは、兄上の命令を断れないもの」

「いえ? そんなことは、全くありませんよ。断るときは断ります」

「え、ええ……?」


 いつになく、はっきりと宣言するノエル。戸惑います。


「ただ、イアン様からは本音を話せ、と言われただけです」

「本音を?」

「はい。……実は、ロザリー様の先ほどの話を聞いておりました」

「そう」


 予想していたことなので、さして驚きません。

 ノエルは私に頭を下げました。


「勝手に聞いていたことを謝らせてください。申し訳ございません」

「いいの。けれど、聞いていたなら、分かったでしょう?」


 私が願えば、何でも手に入ってしまうのです。お金で人の心は買えないとは、よく言うけれど。権力があれば、人の人生を簡単に奪うことが出来るのです。


「私はノエルに感情を殺してまで、側にいて欲しいとは思わないの」


 ノエルは、苺タルトではありません。感情がある人間です。


 私が軽々しく「好き」なんて言って、彼を縛り付けることは間違っています。


「だから、安心して。ノエルに幸せになってもらいたいから……」

「俺は、ロザリー様が好きです」


 私の言葉を遮るように、ノエルは言いました。彼は続けて言葉を紡ぎます。


「すぐに拗ねるところとか。意地っ張りなところとか。甘いものに目がないところとか」

「悪口じゃない!!」

「それから、人のことを考えて、動くところ。王族としての交流や勉学、努力を重ねているところ。その努力を人に見せようとしないところ。身分によって差別せず、どの従者にも慈しみを忘れないところ」


 ノエルは、私を真っ直ぐに見つめて、言葉を重ねます。まるで、割れやすいガラス細工を扱うように、丁寧に、ゆっくりと。愛おしげに。


「執務の合間に、外を見上げる時の横顔。ふとした時の笑顔が可愛らしいところ」

「も、もうやめて頂戴!!」


 褒め殺し攻撃に耐えられなくなりました。私は、ノエルの口を塞ふさぎます。

 しかし、彼は私の手を取って、再び口を開きます。


「確かに、あなたが願ったから、俺はあなたの騎士になりました」

「……」

「けれど、あなたの側で、あなたと共に時間を過ごして。気づいたら、あなたが好きになっていました。この気持ちは、すべて俺の意思で、誰にも曲げられるものではありません」


 情熱的な言葉です。熱に当てられて、私は自分の顔がどんどん赤くなっているのを感じました。


「イアン様はもちろん。陛下にも、ロザリー様にも、決して否定させません」

「……」


 どこまでも真っ直ぐな、ノエルの言葉に、私は涙を抑えるのに必死でした。


 本当に、我慢しなくてもいいのかしら……


 そんな希望を持ってしまいます。


「ロザリー様。本当の気持ちをお聞かせ下さい」

「ノエル。私は……」


 私も、本当はずっと…………………………………………








「好きじゃないわ!」









 あら?あらら??


 今、私はなんと言ったのかしら?


 私はノエルを見ます。ノエルも私も見ています。

 多分、私たちは同じような顔をしているのでしょう。あの、鳩が豆鉄砲を食らったような……


「あの、違うのよ。あれ?」


 ええ。本当に、私は好きじゃないなんて言うつもりなかったのです。


「あの、もう一回、言うわね?」

「は、はい」

「私は……」


 んんんんんっ


 言葉に詰まってしまいます。自分が言いたいことは分かっているのに。


 ただ、ずっと「好きじゃない」と言い張っていたからでしょうか。気付いてしまったのです。



 自分の気持ちを伝えるって恥ずかしい、と。



 いいえ。その恥ずかしさを乗り越えて、ノエルは伝えてくれたのです。ここで怖気づいたら、王女の名折れ。


 さあ。頑張るのよ、ロザリー。


「あの、私は、あなたのことが、す……すすすすす」


 なんですか、すすすすすって。


 淑女の歩き方の効果音ですか?!


 阿呆なんじゃありません?!


 私が一人でわたわたしていると、ノエルはふっと笑みを深くしました。


「なるほど。ロザリー様は、俺と同じ気持ちじゃない、ということですね」

「いえ、違うのよ。ノエル」

「いいえ。無理しなくてよろしいんですよ?」


 ああっ!この表情は、分かってて言っています。微笑んでいるのに、ノエルの目の奥が笑っていません。


 謝りたいけれど、謝ってしまうと、ノエルの告白を断っているみたいになってしまいます。


 ノエルは、私の手を取りました。


「ロザリー様。とりあえず、1年間、婚約しましょうか」


 私は頷こうとして、「1年間」という単語に首を傾げました。


「なんで1年なの?」

「1年あれば、余裕だからです」

「なにが、」


 ノエルは握っていた手を、私の指に絡ませます。その仕草が自然で、色っぽくて、私の心臓はドキンと鳴りました。


「俺はこれから、貴女に好きだと伝え続けます。甘い言葉を吐き続けます」

「な……」

「貴女がもう嫌と言うまで。この気持ちを信じてくれるまで、毎日、何回も。1年間あれば、流石にロザリー様も同じ気持ちになってくれるでしょう?」


 そしたら結婚しましょう、と。


 ノエルは私の指先に唇を寄せました。彼に触れた指先から、身体中が熱くなっているのを感じます。彼の情熱に、頭がクラクラしてきました。


「それで、ロザリー様は、俺のことどう思っているのですか?」

「す、好きじゃないっ!ああっ、ちがくて!!」

「これから、楽しみですね」

「あああああ」


 こうして。私は、好きじゃない(と言い張っている)人と婚約することになったのです。

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好きじゃない人と婚約する王女の話 夢生明 @muuumin

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