奇跡を呼び込むまでの一秒間

 挿頭草一京はその時、今日の仕事を終えて馬車に乗り込み、宮廷内に割り当てられた居室に戻るところであった。

 儀式用の純白の衣装に身を包んだ一京は、馬車の窓から、先ほど自身が出てきた屋敷を眺める。

 普段身につけている衣装よりも袴の裾や袖が長く、舞を踊った際に絹で織られた薄い布がベールのように流れる作りになっている。

 本来は今日のように『鎮魂』の儀式で身につける物ではなかったが、依頼主が過去にいたく気に入っていたので、是非この衣装で来て欲しいとの事だった。


 この屋敷の主は、まだ一京がこの霧の帝都に来たばかりの頃に世話になった恩人だった。

 幼かった一京はその人物が小児性愛者である事は肌で感じていたが……だからと言って妙な事をされたわけでもなく、屋敷に来賓として呼ばれて向かった日は、ただ演舞を笑顔で楽しみ、美味しい食事を提供してくれていたのだから悪い人物ではなかったと思う。

 その恩人が老衰で亡くなったと言うので、今日は彼の葬式に仕事と最後の別れを目的として訪れていたのであった。


 それほど頻繁に訪れていたわけでもないが、きっともうここに来る事は無いんだろうなと思うと、少し寂しいような気もする。

 御者の声に続いて馬車が動き始めた時、隣に座った黒髪の青年が、手元に広げた書類に目を通しながら一京に労いの言葉をかけた。


「本日の予定はこれでおしまいですね。お疲れ様でした。」

「ありがと、『ことりちゃん』もお疲れさま!」

「毎日このやり取りしてますが、小酉です。そろそろ飽きてください」


 ジトっとした目で一京を見る小酉と、金糸の髪飾りを揺らして笑い返す一京。

 この二人が行動を共にし始めてから、もうすぐ二年が経とうとしていた。


 最初はヴィルと引き離されて意気消沈していた一京との関わり方に戸惑うばかりの小酉だったが、少しずつ一京が立ち直って行くのを見て安心したものだ。

 小酉の知る一京は、鬱陶しいほど晴れ渡った空のような人間像だったので、泣き暮らしている姿を見るのは正直のところ心苦しかった。

 半ば無理矢理にでも気分転換をさせ続けた成果あってか、プライベートでもよく笑ってくれるようになったし、先程の通り冗談も毎日のように口にする。


 完全に吹っ切れたのかと問われると、彼の心を覗けない小酉にはなんとも答え難いが……少なくとも、取り繕える程度にはマシな精神状態になったのだろう。

 時折部屋の窓からどこか遠くを見つめてぼうっとしている姿も見かけるが、人間誰しも一人で物思いに耽る時間は必要なはずだ。


「あーあ、本当はこのまま帰りにパブに寄って一杯ひっかけて帰りたいのにな〜」

「そのせいで死にかけたんでしょ……ほんと懲りない人だな」


 真っ直ぐ王宮を目指して走る馬車に文句を垂れる一京を見て、小酉はため息をついた。

 とはいえ以前に増して仕事以外での外出を禁止され、たまの休みをもらっても居室内に篭りきりという生活では、気が滅入るのも仕方ないだろう。

 一応は小酉も気を遣って、自身が外出した日は一京が興味を持ちそうな書物や食べ物をお土産に持ち帰ってはいるものの……やはり自分の目で棚に陳列された物を品定めする楽しみ自体を提供する事は出来ない。


「……なんか、変じゃない?」


 かつて通い慣れたパブの姿を探して車窓から外を見ていた一京が、馬車の行手を眺めながらそう言った。

 宮廷の正面広場……噴水が設置され、普段は人々の憩いの場となっている場所なのだが、そこに大勢の人が押し寄せて大変な騒ぎになっているのだ。

 そこに突っ込んでゆくわけには行かないので、御者は仕方なく群衆から少し離れた後方で馬車を止める。

 皆口々に何かを叫んでいるのだが、人数が多すぎてうまく聞き取ることができない。

 宮廷の出入り口で警備を任された騎士たちも、人々を落ち着かせようとしているらしいが……その試みは上手くいっていないようである。


「ちょっと、話を聞いてきます。」


 これまでに見たことがない状況を不思議に思った小酉が、一京に中で待機するよう伝えて馬車を降りる。

 するとちょうどその時、群衆に何かを話しかけていた騎士が王宮の紋章入りの馬車を見留めてこちらにやって来たようだった。


「鐘塚様!ご無事にお戻りで、何よりです」

「お疲れ様です。この騒ぎ、何かあったんですか?」

「それが……市民が、怪物が街の中を彷徨いていると申しておりまして」

「怪物?」


 小酉は突拍子もない話に、なんだそりゃ、と小首をかしげた。

 まさか魑魅魍魎といった類がこんな真っ昼間に出るとも思えないし、『怪物じみた人間』と言うことであればもう少し具体的な情報がある筈である。


「ともかく誘導致しますので、裏口から中にお入りください。」


 騎士がそう言った時だった。

 人々が一斉に悲鳴をあげ、何かを指さして逃げようと人の波を押し始める。

 驚いた小酉がそちらを振り向こうとした時……停められていた馬車が、いきなり大きな衝撃を受けて横倒しにされた。


 騎士と小酉は少し離れたところで会話していたため、それに巻き込まれることはなかった。

 前方に繋がれた馬は嘶いて暴れ、御者は座席から放り出されたのか地面に蹲っている。

 しかし直ぐに危険を察知したのか、ひいい、と悲鳴をあげてよろめきながらもその場から逃げ去っていった。


「ちょ、一京さん!?大丈夫ですか!?」


 小酉は慌てて倒れた馬車に駆け寄った。

 一京も何かが馬車にぶつかった衝撃で車体の外に投げ出されてしまったらしく、地面に倒れていた。

 しかし幸いにも大きな怪我はないのか、顔を顰めつつもすぐに呼びかけに反応し、「大丈夫だ」と頷いた。


「けど、足が車体に挟まれて……」

「靴脱いだりなんとかしたら、抜けません!?」

「試してみるから、ちょっと待って!」


 二人がそんなやり取りをしていると、今や障害物に成り下がった車体の向こうから、先ほどの騎士の怒鳴り声が聞こえる。


「貴様か、怪物め!市民には指一本たりとも触れさせんぞ!」


 小酉が怪物という言葉を聞いてそちらに視線を向けると、確かに騎士の向かいには何やら黒い生き物が立ちはだかっていた。

 確かに、アレは『怪物』としか形容できないな、と妙に納得してしまう。

 人の倍もありそうな図体に、醜い頭のついた毛むくじゃらな獣。

 余りにも非現実的すぎて、乾いた笑いが出た。


「あれは、まさか『凝華の怪物』!?いや、違う。何か、もっと……」


 隣で未だに動けずにいる一京が、小酉と同じ物を目にして何かを口走っている。


 騎士は雄々しく声を上げ、怪物に立ち向かってゆく。

 人々を守らんとするその姿は正に理想。

 しかし、時に理想は理不尽な力には遠く及ばない。

 怪物が前足を一振りしたかと思うと軽々と騎士の体は吹き飛び、小酉の隣にまで勢いよく転がってくる。

 首があり得ない方向に曲がっており、彼があの一撃で息耐えたというのは、誰の目にも明らかだった。


 その顛末に焦りを見せ、なんとか足を引き抜くために馬車の車体を持ち上げようとする一京。

 怪物は、嘲笑うようにこちらへと歩を進め始める。

 アレがなんなのかは分からないが、ここでしゃがみ込んだままだと二人とも挽肉にされるのがオチだ。そんな事は、嫌でも理解できた。


「ああ、くそ……!」

「小酉!?」


 小酉はおあつらえ向きに自分の手元に転がってきた、死んだ騎士の剣を拾い上げる。

 皇宮警察に居たと言っても、戦闘技術に関しては通常の講義を受けた程度だ。

 その上、洋刀なんて触れたこともない。

 そもそも構え方は刀と同じでいいのだろうか?

 様々な考えが頭を巡り、じっとりと手のひらに汗をかく。


「やめろ、無理だって!お前まで殺される!」

「このままここに居ても、どうせ殺されるでしょ」

「今なら、お前は逃げられるだろうが!」


 小酉は半泣きで喚く一京に視線を向けて、言った。


「一京さんは、帝都の未来にとって……大事な人間なんです。こんな所で、見捨てて良い訳がない。」


 そして再び怪物の方へと向き直り、足を前に出した。


「くそ、外れろ、外れろって……この!」


 半ばヤケになりながら、一京は無事な片足で車体を蹴りつける。

 しかしそれでも憎いことに、先程はあんなに軽々と転がされたそれは、びくともしなかった。


「どうせ死ぬなら、ほんの小さくてもいい……帝都の礎になって死んでやる。」


 小酉はカタカタと震える手で剣を構え、怪物を睨みつける。

 一秒でも長く、この怪物を足止めできれば……もしかしたら一京はあの場から逃げ出し、助かるかもしれない。


 例え腕を落とされても、脚をもがれてもすぐには死ぬな。死なずに戦え。


 そんな柄にもなく勇ましい言葉を自分に言い聞かせ終えた瞬間、目の前の獣は大きく跳躍して小酉に襲いかかった。

 意を決し、それを斬らんと腕を振り上げた時……何者かがその手から剣を奪い、小酉と怪物の間へと飛び込んだ。


 視界を覆ったのは、小酉よりも随分と大柄な人物の背中であった。


「ヴィル……?」


 呆然と呟く一京の声が聞こえた。

 小酉は少しの間動けずに居たが、ここに居ては邪魔になるということを悟り、即座に距離を取る。


 怪物は自分の攻撃を受け止めた闖入者に怒りを覚えたのか、身の毛のよだつ咆哮を上げた。

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