第30話 あとがき

 幕末と言うと日米修好通商条約が結ばれてから、幕藩体制に不満を持つ勤王志士と呼ばれた人々が活躍する時代を象徴する。明治維新が起こるまでに様々な人間ドラマが繰り広げられる。


 筆者なども若い頃、友人から『竜馬がゆく』を読むよう勧められました。日本史で学んだ薩長同盟の立役者ぐらいの程度の人物だった。


 読み続けるうちに、彼が関わった人物との繋がりに驚いたものでした。それから色々な小説を読むようになり、日本史というものに大変興味を持ちました。


 尊王攘夷論が唱えられてから、幕末に様々な事件が起きています。だとすれば、そこに至るまでの経緯が必ずある訳ですから、それを理解したいと思いました。


 フェートン号事件、モリソン号事件から蛮社の獄などが正にそのきっかけだったのだろうと考えます。


 更に互いに国書を持ったロシアとアメリカが同じような時期に日本に向かって、デッドヒートを繰り広げていたとは知りませんでした。


 先に出航した筈のプチャーチンが、停泊を余儀無くされ、ペリーに遅れをとったと知った時の口惜しいは相当なものだったのでしょう。


 その後に巻き返しを図ろうと苦慮したことも垣間見えます。


 もしもという事を考えるとしたら、アメリカ、ロシアと平和条約を結ばなければ、イギリスは清国同様に日本を従わせようとしたのでしょうか?


 同じ小さい島国なので、各地に拠点を欲しがるのは当然だと思います。昭和史で日本がアジア諸国を統治したのですから。但し、当時の大東亜共栄圏という構想に否定するつもりはありません。色々な考えはありますが、大国の脅威に立ち向かった人達を誇りに思います。


 イギリスと本格的に戦争をして、敗れた場合はどこかの地域を割譲するはめになったかもしれません。


 一部の人間から開国に批判を受けましたが、大局を理解し外国の侵略を阻止した阿部正弘、堀田正睦らは一定の評価を受けるべきだと思います。


 お二方とも条約締結の数年後に没していることから、その責務に相当な心労が重なったのでしょう。


 相手を知り、戦いを避けたのですから『孫子』の兵法に適っていたと言えます。


 孫子は政治的に争わない事を前提として、戦わざるを得ない場合に必要な対策を提唱しているのですから。


                              2024年3月

                                   筆者

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開国への道のり 従五位下武蔵守 @nrk_0719

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