始められないラブストーリー

トム

始められないラブストーリー



 ――ずっと貴女のことが好きです。


 ――今までも、そしてこれからもこの想いが変わることはないでしょう。


 ――伝えることはないのだから……。



 それはいつものファイルに綴られる、俺だけが見る日記のような物の書き出し。誰に見せるわけでなく、既に2年も同じ書き出しだ。その後続く文言は今日の出来事や日々の愚痴などが羅列され、偶に自著の小説アイデアなどが書き込まれている。……これじゃ、日記というより雑記なような気がしないでもないが。そんな不明瞭な物を心の片隅に起きながら、目線を偶にそこへやると、つい、タイピングしている手が止まってしまう。


「……はぁ~。女々しいと言うか、根性なしというか……。情けない事この上ないな、俺」


 キーボードから手を離し、少ししょぼついた目をぎゅっと瞑ると、腰掛けていた椅子の背もたれに倒れるようにもたれ掛かる。見上げた天井にはこの間、やっと買い替えたLEDの照明が煌々と自室をその熱を持たない光で照らしているが、心の隅に有る影のような淀みまでは照らしてくれない。


 幼い頃から口下手で、人見知りも激しかった。幼稚園では皆が走り回って遊ぶ中、教室の隅でもう誰も読まず、ぼろぼろになった絵本をひたすら読み返し。小学生になってからは図書館が気の休める場所になり、本の虫になっていった。そうすることで益々自分という存在は、集団からは遠く離れて行くようになり、何時しかその事自体が自分の中で当たり前になっていった。


 小学生から中学生となった時、既に本の中の住人と化していた自分にも、第二次成長期は訪れる。それは偶々授業中、自分の足元に何かが触れたことで気がついた。


「……?」


 ふと見ればそこには消しゴムが転がっている。はて? と思って自分の机を見たが、そこにはちゃんと消しゴムが置かれている。ペンケースに予備は入れてあるが、それはそもそも新品だ。そんな事を頭で思いながら、それを手に取った瞬間、頭上から聞き慣れない声が降って来た。


「あの、ごめん。そっちに消しゴム転がっていない?」


 ――は? 何で頭の上から声がするんだ? 自分は背が高い方ではないが、それでも平均的な身長と自負している。だいたいこのクラスにそんな大きな人間が存在すれば、いくら他人に興味のない自分でも、その存在くらいは認知しているはずだ。ではなぜ? 


 答えはバカバカしいほどつまらなかった。自分は今、机の下に頭を潜り込ませ、足元にある消しゴムを拾っているのだ。それを前の席に座った人が振り向きこちらに向かって声を掛けてきた。ただ、それだけの事である。


「……これ」

「あ、ありがとう」


 どれだけ人に興味が無いと言っても、一応処世術程度は心得ているつもりだ。小声で、しかも震えながらではあったが、なんとか声を振り絞り、前席に座った彼女に消しゴムを手渡した。彼女はそれを受け取り、はにかむような笑顔で返事をすると、小さく会釈して黒板の方に身体を戻す。


 ……その瞬間に暫し我を忘れて呆けていたのをよく覚えている。彼女はクラス委員長であり、学年でもトップクラスに可愛いと評判だ。そんな女性が自席の前の座っていることに、今更気づいた自分にも驚いたが、何より自分だけに向けられた笑顔がとてもではないがまた脳裏に焼き付いてしまった。……そんなドギマギした感覚を胸に仕舞い、最後部席を幸いに真っ赤になってしまった顔を隠すため、そのまま机に突っ伏して、授業をそっちのけに只々、自分の感情を抑えるのに必死だった。


「……おい、委員長と授業中に何いちゃついてたんだ?」


 とかく、そう言った野次馬というものは何故、そんな万に一つの確率をピンポイントに見つけるのか、些か疑念は尽きない。が、おそらく彼は彼女に懸想していたのだろう。隠れて彼女を逐一覗いて見ていたのだと、想像するのに時間は要らなかった。


「別に。お、落とした消しゴムを拾って渡しただけだよ」

「はぁ? それだけで、あんなに親しそうに話してたのかよ」


 はぁ~……。何をどう解釈すればその様な見解に至るのか、小一時間ほど掛けて問い詰めたい気もしたが、そんな事より図書室で新刊を探して読みたい気持ちのほうが勝った。「そんな事は君に関係ないし、第一、親しくもしていない」と素気なく切って席を立ったのがいけなかったのだろう。ソレは翌日から始まった。


 登校して下駄箱を空けると上履きが見当たらない……。仕方なく職員室で説明し、来客用スリッパで教室に向かうと机の上が荒らされていた。彫刻刀で「ネクラ、死ね!」に始まり、「KY野郎」だの何だのと、罵詈雑言の限りが丁寧に彫ってある。当然前の席に居る彼女はそれに気付く事になり。


「誰がこんな事をしたの?!」


 周りに大きな声で発言するが、それに応える人間は当然居ないわけで……。結果として虐めはどんどん酷くなって行く。より陰湿に、より深く暗い感情によって――。





◆  ◆  ◆





「――もう放っておいてくれないかな」


 放課後の保健室、丸椅子に腰掛けた俺は彼女に向かってそう言っていた。


「……どうして?! こんな事されて、君は良いの? 先生だって何かあればすぐに言いなさいって――」

「それで結局どんどんエスカレートしてるんだよ。頭の切れる君なら分かるだろう。もう良いんだ、卒業まで後数ヶ月、それさえ乗り切れば、もう奴らに会う事もない」


 ――君ともとは流石に言えなかった。中学生になって三年間、そのうち二年半はほぼ虐められて過ごしてきた。唯一の救いは殺されなかったという事くらいだ。学年が変わり、クラスが変わっても一人か二人は同じ連中が一緒になった。彼女もそんな中の一人だ。お陰で虐めは続き、最終学年になった今も続いている。廊下を歩けば誰かに突き飛ばされ、教室に物を忘れれば捨てられる。常にバックパックのようにバッグを背負い、行事の殆どに出席することはなかった。なりたかった図書委員ですら、俺が原因で学校に有る図書を傷つけるバカが出たほどだ。学校側も色々な対処はしてくれた。時間の許す限り俺のことを見てくれる担任には感謝すらしてる。だが同時に今の時代の虐めは表に見えるものばかりではない。ネット上での罵詈雑言は勿論、SNSはフェイク情報で溢れ、住所から両親の勤め先まで、ありとあらゆる情報がばら撒かれた。それでも両親は俺に笑顔で「お父さんたちは大丈夫だ。絶対何があっても守ってやる」と言い続けてくれた。


 だが、最も根本的な原因。俺が彼女と話をすることで、虐めは止まってくれなかった。当然だが俺から話をする事はない。だがクラスメイトで在り続け、委員長から生徒会長まで上り詰めた彼女はそんな俺を放っておいてはくれなかった。


 このままでは彼女すら、疑ってしまいそうになる。既に学校自体を信じられなかった俺は、人そのものが信じられなくなっていたのだ。


 俺の言葉を聞いた彼女は、寂しそうな顔を見せたかと思うと、無理やりに口を歪ませて、作った笑顔で「そっか……。今まで、付きまとってごめんなさい」と言残し、保健室の扉を静かに閉める。


「……さようなら」


 閉じられた扉に向かい、小さくその言葉を呟く。廊下で転んだ擦り傷に塗った薬が染みたのだろう。俯いた時、床には幾つかの水滴が落ちた。




 ――その後、虐めがなくなる事もなく、卒業式すらまともに出席できなかった俺は、校長室でたった一人、家族と校長先生に見守られる中、証書を受け取り、この街からも逃げるように出ていった。



◆  ◆  ◆



 父親の会社が全国展開しているお陰で、とある島に転勤することが出来た。幾分給与は下がったそうだが、支社長として小さな事務所に迎えられ、「一応は栄転だ!」と笑って俺の肩を叩いてくれた。……申し訳ないと思う気持ちが大きかったが、それでも一家離散することなく、小さいながらも一軒家の社宅に引っ越すことができ、母は「庭が有るから野菜でも作って見ようかしら」と早速土を掘り返している。島にある唯一の高校に進学し、入学式に望んで見れば、新入生は30名程度と言う。そもそもこの学校は、小中高が一つの校舎に全てある。当然クラスは学年に一つずつしかなく、教室に入るとやはり、注目の的になった。小さな島の唯一の学校。当然通うのは地元の子供たちばかり。そこへ突然入って来た異分子となれば、注目するに決まっている。



 ――お!? なぁ、お前が新しくこの島に越してきた――。



 

「……あいつ、確か漁師になったんだよなぁ。親父さんとよく釣りに行かされたっけ……船酔いでほとんど撒き餌係になってたな」



 高校生になってから、人生そのものが180度変わってしまった。何しろ小さな島だ、町だってそんなに広くない。その殆どが近所付き合いをして、皆がほぼ知り合いになってしまう。そんな場所で暮せばどうなるか、人見知りなんてとてもじゃないがやっていけない。毎日誰かが家に訪れ、夕飯までも食べていく。人が人を繋ぎ、「お互い様」と言って笑っていた。都会に暮らす人間たちから見れば信じられない光景だろう。町を歩けばお爺さんが声を掛けてきて「これ持ってけ」と、家で採れた食材を登校中に渡してくる。仕方なく学校へ持参すると、誰かも同じように別の食材を持たされていて、交換会が始まる始末だ。教師もソレは同じで、結果職員室には大きなカゴが幾つも設置されていた。


 運動会の季節になると、島中がお祭りのようになり、校庭には大漁旗が飾られ、知らないオジサン連中が、朝っぱらから呑んで騒いでいた。


「おい、あれお前んちの父ちゃんじゃね? なんかすげぇ殴り合ってるけど大丈夫か?」

「んあ? あぁ、昨日漁場争いで負けたらしくてな、多分その相手だろ、ほっとけ。ソレよりもお前、次のリレー頼むぞ!」

「……いや、無理に決まってるだろ! こんなひょろい俺が、どうやって脳筋馬鹿のお前達に勝つんだよ」

「誰が脳筋じゃ! 根性で走れ! メロスを見習え!」

「メロスって……それじゃ、マラソンじゃねぇか! リレーは短距離だ!」

「ごちゃごちゃ細かい! また本ばっか読んでるんか?」

「いや授業! 授業で習ったはずだよね!」

「知らねぇよ。魚の種類ならいくらでも言えるぜ!」


 一事が万事、この調子。一人になる暇などこの島に来て以来、殆ど無くなっていった。




「……ねぇ、良かったら私と付き合ってくれん?」



――高校2年の夏、同級生の女子からそんな事を言われた。……生まれて初めての告白。誰もいなくなった教室で、赤くなった海を見ながら、彼女は俯き加減で俺に言ってくれた。



 幼い頃から人と関わるのが苦手だった俺が、小学生になっても変わらず。中学に入ってからは壮絶な虐めを受け、この島へと逃げてきた……。そんな俺に彼女? 


「……え、あ、俺と?」

「……嫌?」

「――っ。い、いや、嫌とかじゃなくて」

「……?」


 何を口にすれば良いのか、頭の中がぐちゃぐちゃとして、やがて全てがこんがらがって真っ黒になった後、全てが溶けて真っ白になる。本を読んで沢山の主人公にはなってきた。その中では勿論告白なんてシチュエーション、する方もされる方も経験している。……全ては妄想の中だけだけど。


 彼女のことはよく知っている。島一番の才女であり、町の酒屋の看板娘。クラス委員長で生徒会役員、面倒見がよく、誰にでも愛想よく友達も多い……。


 ふと、心の一番深い場所で、もやのようなオリのようなモノがふわりと揺れた。ソレはあっという間に心の至る場所に広がり、思い出という形で様々な場面を切り出して俺に見せつけてくる。


『……誰がこんな酷いことを!』

『どうして彼をいじめるの?』

『加害者は誰なんですか!? 私が話をしま――』



 ――そっか……。今まで、付きまとってごめんなさい――。



 堰を切って溢れ出したソレは、すぐに心の境界を超えてしまう。途端、身体は震えだし、涙が止まらなくなる。獣のように慟哭し、声が掠れて吐血しながらもその場でのたうち、遂には気絶した。



 再び目を開けた時、潮の香りに混ざって消毒液がかすかに匂う。目の前にはところどころ黒ずんだ虫食いの天井が見え、そこが保健室だと気が付いた。


「……あ?! 起きた!」


 声に反応してそちらを見やると、彼女と何人かの教師が駆け寄り言葉を矢継ぎ早に掛けてくる。「……大丈夫です」と返事をし、身体を起こすと「何があったんだ」と担任が問いかけてくるが、彼女が俯いたのを感じて「少し体調を崩して、彼女に助けてもらったんです」と言い訳をし、もう大丈夫ですと彼女を連れて、校舎を出る。


 沈黙の中、海岸沿いの道を歩いていると、彼女は意を決したのか、俺に声を掛けてきた。

「あ、あのさ――」

「ちょっと、砂浜に降りよう」


 防波堤を超えて降りてきたため、町の明かりすら見えなくなっている。既に日は落ち、海は真っ暗だが、空を見上げれば満天の星と半月が見える。彼女は俺の後ろをトボトボ歩き、今にも泣き出しそうな顔のまま俺の言葉を待っている。


 ――全てを話した。生まれて17年ポッチだけれど、俺の全てを彼女に伝えた。人見知りが激しく、人付き合いが苦手なこと。小学校では浮いた存在になり、中学では些細な切っ掛けで死ぬほど辛い虐めを受けてきた事……。そして親と相談し、この島へと越してきた顛末。


「――その人はさ、学校の人気者だったんだよ。成績優秀、文武両道。人当たりも良くて生徒会長でクラス委員長……。そんな凄い人がさ、俺みたいな人嫌いのKY野郎に構ってたら、そりゃムカつかれても仕方ないかも……。だから、この先もし、その矛先が彼女に向かってしまったらって……。だから……もう良いって、放って置いてくれって……。そんなキツイことを言ったのに、「ごめんなさい」って……。謝ってくれたんだよ……」


 途中からはまた溢れた涙を拭きながら、砂浜にへたり込んで滔々と語った。掬っては指の合間から流れ落ちてく砂粒を見つめ、落ちては消える涙とともに、自分の失ったものの大きさと、後悔を噛みしめるようにして、何度も何度も。砂を掴んでは流れていく様を、何時しか謝罪の言葉を呟きながら繰り返していた。


 

 ――最初から分かっていた事だ。


 ずっと、ずっと彼女のことが好きだった。あの消しゴムを拾った時……違う。クラス発表で名前を見かけた時……違う! 


 ――幼稚園でボロボロの絵本を読んでいた時、「それ、なんてご本?」と彼女は興味津々な顔で俺に問うてきた。それ以来ずっと二人で本を読みあったじゃないか。小学生になった時、図書クラブに入った彼女を見るために本の虫になったくせに! 中学で同じクラスになった時、部屋で身悶えるほど喜んでいたくせに!


 最後は自分から遠ざけた――。


「今更、全てを戻せるなんて思っていない。そんなに都合よく世界は出来ていない……。だから全部諦めたのに……。また君のような素敵な女性が現れて、俺を好きだと言ってくれた。だけど。それを俺は受け止められない……。君にも彼女にも申し訳なさすぎて、今の俺にはどうしようも出来ないんだ。身勝手だと思ってくれて良い、嫌いになってくれて構わない……今は誰とも付き合えない」


「……そうだったんだ」


 俺の独白を聞き終えた彼女が、目の前まで歩み寄り、俯いたままそう言う。……あぁ、またこの繰り返しだ。結局俺は――。



 ――バチーン!


 その大きく乾いた音が耳の側で聴こえ、頬には強烈な痛みが奔る。突然の出来事に何も考える余裕もなくて、ただキョトンとしていると、ぐいと両の頬を手で抑えられ、強制的に彼女の顔を見せつけられる。


「……その娘はどこ!? どこに住んでいるの!?」





◆  ◆  ◆

 


「……アレからもう4年か。あっという間だな」


 彼女の行動は俺にとって、青天の霹靂だった。名前と当時住んでいた場所と学校を俺から聞き出すと、あっという間に特定し、本人に会って話をし、友人となって帰ってきた。その後遠距離ながらも付き合いを続け、俺まで巻き込んで大学を受験。無事合格したはいいが、三人とも見知らぬ土地への引っ越しとなり、シェアハウスへの入居となった。


「お~い、御飯作るから手伝って~」


 部屋のドア越しに彼女の間延びした声が聞こえる。


「ちょっと待ってね。すぐ行くよ~」


 もう一人の彼女もそう返事をして、ドアの向こうで何かをしていた。



 ……そう、結局俺達は同じシェアハウスに三人で住むことになってしまった。最初、彼女たちの両親は俺が居ることに難色を見せたが、二人がかりで説き伏せてしまう。内容はどんなモノだったか聞いていないが、彼らの俺を見る不憫そうな目を見て聞く気が失せた。また、月一で三人の母がここに訪れることも約束したので、そこからは話がスムーズに進んでしまった。


 そんなドタバタ劇が続いてはや二年、当然二人の彼女がいつも直ぐ側にいるわけで……。逆に俺はまた人見知り男に逆戻り……。趣味だった本は今Web小説に変わったが、それを読み漁り、今ではちょくちょく書いている。お気に入りはラブコメなんだが……。参考どころか何の役にも立ってくれない。



 ――まさか、こんな状態になっちまうなんて、こんなの絶対告れねぇじゃんか! 何だよ! 一体どんなラノベの主人公だ!



完……?




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

始められないラブストーリー トム @tompsun50

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ