#4
ショートカットの小花さんを見て、俺は彼女がやっと道ならぬ恋に終止符を打ったのだと悟った。もちろん髪型だけではない、その表情は晴れ女の名に恥じぬ清々しいものだった。
今ではけっこう彼女と親しい間柄になった、と勝手に思っている俺は、思い切って訊いてみた。
「なんであの時、俺に言ったの?」
「え?」
「キッチンで。小花さんの秘密」
「うーん……」
「誰でもよかった?」
「いや、あなたじゃないとだめだった」
嬉しいことを言うなあ、と思う一方、だよなあ……と冷静に思う自分がいる。
「あの時私はもういっぱいだった。溢れるものを誰かに受けとめてもらわなければ。それで。あなたなら秘密を守ってくれると思った」
「友達いないし」
なんて僻んでみる。どこが冷静だ。俺は人間関係が希薄だから。あの時、俺以外の奴らは普段からよく飲みに行っている連中だ。そんな連中に秘密を告白すれば、どんな騒動になることやら。あの時告白することができた相手は俺しかいなかった、そういうこと。
「じゃなくて。うーん、なんだろう。覚えてるかな。私がうちの課に配属されて初めての会議の時」
「さあ」
覚えてる。
「会議のプレゼン資料作ってる時。まだ右も左も分からないから、先輩や皆に相談に乗ってもらって。皆、『いい案だよ』『僕も同じやり方だから構わない』『頑張ってその案通せよ』って。お陰で自信を持ってプレゼンに臨めた」
「うん」
「でも。会議の席で。私の発表が三分の一も進まないうちに、部長が遮った。『くだらん。誰がそんな馬鹿なやり方をするか』とばっさり。皆が褒めてくれた所がことごとく否定されていく。私、萎縮しちゃって何も言えなくて。出席していた皆もずっと顔を伏せたまま。『僕も同じやり方』と言ってくれた先輩も、部長に『こんなやり方するか?』と問われて、『いえ』って」
その時を思い出したのか、ふぅーっと、息を吐いて彼女が続ける。
「私、すごく悔しかった。きっと、部長は私が若い女だからって、はなから話を聞く気がないんだ、私みたいなのがまともな意見言えるはずがないと思ってる。馬鹿にしてる。見くびってる。ストレスの捌け口にされているのかも。それに、何にも言い返せなかった自分が情けなかった。あんなに準備したのに。……でも、それよりもなによりも。悔しかったし、悲しかったのは、誰も助けてくれなかったこと。あんなに賛成してくれていたのに。皆、私よりも部長を選んだんだって」
「……」
「その時だよね。しんと静まり返った会議室で、あなたがそっと手を挙げた。『その案、俺はいいと思いますけど。現行より手間が省けるし、顧客志向だと思いますね』。まるで独り言みたいにさらっと言った。ふふ、本当に独り言になっちゃったけど。皆、私のプレゼンもあなたの意見も無かったかのように次の議題へ進んだから。あいつまた空気読まずに、みたいな雰囲気で」
「そうだったかな」
「うん」
くすくす笑った彼女が、ふいと笑みをしぼめる。
「会議の後、皆私を避けるみたいに仕事に戻って。翌日にはまるで何もなかったみたいに笑顔で話し掛けてきた。……でも、私はそれが怖かった。皆、自分を守るためには、平気で弱いものを犠牲にするんだって。自分を正当化して、結果他人が貶められたって知ったこっちゃないんだって。私、ほとんど人間不信になって。なのに、私も一緒になってへらへら笑顔で挨拶を返すの」
また、溜め息。
「本当に私は弱い。だから、あなたにもちゃんとお礼が言えなくて……」
「いいよ、別に」
「ううん。で、悶々と過ごすうち、しばらくしてたまたま休憩室であなたと二人になって。お礼言わなくちゃいけないのに、私、『どうして皆、簡単に言うことを変えられるんだろう』なんて、馬鹿なこと呟いて。それで、あなたなんて言ったか覚えてる?」
「いいや。なんて?」
「私の言いたいことが伝わったのかどうか分からないけれど。あなたこう言ったの。『それを、相手の成長ととるか裏切りととるか』って。わけ分かんなかったよ。ふふ。でも、その後私考えてね、確かにあの時、部長は一方的だったけれど、意見の中にはもっともな指摘もあったなって。それに気づいて皆意見を素直に見直したのなら、それは成長かもしれない」
「……そんなこと言ったかなあ」
恥ずかしい。低い声で平静を装うものの、顔が赤くなる。そんなこと口に出したか。ちなみに俺は大抵裏切られたと思ってる。たまに自省を込めて、あれも成長なのだと慰める程度。
「言った。ちょー心のこもらない声で、言った。それで、ああこの人も他人のことを信用していないんだなあって思って。それで、あなたのことは信頼できると思った」
「なんだそれ。屁理屈だなあ。頓知?」
ふふふ、ははは、二人で笑う。
「それに」
「それに?」
「雨男の前では泣いてもいいと思ったの」
きゅん。と。
うわ、なんかめっちゃ刺さること言われた。嬉しい。
恋の始まりか。と言いたいところだけれど。
一気に関係を詰めるには、ちょっと二人の距離は遠すぎる。
髪をばっさりと切った彼女は、颯爽とフランスへ旅立った。会社も、何もかも、やめて。俺の腕の中にいたはずの彼女は、あっけなく俺の手をすり抜けた。
なのに、それでもやはり、国際電話の声は近くて。
誰にも告げなかった行き先を、なぜか俺にだけ教えてくれて。目標――夢を話してくれた。お菓子の勉強をして、自分の足でしっかり立つのだという。俺みたいに、と彼女は言ったけれど。とんだ買い被りだ。俺なんて、誰かに寄っ掛かるどころか、いつでも自信がなくて他人から逃げ回って隠れているだけだ。
俺も、彼女みたくしっかり立たねば。
そんな風に思わせてくれるのは、やはり、恋、なのかもしれない。
日本時間の深夜三時、フランスでは日曜日の午後七時か。少し早すぎるかな、と思いつつ、電話を切る時、「おやすみ」と挨拶。すると、彼女はこう返す。
「おやすみ、MONDAY」
おやすみMONDAY 香久山 ゆみ @kaguyamayumi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます