#2
会社帰り。小花さんと一緒になる。
あのロッジでのイベント以来、なんとなく小花さんと近しくなった。同じ経験を積んだせい、同じ秘密を共有するせいかもしれない。
小花さんと俺が一緒になると、大体曇り空。晴天のような心とは裏腹に、いや、やっぱりあれこれ悶々としているから曇り空って感じかもしれない。しかし、天気に関係なく足取りは軽い。駅までの道のりが永遠に続けばいいのにと思う。
「あ」
小花さんが声を上げる。
「どうかした?」
「いえ、ずっと工事中だったここ……、住宅だと思っていたけど、お店ができるんだなって」
彼女の視線の先には小さな家。先日までは工事用シートで覆われていた場所だ。
大きなガラス窓は、何かの店舗の壁面のようだ。小さなお店で、苔緑色の庇があり、深みのある大きな木の扉。レトロ調のジブリっぽい外観。「かわいいー」、小花さんが声を上げる。いえいえ、あなたこそ。
なんの店だろうか。二人して窓ガラスから覗いてみるが、中から白い布が張られていて見えない。どうやら新規開店に向け内装工事中のようだ。外にはまだ看板も出ておらず、なんの店か分からない。と、よく見ると、窓ガラスには白いシールで小鳥や森の動物たちのシルエットがおしゃれにデザインされている。メルヘンだなあ。その中に、文字を見つけた。
――『おやすみMONDAY』
店名だろうか。それとも、売られる商品だろうか。
小花さんも窓ガラスに貼られた文字に気づいたようで、じっと『おやすみMONDAY』を見つめている。つられるように、俺も。
「何だろうねー、『おやすみMONDAY』?」
しばしの沈黙を打ち消すように彼女が明るい声を出す。
「うん、なんだろう。……でも、なんかいい感じ、だな」
そう言った俺に、嬉しそうに頷いた。
「うん。本当に、なんかいい感じ。なんだか惹かれる言葉だよねー」
いや、俺はそれより、あなたに惹かれているのですけど。でも、なんだろう。
ぼんやりと店の前に佇んでいるも、それ以上の情報はなく、また駅に向かってゆっくりと歩きながら、『おやすみMONDAY』について二人で考えた。
「なんだか、いいよね。戦いの火蓋が切って落とされる月曜日に、おやすみと言ってくれること」
小花さんがそう言うと、本当に素敵な言葉な気がする。
「ほんのりと安らぎを与えてくれるっていうか」
「うん、確かに」
これはいい加減な相槌ではない。彼女から発せられるその言葉は本当にまるでヒーリングワード。
「雑貨屋さんかなあ」
「いやあ、喫茶店か本屋じゃないかな」
「そうかな。でも、きっと素敵なお店に違いないよね」
「そうだよなあ……」
開店したら一緒に行きましょう。とは言えない。言いたいけれど言えない。
「……ええと。もしも店名でなく、商品名だとしたら?」
「それも素敵なものに違いないよ。それ、欲しいなあ……」
小花さんが遠くを見るように呟く。本当に欲しいんだ。俺、買ってあげま……。
「ねえ!」
突然小花さんが俺に振り向く。
「な、なに?」
「ねえ。仕事、楽しい?」
努めて明るい声だが、真剣な眼差し。
「え、ええ……?」
何と答えたものか。彼女がこんな質問をした理由に見当がついて、狼狽える。
うちの会社、ブラック企業とまではいかないが、旧態依然の「古き良き」会社だ。女性社員はお茶汲みから始まり、主任までは上がるが、それ以上の管理職に就くことはない。一方その管理職の古狸たちも自らの能力を顧みず年齢だけを笠に着て威張り散らす。パワハラは暗黙の推奨。そんな場所で、彼女はもう二十代後半。いろいろ考えないはずもない。いろいろ。
「私、『おやすみMONDAY』が開店したら、必ず行く」
その日までは我慢して働く。そんな風に聞こえた。それで、『おやすみMONDAY』が開店したら、きみはどうするのか。弱虫な俺は聞くことができなかった。
ただ、俺も彼女も、次の日以降も、いつも通り働いた。一生懸命に。悔しさも怒りも涙もすべて飲み込んで。
『おやすみMONDAY』が彼女を慰めてくれる。受け入れてくれる。与えてくれるはずだ、癒しか、それとも救いを。そう信じることで、彼女は日々を乗り越えた。
そうしてついに。『おやすみMONDAY』開店の日を迎えた。
その日も小花さんと、たまたま帰りが一緒だった。
店舗を見た俺たちは思わず破顔した。店は、雑貨屋でも喫茶店でも本屋でもなかった。
美容室。
己のうかつさに笑いが止まらない。二人して往来で馬鹿みたいに笑い転げた。
世界は俺たちの想像よりもずっとやわらかに広がっている。当たり前のことでも、こんなに素敵なものに変えることが。俺たちには、できるんだ。
おやすみMONDAY――月曜定休。
店の前で別れて、彼女はドアを開く。待ち望んでいた通りに。
翌日、まるで憑き物が落ちたみたいに、ばっさりとショートカットにした小花さんは清々しい顔をしていた。きっとそんな簡単に生きる道を変えることはできないけれど、何らかのヒントにはなったのだと思う。
俺を見つけて照れ臭そうに笑う彼女に、「おはようウェンズデー!」と挨拶したら、馬鹿だと大笑いされた。涙が出るほど笑ってる。
彼女のこんな大笑いを見るのは、あのロッジでの一件以来、久方ぶりだった。
あのロッジに集合したイベントの日。俺は小花さんと、いや、小花さんの、秘密を共有することになった。――
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