うたと騎士

 ヴィルは怪物の側で動けずにいる一京を見つけた時、心臓が凍るような思いであった。


 ほとんど反射的にガウナから飛び降り、そのまま怪物の前に立ち塞がる人物の方へ駆ける。

 立ち姿を見て分かるが、戦い慣れている人物ではない。


 咄嗟にその人物から剣を取り上げ、振り下ろされた怪物の前足を受け止める。

 甲高い音が鳴り響き、重い衝撃に僅かにブーツの底が石畳の上を滑った。

 予定外の事が起きたためか怪物はその場から一度飛び退り、咆哮を上げた。


 背後の人物が下がったのを感じ取りながら、ヴィルは考える。

 一京や周りの人間を守るという意味でも、あの怪物を倒すという意味でも、今の最善手はどうにかして一京の元へと近づき、霧の騎士として戦う事だ。

 だが、この距離だと背を向けた瞬間に自分を飛び越えて一京を襲われる可能性がある。

 特にこの怪物は妙な先見の力があるようで、ヴィルたちが接触することを脅威だと感じ取り、先手を打たれても不思議ではない。


 ……どうにかして、敵との距離をもう少し離さなければ。

 そうは思うものの、相手は怪力を持つ上に、図体も大きい。

 ヴィル自体も並の人間に比べると怪力と呼べるのかもしれないが、あの怪物を吹き飛ばせるかと問われれば、答えはノーだ。


 かと言って、草原で戦った時と同じように一人で敵を斃せるかと言われると、それも難しい。

 今のヴィルは自身でも分かる程に消耗しており、あの時と同じように打ち合っていれば先に崩されるのはこちらだろう。


 ……息を整えながらそう考えていると、脳裏にあの時と同じ旋律が流れる。

 儚い少女の歌声。

 それは夢現で聞いたような、どこか、懐かしい……。


 何かを察したのか怪物が激しい唸りをあげ、ヴィルに肉薄した。

 目前に迫った牙を身を引いて避け、牽制に剣を一閃する。

 それを交わした怪物が、今度はその巨体ごとぶつかって弾き飛ばそうとした。

 受け切れない……そう思った時、ヴィル自身のものとよく似た、誰かの声が聞こえた。


『……残った最後の力を貸してやる。』


 その声と共に、握っていた剣と左腕が眩い銀色の光を帯びる。

 体当たりを喰らわせてきた怪物の巨体は、想像ほどの衝撃を与えず……ヴィルはその場に踏み留まった。


 死の足音を掻き消すような、歌声。

 美しい旋律のそれは、無自覚なのだろうか……後方で戦いを見守る一京が紡いでいた。


『うた』が新たな音を奏でるたび、ヴィルの身体に不思議な力が備わるのを感じる。

 それはかつて彼が仮面を受け取り、ブリンガーとして迎撃戦に参加した時の感覚に少しだけ似ていた。


 ヴィルは剣を握る両腕に、ありったけの力を込める。

 すると、僅かであるが怪物の体を押し退ける感覚があった。


 これならば、きっと。

 自身に与する存在が一体何なのかは理解出来なかったが、今、大切な人を守る事が出来るのなら何でも良い。


 全てを注ぎ、この一撃に賭けるという思いで……ヴィルは雄叫びを上げた。


「うあああぁぁッ!」


 その瞬間、ヴィルの手の中で剣は細かな塵となって砕け散った。

 同時に怪物との間に輝く衝撃波が発生する。

 怪物はそれをもろに受けて吹き飛ぶと、向かいの建物の壁にぶつかり、そのまま地面に叩きつけられた。


 今しかない!

 そう思ったヴィルは踵を返して、一京の元へ向かう。


「ケイ様、手を!」


 その意味を悟ったのか、一京はすぐに差し伸べられた手を握り返した。


 それとほぼ同時に、辺りにフラッシュが焚かれたように、淡青色の輝きが迸った。

 傍でその光景を見ていた小酉は、眩しさに思わず目を瞑ってしまう。

 そして目を開けた時には、一京の姿ももう一人の姿もそこにはなかった。


「は!?え!?」


 混乱する小酉の前に、ふわりと煌びやかな衣装を身に纏った一京が舞い降りる。

 晴れ渡る空色の袴には、百合の紋様が銀糸で縫い込まれていた。


「ありがとう、小酉。私が生きてるのは多分、お前のおかげだよ。」


 背を向けたままそう言うと一京は腰の鞘から刀を抜き、瓦礫の中から立ち上がった怪物に向かって駆ける。

 そして高く高く跳躍すると、大きく回転しながら急降下し、怪物の体に何本もの斬撃を刻みつけた。

 血飛沫が舞い、切り落とされた怪物の腕や足が転がる。


 悲痛な声を上げてその場に倒れる怪物だが、未だに殺意は消えていないらしい。

 立つ事ができずとも、その大顎で喰らい付いてやろうと大きく口を開けて蠢いている。


 一京は地を蹴り、化け物の頭上を舞うように飛び越えながら再度刀を振るう。

 その瞬間、化け物の首と胴の間に赤い亀裂が入ったかと思うと……首がずるりと滑り落ち、分離した。

 首を失った化け物は少しの間は痙攣していたが、やがて完全に脱力する。

 赤黒い悪臭を放つ血液が噴水のように噴き出すが、一京はそれを何なく避けて小酉の元へ戻ってきた。


「一京さん、あんた一体……。」

「いや、これには色々と事情がーー」


 色々と言いたげな小酉に話しかけようとした一京だが、ふとその動きが止まる。

 彼の身体が淡い光に包まれ、衣服が先程まで着ていた純白の衣装に戻ったかと思うと……その背後でどさりと何かが落ちる音がした。


「え……お、おい!ヴィル!」


 一京は慌てた様子で、倒れた人物の傍にしゃがみ込み、その肩を揺する。

 何かの落下音は、ヴィルが倒れた音だったらしい。

 薄目を開けたヴィルは一京に弱々しく微笑みかけたが、そのままがくりと力を失ってしまう。


「ヴィル!嘘だろ、返事して!」

「一京さん、落ち着いてください。」

「落ち着いてられるか、ヴィルが死んじゃう!」

「死にませんって。見た所、致命傷になりそうな傷も負っていないし、顔色もそんなに悪くない。頭にも傷はありません。」

「あ……」

「極度の疲労で眠っただけだと思います。いや、この状況で寝落ちてしまう程ってよっぽどですけど……。」


 一京は小酉に言われたことを一つ一つ確かめてみるが、確かに言われた通りであった。

 口元に耳を当ててみると、規則正しいすやすやという寝息が聞こえる。

 大騒ぎしてしまった事が少し恥ずかしくなったが、命に別状がないと言うのならば何よりだ。

 小酉は辺りを警戒しながら立ち上がった。


「これで安全になったとは限りません。また何か起こる前に宮廷に入れてもらいましょう。……俺たちではこの人を担いでいくのは無理でしょうから、応援を呼んできます」

「悪い、頼んだ。」

「はい。絶対に勝手に動かないでくださいよ。」


 そう言い残して、小酉は宮廷の方へと駆けて行った。

 一京は一つ大きなため息をつくとその場に座り込み、眠っているヴィルに膝枕してやる。

 そして随分と汚れてしまっているその髪を優しく撫でながら微笑んだ。


 そうしていると、どこに隠れていたのか背に鞍と鞄を積んだ馬がやってきて鼻先を近づけてきた。


「お前がヴィルを連れてきてくれたの?」


 顔を軽く撫でてやると、馬はまるで誇るように鼻を鳴らすものだから、一京はくすくすと笑い声を上げる。

 馬に乗って颯爽と駆けつけるなんて、まるで物語に出てくる騎士みたいだ。


「やっぱ、ヴィルは俺の自慢の騎士だよ」


 その言葉はきっと眠るヴィルには届かないだろう。

 それでも、遠く離れた地から自分を助けにやってきたのであろうこの男の事を一京は労ってやりたいと思ったのだった。

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木枯らしの獣 後編 はるより @haruyori

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