木枯らしの獣 後編

はるより

星の騎士

「おい坊主、今日はあのフリフリ着てないのか。」

「流石に声変わりしちまったら、流石に『ハニーちゃん』名乗れる訳ねぇだろ」


『Angelic Dormitory』の店の前に設置されている、可愛らしいロープで装飾された柵にもたれかかりながら、髭に混じる白色が増えたフォルクマーは目の前の青年を揶揄った。

 青年……セト・アンダーウッドは長く伸ばした髪を纏め、三つ編みにして垂らしていたが、今の彼の雰囲気からは女性的な印象は受けない。

 着ているのはかつてのようなメイド服や可愛らしい衣装ではなく、黒と白を基調としたベストのウェイター衣装である。


「それより、警備員だろおっさん。こんな所でだらけてないで、さっさと持ち場に戻れよ。」

「ちょっとくらい休んだっていいだろ?俺だってもう歳なんだ、今は客も捌けてるし、次に混むのは夕方前だろ。」

「どの時間だろうが、同じ給料貰ってんだろ。甘えてんじゃねえよ、オレの兄弟になんかあったら殺すからな。」

「ほんと可愛くねぇな、クソ坊主……。」


 セトに睨まれ、フォルクマーはやれやれとため息をついた。


「で、お前は店の外に出て何やってんだ?」

「紅茶の茶葉で、切れたのがあるから買って来いってさ。使いっ走りだよ。」

「ほー、ご苦労な事で。一人で買ってこれるか?なんなら着いて行ってやろうか?」

「うるせぇ、ガキじゃねえっつってんだろ。」

「ちんちくりんに凄まれても全然怖くねぇな。」

「黙れハゲオヤジ。」

「これはハゲじゃなくてわざとツルツルに剃ってるんだ!」


 このような言い合いを繰り広げているが、互いに『東部暗黒街』出身であるからか、何処となく波長の合うセトとフォルクマーである。

 側から見るとケンカのようなじゃれ合いを繰り広げていると、ふとフォルクマーは通りの奥が騒がしい事に気づいた。


「……今日って、なんかイベント事があったか?」

「いや、オレは聞いてないけど……。」


 都の広場でイベントや、催しがある日は、飲食店である『Angelic Dormitory』も基本的には大忙しである。

 なので、そういった日取りは基本的には店員であるセトにも伝えられるはずなのだが……本日は至って普通の平日だと思っていた。


 だが確かに、談笑とは違う人々の声が徐々に大きくなっているように思える。

 そう、それはまるで、悲鳴のような……。


「おい坊主、ちょっと様子を見てくるから買い物に行くのは後にしろ。」

「オレも行く」

「馬鹿野郎、暴漢でも暴れてたらどうするんだ。」

「暴漢におっさんが殺されたら、戻って事情を伝える役が必要だからな。」

「やれやれ……。」


 フォルクマーは一向に引き下がろうとしないセトにため息をつきつつ、腰のホルダーに下げた剣を確かめてから歩き出した。


『Angelic Dormitory』の面している大通りを歩く人々も何か異変は察知しているらしく、不安げな表情を浮かべて騒ぎの聞こえる方へ視線を向けていた。


 通りを駆け足で進むに連れて、慌てて逃げてくる人々が現れ始める。

 彼らはパニック状態になっているようで、道行く人にぶつかって転んでも、慌てて立ち上がり、謝りもせずに走り出すといった具合だった。

 その直後、押し寄せる人の数が急に増えた。


「逃げろ、化け物だ!」

「殺される!」


 そんな声が聞こえ、それまでその場で様子を見ていた人間も釣られて悲鳴を上げながら走り出す。

 セトとフォルクマーと顔を合わせ、すぐに人々の波を逆走して走り始めた。


 そしてしばらく進んだところの街角で、『それ』を目にする事になる。

 濡れたような黒い毛皮の獣。

 爬虫類とも狼ともつかない顔立ちで、裂けた口には無数の歯がノコギリの刃のように並んで生えていた。


「なんだありゃあ……!」


 フォルクマーは見た事もない怪物に慄くが、直ぐに剣を抜いて臨戦体勢を取る。

 次の瞬間、首をぐるりと回した怪物の目が、セトを捉える。

 視線が合っているようには思えないのに、自分が『見られた』事を理解したセトは、心臓がどくどくと早鐘を打ち始めるのを感じた。

 それとほぼ同時に怪物が駆け出し、大きく跳躍してセトに飛びかかろうとする。


 それに反応したフォルクマーは剣で怪物の首を刎ねようとしたが、空中で器用に体勢を変えた化け物は少しだけ離れた地点に着地し、事なきを得た。


「坊主、行け!子供達を連れて店の地下室に隠れてろ!」

「……分かった!」


 この場に居ても自分に出来ることはないと判断したセトは、フォルクマーと怪物に背を向けて走り出す。

 怪物はその背を追おうとしたが、同じく獣のように踊りかかったフォルクマーがその行手を阻んだ。


「どっから来たか知らねぇが、大人しく帰る気がないなら覚悟しろよ」


 セトの姿が見えなくなったのを確認して、フォルクマーは再び怪物に攻撃を仕掛ける。

 その左の前脚を切り落とさんと振るわれた剣はあっさりと避けられるが、それで終わりではない。

 身を翻したフォルクマーは身体の前で剣を握る手を入れ替え、流れるようにして連撃を放った。

 だが……それすらも読んでいたと言わんばかりに、化け物は身を低くして回避した。


「おいおい、マジか。」


 余りの化け物の反応の良さに、フォルクマーは驚愕する。

 少なくとも人間なら、大概初回の一手は受けて貰えるのだが。

 今度はこちらから行くぞと言わんばかりに、化け物は凶悪な鉤爪を剥き出しにした前脚でフォルクマーに襲いかかった。


 何度も繰り出されるそれを剣と特注のブーツの底で正確に受け流していくが、反撃するタイミングがなかなか見つからない。


「ちっ、ほんとにお前獣かよ?」


 フォルクマーは悪態をつきながら、腰のホルダーから抜いた投げナイフを五本同時に放つ。

 カカカッと音を立てて等間隔で石畳に突き刺さったそれは、やはり化け物を捕える事はない。

 どうしたものか、とフォルクマーが頭を悩ませていた時……背後から誰かの足音が聞こえて来る。


「おっさん、退け!」

「は!?おい坊主、なんで戻って来やがっ……え?」


 聞こえてきたセトの声に、フォルクマーは焦って振り返る。

 しかし視界に入ったのは、予想だにしない光景であった。


 ゼラニウムの紋章を抱く白金の大盾を軽々と担ぎ、華奢で美しい鎧に身を包んだ青年。

 顔は仮面で隠されているが、彼が自身の知る人物である事は疑いようもない。

 それはフォルクマーが初めて目にした、星の騎士の姿であった。


 セトは閃光の如き速さで化け物に迫ると、大振りな盾の一撃を化け物に喰らわせた。

 光の粒があたりに散り、立ち並んだ建物の壁に虹色の光が乱反射する。

 化け物は大きく吹き飛び、道路脇に設置されていた植え込みの中に突っ込んだ。

 フォルクマーはその光景を唖然とした様子で見つめていた。


「お、おい!お前、セトなんだよな!?」

「そうだよ。実際はプラス1だけど、そんなの後でいいだろ!」


 フォルクマーには理解出来ない言葉を言い放ってから、セトは再び駆け出した。

 体勢を立て直しつつあった化け物に、そんな暇は与えないと言うように……跳躍したセトは、刃のように薄く磨かれた盾の底をその背に突き立てる。

 盾はまるで柔らかいケーキを切るように化け物を分断し、吹き出した赤黒い血液が輝く白金とセトの金髪を汚した。

 とどめとしてセトがグリーヴの踵で化け物の頭を踏み潰すと、血肉と黒い毛皮の塊になったそれは、ぴくりとも動かなくなった。


「ちっ……。」


 舌打ちしたセトは、顔に付いた血液を忌々しそうに手の甲で拭う。

 駆け寄ってきたフォルクマーがセトの頭から足の先までを眺めながら言った。


「なんだ、そいつは……その無茶苦茶な強さは。」

「さぁな。詳しくはあんたの大好きな女王陛下に聞いてくれよ。オレは店に戻る。」


 面倒臭そうにそう言い放って、セトは踵を返す。

 フォルクマーも、それが今どうしても必要な情報ではないと理解していたため、彼に続いた。

 二人が来た時よりも随分速い速度で街を駆けていると、人気のなくなった街角から馬の足音を聞きつける。

 不思議に思ったセトが曲がり角の先を覗くと、見知った顔がそこにあった。


「は、ヴィル!?」


 先に呼びかけたのは、セトではなくフォルクマーの方であった。

 傷だらけで憔悴していたヴィルだったが、二人に気がつくとはっと表情を変える。


「親父に、セトか……!」


 ヴィルは二人への懐かしさを覚えるが、今は再会を喜んでいる場合ではない。

 手綱を引いて馬を止めたヴィルは、そのままで二人に語りかける。


「二人とも、黒い獣を見なかったか!?」

「ああ、一匹は殺したよ。」

「殺したって……ああ、そうか。」


 ヴィルはセトがステラドレスを纏っている事に気が付き、小さく頷いた。

 何か訳知りの様子であるヴィルに、フォルクマーは尋ねた。


「おい、ヴィル。あれは何だ?何で急に街中に現れた?」

「すまない、僕にも分からないんだ。ただ、あれは多分……僕らが迎撃戦で手に入れた勲章を狙ってる。」

「それでオレに目をつけやがったって訳か、あいつ。」


 セトは先ほどの光景を思い出しながら呟いた。


「ヴィル、お前他も見て回ったのか?」

「いや、まだ着いたばかりなんだ。ただ……王宮前の通りは駄目だ。騎士団に保護を求めた人が押し寄せて、通れそうもない。」

「そうか……ってかお前、今更だがそのお嬢さんは誰だ?」


 フォルクマーはそこでようやく、ヴィルの前に女性が一人俯いて座っていることに気付く。

 ヴィルは一瞬躊躇ったようだが、答えた。


「友人だ。お腹に子供がいる。」

「妊婦か。旦那は?」

「もう居ない。」

「……なんてこった。」


 ヴィルの言葉に、フォルクマーは痛々しげに目を伏せて首を横に振った。


「騎士団に彼女を預けるつもりだったが……今は難しいみたいだ。」


 ヴィルは眉根を寄せて何かを悩んでいる様子である。

 それからセトの方を見て言った。


「セト、頼みがある。急な話で申し訳ないが、あの獣は多分他にもいる。街の中を探して、討伐する手伝いをしてくれないか?」

「断る。」

「……何故?」


 間を置かずにはっきりと断ったセトに、ヴィルは思わずそう問い返した。


「オレは店と従業員を守らなきゃいけない。店を離れてる隙に何かあったら元も子もないだろ。」

「しかし……」

「お前の言うあの化け物が勲章を狙ってるって話も、予測だろ。間違ってた時の責任を、お前は取れるのかよ。」


 ヴィルは、セトの言葉にそれ以上何も言えなくなってしまう。

 一番大事に思っている人たちを守ろうとする彼を、どう否定しろと言うのか。


「その代わり、そいつは引き受ける。」


 そう言って、セトは担いでいた大盾から手を離した。

 大盾は光の繊維となって千々になり、そのまま消えてしまう。

 フォルクマーが目を丸くしていたが、それを無視してセトは馬上へ両手を差し伸べた。


「……子供が、居るんだろ。」


 ぶっきらぼうにそう言うセトに、ヴィルは「ありがとう」と返し、彼の腕に友人の体を託した。

 セトが『共にある人物』から何かを言われたのか、小さく「そいつはどうも」と呟いていた。


「二人とも、引き留めて悪かった。エイラの事を頼む。」

「おう、任せとけ。……どこに行く気か知らねぇが、死ぬなよ。」


 フォルクマーの言葉にヴィルは小さく頷いて返すと、そのまま馬を走らせてその場から立ち去っていった。


「おい、おっさん。時間を食っちまったから急ぐぞ。」

「おうよ!」


 セトとフォルクマーは頷き合うと、再び石畳の通路を駆け出すのであった。

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