子供が生まれて百日経ったので、百日祝いのお食い初めを行った。


最初の頃はまだ子供がいる実感がなく、あまりの生活の激変や慣れないことの連続で、我が子の存在が煩わしいと思ってしまうことも、正直にいえばあった。


初めて猫と暮らした時もそうだった。子猫が家の中で駆けずり回って、早朝からうるさいし、自分が連れてきた訳でもなかったから、疎ましかったのだ。


それでもいつの間にか、その存在が尊くて切なく感じられるのだ。


わたしにはそういった情動が「信仰」というものなのではないかと感じられる。



猫も子供も自分の可愛い大切な神様みたいに思えてならない。



まだ人間の俗にハマっていないから、赤ん坊を「天使」と形容するのはあながち間違いではないと思うくらい、人間離れしているようにも思える。

つまりわたしは今、本物の純粋と毎日顔を合わせているのである。


それでいながら自分よりも圧倒的にか弱い存在なのだから、その神々しさと不安さを思うと泣けてきてしまう。


成長しないままなのも困ってしまうが、このままでいて欲しい姿でもある。

「現在」とは本当に貴重な時なんだと痛感する。


自分が子供の時のアルバムを引っ張り出してきて、自分が赤ん坊だった頃と見比べてみたりする。


この子と同じくらいの時、自分はこんな顔だったのか、うちの親はどんなことを考えていただろう?


そんな想いがこころを巡る。



世相がどうであれ、どうせこの世に来たからには、子供には楽しく生きて欲しいと思う。


わたしはそのために、この子に何がしてあげられるんだろう?

この子のためにどれだけ覚悟出来るのだろう?


わたしはあの尊さのために、自分の人生を使いたいと思う。


だが、わたしという人間は、そのために余りにも未熟で弱過ぎる。


だが自分を進化させたい、アップデートさせたい、そのために何が必要か?


そう考えた時、わたしは自分に取り憑いている呪いを解くがまず一番大事なことだと思った。



そこで今ここで一種の解呪を行う。



今更ではあるが、実はわたしはネカマをしていた。

ネカマを題材にした作品も一応はあげているので、そんなの今更知っているよという声もあがりそうだ。

でももしわたしのことを「女」であると思っていたなら、それは間違いだ――わたしは完全に生物学的に男である。


もし、それで裏切られたと思う人がいるならば、そのことを謝罪したいと思う。


誠に申し訳ありませんでした。



ただ何故そうしていたかは、それなりに理由があるのと、わたしの心身には呪いがコレクションのように存在しているので、その記載のために別途そのエッセイを立ち上げようと考えている。


実は子供を作る時にも、そのために一つ呪いを解いているのだ。


そのためエッセイ漫画を描こうと思うが、テキスト版としてはカクヨムでも行うつもりなので、よかったら読んでくれるとありがたいです。


という訳で生生Ⅱはこれで締めようと思います。

読んでくれてありがとうございました。

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生生Ⅱ 猫浪漫 @nekoroman5

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