#3
イベント最終日、彼女の到着とともに晴れ上がった空の下、俺たちは軽く昼食をとってから、外へ遊びに出ることにした。
材料は来る途中に小花さんが買ってきてくれた。
昼食は彼女と俺とで準備することになった。野郎どももやる気だったが、料理経験がない者に用はないと、彼女にあっさり断られたためだ。
二人きりのキッチン。
ああこの人、普段からちゃんと料理してるんだなあ。迷いなく調理にかかる。俺も。調理のペースが同じ感じで、なんとなく嬉しい。
でも、もとより社交的な俺ではないから、すぐに話題は尽き、小花さんが話しを中断すると、すぐに気まずい沈黙。
が。
「ねえ、どうして黒城さん来ないか知ってます?」
ふと思い出したように小花さんが呟く。黒城さんは、俺の代わりにもともと今回のイベントに参加する予定だった先輩だ。
「いや、知らないです」
トントントン、包丁が一定のリズムを刻む。小花さんの返事はない。聞こえなかったのかな。いや、独り言だったのかもしれない。思わず返事してしまったけれど。
「えーと、家族サービスかな。それか、二人目の子を授かったって言ってたから、病院とか、あ、実家に顔見せとか? 仕事じゃないと思うけど。いや、忙しいのかな」
沈黙の気まずさから、重ねて返してみる。
やはり返事はない。キッチンにはトントントンと小花さんの刻む音だけが響く。あれ? 聞こえないはずはなかったと思うんだけれど。そっと小花さんの横顔を盗み見る。耳にかかる長い髪の隙間から。軽快な包丁のリズムとは対照的に、彼女は能面みたいに無表情な白い顔をしていた。ぎょっとした。だから、これ以上声を掛けるのはよそうと思っていたのに。
彼女がぴたりと動きを止めて振り向く。
「ちがう」
「え?」
「ちがうよ。来ないんじゃなくて、来れないんだよ。黒城さんは」
抑揚のない声で彼女が言う。
「えと、それってどういう……」
彼女が生気のない眼差しを向ける。俺に視線を向けているようで、何も見ていないような。てか、包丁持ったままの無表情って、ちょっと怖いんですけど。美人だからなおさら。てか、刃先こっちに向いてんすけど。怖えぇ。
俄かな恐怖に顔面を引き攣らせる俺を無視して、彼女は淡々と告げた。
「私」
「え?」
「私のせい。彼は、来れないの。うふ」
無表情に告げるや、今度は突然笑い出す。うふふふふ。それっきり。うふふふふふふ。と壊れたみたいに笑ったまま彼女はまな板に向き直り、また無機質に料理を再開した。
こ、こええ……。小花さん、やべえ。鳥肌を押さえ、なんとか距離を保ちつつ俺も調理を再開したが。包丁で肉をぶっ叩く彼女に狂気を感じる。
そして。
そんな狂気に心そそられる俺がいる。壊れた彼女を愛おしいとか思っている。怖くて、美しい。やばい。俺も、やばいな。ああ、コミュ障の俺。人間不信によってこんな歪んだ人間になっちまったのか。
にしても。
冗談じゃなく。
これは、ちょっとまじでやばいな。
――黒城さん、殺されちゃったか――?
とにもかくにも。カレーライスは完成し、皆の待つダイニングに出た時には、もういつもの小花さんに戻っていた。
皆でカレーライスを平らげて。森林の中をサイクリング。日が暮れるまでテニスに興じて。その間小花さんは、まるでさっきの話を無かったことにするかのように、いつも以上にきゃっきゃとはしゃいでいた。いや、それも俺の先入観か。いつも通りの小花さんだったのかもしれない。そうであってほしいと思う。
何事もないまま日が落ちて、どうやらあれは俺の白昼夢だったのだろうか。
夕方、ロッジから撤収作業の最中に、一ノ瀬の携帯電話に、黒城さんから着信があった。
「はい。あー、どうも。黒城さんの方はどうっすか。娘さんの小学校受験の対策? へー親まで塾に呼び出されるんすか。面接の練習で? あー、ははは。大変でしたね。こっち? こっちは、……」
どうやら本人からの電話に間違いないようだ。
生きていたのか。
やっぱりあれは幻覚かなんかだったんだな。ちらりと小花さんを盗み見ると、目が合った。
「忘れ物ないか、見回り、行こ」
棒読みでそう言うなり、小花さんは俺の腕を引いてぐいぐい二階へ上がる。え、え、え、可憐な彼女に俺は引きずられていく。
誰もいない二階、適当な一室のドアを開けるや、俺を押し込み、ばたんと後ろ手にドアを閉めて、彼女は言い放った。
「不倫、だよ」
真っ直ぐに、射すように、挑むように、俺を見据えている。俺は。
「えっ。えーーー、と、……プリン?」
恋愛のレの字も知らぬ頭はショートして明らかに誤変換。
「ばか」
小花さんが言う。ごもっとも。
「ばあーか」
小花さんが言う。
「ばかあ。ばーーーーーか」
細い肩が震えている。小花さんが泣いている。
「ばかなのよ、私……」
掠れる声で。俯いた表情は見えない。ただ頼りなげに小さく小さく震えている。思わず両手を伸ばす。伸ばした両手を引っ込める。抱き締めてしまいそうになった。いや、この場合は抱き締めた方がいいのだろうか。両手を宙に彷徨わせたままフリーズした俺の中に、彼女がぽすんと飛び込んだ。
温かい。でも震えている。泣いている。
そっと、彼女の背に手を当てる。まだ震えている。強く、もっと強く抱き締めてみる。
「私」
ぐすぐす鼻を啜りながら彼女が絞り出す。
「私、黒城さんと、……不倫してて……、でも……。だから、黒城さんがいるから参加したの。なのに黒城さん……、今回のイベントに私が行くって知って、それで気まずいから、ドタキャンしたんだよ……」
彼女が顔を上げる。真っ赤に潤んだ大きな瞳で俺を見つめる。
これ、たぶんだけど、キスしていいってことだ。けど、俺は。俺にそんなことできようはずもないし、しちゃいけないと思った。ただ彼女のことをぎゅっと抱き締めた。彼女はまた静かに泣き出した。
その間俺は、ぼんやりと、やっぱり俺は雨男なんだなあ――なんて考えていた。女の子まで泣かせちゃって。やっぱ雨男って、つれえ。
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