対決

 血まみれのヴィルと動かないテッドを出迎えた村人は皆動揺し、怯えていた。

 事情を話し、絶対に森には近寄らない事、できる限り今日は家の中で過ごすことを彼らに伝えると、ヴィルは返す刀で自宅へと戻る。


 当然ながら、この村に戦争に使うような武器はない。

 精々武器になりそうなものといえば、狩りに使う弓矢と、薪を割るのに使う鉈……それから森で蔦や下草を刈るためのマチェットくらいのものであった。


 ヴィルは心許ない装備と先ほどの化物を思い浮かべて頭を悩ませるが、これ以上の準備を整える時間などない。

 結局それらとその場にあった食料を鞄に詰めて背負い、再びガウナを駆り出す。


 ヴィルは、村から外道へと伸びる道を辿っていた。

 この近辺には、カルム村以外に人の住む地はほとんどない。

 そしてテッドの口走った、『キャラバン』という言葉が気掛かりであった。


 エイラは午前の10時過ぎに、クロエの行商馬車に乗って都に向かったという。

 馬車が都に着くには、三日かかる。

 そしていつもクロエが一日目の夕方ごろ、『泉のキャラバンキャンプ』と呼ばれているキャンプ地点に馬車を停めて寝泊まりしていることを知っていた。

 その呼び名の通り、清廉な泉のそばに作られた広場であり、見通しはかなり良い場所にある。

 そこはカルム村と都を行き来する馬車だけでなく、その他の村と都を繋ぐ街道がいくつか合流する地点にも近い。

 そのため、他と比べると多くの人が同時に集まる可能性も高い場所だと言える。

 そういった理由に加えて、ヴィル自身の第六感的な何かが、あのキャンプに向かうべきだと告げていた。


 ……あの時見た化け物の動きから判断するに、馬よりも脚は遅いと見て良いだろう。

 しかし、気になるのはテッドが襲われる直前まで、全く何の反応をすることもできなかったという点だ。

 あの建物があったのは、森の中でも開けた場所だった。

 木々の立ち並ぶ場所から建物の位置まで、大体20メートルはあったように思える。

 例えばあの木々の隙間から現れたのだとすれば、少なくともテッドはそれを見てヴィルに呼びかけるくらいの事は出来たはずだ。

 図体が大きいだけに、それほど俊敏に動けるようにも思えない。

 状況が状況だけに、テッドが周囲への警戒を怠ったということもないだろう。

 だとすれば、どうやってテッドの視界をすり抜けたのだろうか。

 まさかあの化け物が姿を消すことができるだとか、常に相手の視界に入ったまま動ける……などという事は、考えたくもない。


 それから、あの化け物がテッドから奪った物。

 何やら皮袋のようであったが、化け物はあれを取り上げた後、テッドからもヴィルからも興味を失ったようであった。

 その様子から考えるに、人間を殺すのは喰らう為ではなく、別の目的があるという事だろう。


 ガウナを走らせて三時間ほど経った頃、街道と草原は傾いた太陽によって茜色に染め上げられていた。

 ヴィルの目的地である『泉のキャラバンキャンプ』が小さく見え始め、そこから焚き火の煙が上がっているのも確認できる。

 何やら騒ぎが起きている気配もなく、少なくとも『怪物に襲撃される』という事件は起きていないようであった。


「エイラ!クロエさん!」


 ヴィルがガウナの手綱を引いてその足を止め、キャンプ地の入り口から大声で呼びかける。

 すると、驚いた顔をした二人が停泊していた馬車の中から飛び出して来た。


「ヴィル!?どうしたの、こんな所まで……」


 エイラが血で汚れたヴィルの服を見て、青ざめた顔でそう尋ねて来た。

 テッドのこと、化け物のこと……さまざまな事を伝えなければならない筈だが、エイラを確実に悲しませる事実をどう伝えれば良いか、咄嗟に判断できない。


「ここに来るまでに、黒い獣を見ていませんか?人くらいの大きさがある……」

「何だい、そりゃ……。少なくとも、あたしは見てないよ」


 普段は快活なクロエも、流石にこの状況には表情を曇らせていた。

 その隣に立っていたエイラが、突然表情を硬くする。


「……ねぇ、ヴィル。あなたが言っているのって……もしかして、あれのこと?」


 そう言って彼女が、恐る恐る、と言ったふうにヴィルの背後を指差す。

 ヴィルが即座に振り返ると、街道と草原の向こうから黒い影がこちらへと駆けて来るのが見えた。

 見間違うはずもない。その背に突き立った一本の矢は、その獣がテッドの命を奪った者と同一であることを示していた。


 化け物は爛々と光る黄色い眼をギョロギョロ動かし、涎を垂らしながら一目散に草を蹴散らしている。

 その姿は人々に恐怖を植え付けるのに十分な物であった。

 現に、キャンプ内から騒ぎを聞きつけて様子を伺っていた人々から悲鳴が上がっている。


「エイラ、他の人達を連れてキャンプの奥に避難してくれ!クロエさんはガウナをお願いします!」

「ちょっと、あんたはどうする気だい!?」

「誰かが被害に遭う前に、僕が迎え撃つ!」


 ヴィルはガウナの背から飛び降りると、鞄から弓とマチェットを引き抜いて黒い影の方へと駆ける。

 呆気に取られていたエイラとクロエだが、やがてここに居るのは得策ではないと思い至り、言われた通りにキャンプ内の人間に避難を促し始めた。


 化け物はヴィルが正面から突っ込んで来るのを見ると、避ける為に大きく迂回しようとする。


「させない……!」


 自分ではなく背後の人々を襲うことも予想していたヴィルは、すぐに弓に矢を番え、化け物の行手を阻むように放った。

 一瞬、化け物の足が止まる。

 そして直後、そのまま直進していれば化け物の脳天を貫いていたであろう位置に矢は突き立った。


 そこでようやく化け物は、目の前に居る人間の始末を優先すると決めたらしい。

 明らかな殺意と共に牙を剥き出しにし、ヴィルに向かって吠え立てる。


 ヴィルはもう一度牽制のつもりで矢を放つが、今度はあっさりと避けられる。

 しかし……その瞬間に明らかな違和感があった。

 ヴィルが矢から手を離すのと、ほぼ同時……いや、それよりも『更に一瞬早く』怪物は飛び退いて矢を避けたのだ。


 何だ、今のは。

 ヴィルは理屈の分からない気味の悪さに僅かに後ずさる。

 それはまるで、ヴィルの行動の結果を先読みしていたような……。


 動揺するヴィルを嘲笑うように、化け物は躍りかかる。

 凶悪な鉤爪が生えた前足を振り上げ、叩き潰すようにしてヴィルの頭上に翳した。


 ヴィルは咄嗟に左に動いてそれを避けるが、またもやそれを予測したかのように横薙ぎにされたもう一方の脚を、胴を切り裂かれる寸前にマチェットで受け止める。

 爪とマチェットがぶつかり、まるで金属同士を打ち鳴らしたような甲高い音が響いた。


 手の内で獲物がぎしぎしと軋みを上げるのを感じ、ヴィルは冷や汗をかく。

 きっと、こうして何度も攻撃を受け止めていれば、そう長くないうちにこの刃は砕けてしまうだろう。


 刃で化け物の脚を押し返し、その勢いを利用して身体を回転させると、化け物の首に狙いをつけて腕を振り抜く。

 刃が毛皮を捉えた感触はあったが、ただそれだけだ。

 骨肉を切り裂くことも、傷の一つをつけることもない。

 滑りを帯びた黒い毛は刃を受け流す、頑強でしなやかな鎧となっている。

 矢や槍など、一点を刺す物であれば破れるのだろうが……少なくとも今頼みの綱にしている山刀でどうこう出来る代物には思えない。


 ヴィルの喉を食い破ろうと迫る、ぱっくりと開かれた大顎を後ろに跳躍して避けるが、追撃の爪から逃れ切ることが出来なかった。


 切り裂かれた左の肩口から、パッと小さな飛沫が上がる。

 散った血液の球が弾けて、ヴィルの頬を赤黒く汚した。

 だが、傷ついた箇所を庇うような余裕はない。

 ヴィルはじわじわと染み込むような痛みに顔を顰めながら、応戦を続ける。


 しかしこちらからのまともな攻撃手段がない以上、いつまでこうしていようが状況は横這いだ。

 否、横這いですらない。ヴィルは確実に体力を削られているのに対し、目の前の化け物は体力が無尽蔵なのかと疑いたくなるほど、動きを鈍らせていなかった。


 ……このままではいずれ自分も、あの裂けた口の端まで並んだ牙か、爪の餌食になってしまうだろう。

 鉤爪ではらわたを裂かれるのが先か、あの地獄の坩堝のように赤い肉が蠢く口内に捕らわれて、頭を食いちぎられるのが先か……。


 その時、ヴィルが僅かに目を見開いた。

 そして意を決したようにマチェットを握り直すと、肩から怪物へタックルを仕掛ける。

 怪物は油断していたのかその勢いをまともに受け、僅かに体勢を崩すが……目前に迫ったヴィルの肉体に喰らいつかんとして大口を開く。

 それこそ蛇のように、90度以上も開いた凶悪な『トラバサミのような口』は、粘液がドロドロと糸を引いて悪臭を放っていた。


 そんな目を背けたくなる光景と共に。

 ……脳裏を掠める、少女の儚い歌声。


「はあぁッ!!」


 気合いの声と共に、ヴィルは逆手に握ったマチェットを腕ごとその喉奥に突っ込む。

 怪物は事態を察したのか、醜い鳴き声を上げた。

 しかし顎を閉じれば刃が顎の内側から貫くことは明白な為、閉じるに閉じれないようだ。


 激しくバタつかせる前脚が、ヴィルの衣服と皮膚と切り裂くが……こんな所で怯むわけにはいかない。

 腕を突き出した際に化け物の鋭い歯が食い込み、酷い傷を負っていたが……ヴィルは化け物の脳漿があるべき箇所へと、持てる全ての力を込めてマチェットを突き立てた。


 バキン、とヴィルの握る手の内に、マチェットの柄と刃が折れて分断される感覚があった。

 これで終わらなければ、自分は死ぬ。

 そうヴィルは確信したが……どうやら、運命は彼に味方したらしい。

 目の前の怪物は、ヴィルが腕を引き抜くや否や左右によろめいたかと思うと、その場に崩れ落ちた。


 ヴィルは見開かれたままの怪物の眼球に指先で触れ、確実に相手が死亡していることを確認する。

 ねっとりとした感触が伝わってくるが、倒れたそれはぴくりとも動く事はない。


 いつの間にか日は水平線に飲まれており、辺りは薄らとした橙が照らすのみであった。


「ヴィル!」


 後方から様子を伺っていたらしいエイラとクロエが、救急箱らしき小さな箱を持って駆け寄ってくる。

 彼女らの声を聞いてようやく、ヴィルは全身に響いていた自身の鼓動と呼吸の音が引いていくのを感じた。


「エイラ……。」


 それと同時に、少なくない量の血を流した事が原因で、その場で立ちくらみを起こす。

 危うく倒れそうになったヴィルの下にエイラが滑り込むが、大柄な男性を一人で支えられるはずも無く、クロエが慌てて助けに入った。


「ちょっと無茶しすぎだよ、坊や……。腕がズタボロじゃないか。」

「すみません、でも……他にどうしようもなくて。」


 ヴィルは手当を受けながら、少しの間腰を下ろして休んでいたが……ハッと顔色を変えた。


「エイラ、すまない。キャンプにあれば、何か鋭利な……槍のような物を持ってきてくれないか。」

「や、槍!?そんな物あるかしら……ちょっと見てくるから待っていて」


 ヴィルの唐突な頼みにエイラは驚いた表情をするが、何か事情があるのだろうと察したようで、すぐにキャンプの明かりの方へと早足で向かって行った。


「……ヴィル。ちょっと聞きたいんだけどね。」

「はい、なんですか。」

「あんたの傷、見た所今さっき出来たものばかりみたいだ。だけど……ここに来た時、服が既に血で汚れていただろ。あれは、誰の物だい?」

「……それは」

「村が、襲われたの?」

「村自体は、僕が発った時点ではまだ無事でした。ですが……。」


 ヴィルが言い淀んでいると、エイラが何かを手に持って戻ってくる。

 それは炭鉱などで鉱物を掘り起こす際に用いられる、『つるはし』であった。


「鋭利なものとは少し違うかもしれないけど……これしか見つからなくて。」

「いや、ありがとう。多分大丈夫だ。」


 ヴィルはエイラからつるはしを受け取ると、二人にキャンプ地の方を向いているように、と言った。

 それから化け物の腹を空に向けさせ、そこにつるはしのを振り下ろす。

 嫌な音がし、小さいが穴が空いた。

 そこを起点にして、狩猟用ナイフで捌いていく。


「ね、ねぇ。何してるの?」

「……。」


 背後から聞こえてくる水っぽい音が気になったらしく、エイラはそう問いかけたが、ヴィルは手元に集中しているため何も答えない。

 黙々と、一つ大きな臓物を探り当てると、その中を切り開いた。

 そして、中に入っていた目的のものを取り出す。


 それはやはり、握り拳ほどの大きさの小さな皮袋であった。

 血塗れになって汚れているが、幸いにも丈夫な作りが故に、中までは染みていないだろう。

 ヴィルが閉じている口を開き、中を確かめると……そこには白銀に輝く、小さな『勲章』が詰まっていた。


「……それって……。」


 ヴィルがその声に視線を上げると、真っ青な顔をしたエイラがこちらを向いて呆然と立っていた。

 彼女の隣で、全てを悟ったらしいクロエが肩を落としているのも視界に入った。


「ねぇ、ヴィル。それ……テディの、だよね。」


 震える声で、エイラはそう呟く。

 いつかは話さなければならない事だ。

 しかし、やはり……その場に直面すると、こうも辛いものなのか。

 ヴィルは俯き、伝えるべき言葉を探す。


「そうでしょ。だって、それ……。ヴィル、テディはどうなったの?」

「……。」

「ねぇ、お願い!教えて!」

「……テッドは」


 ヴィルは一度深く息を吐き、絞り出すような声で伝える。


「彼は、亡くなった。」

「え……嘘。」

「嘘じゃない。さっきの怪物に襲われて……死んだんだ。」


 ヴィルは森からカルム村に帰る途中、腕の中のテッドが息をしていない事に気が付いた。

 何度も呼びかけたが、その後彼が目を開けることは、決してなかった。

 ヴィル自身も、今まで焦燥感に駆られるがままに動いていたが……改めて自分の口に出すと親しい友人の死という事実が、痛いほどの現実味を伴って覆い被さってくる。


「エイラ。頼む、応えてくれ。君も……これを持っているんじゃないのか。」


 ヴィルは、目を見開いて動きを止めてしまったエイラの肩を軽く揺すって、先ほどの皮袋を目の前に差し出す。

 すると、エイラは緩慢な動きで懐を探り、上着の中に袈裟懸けにしていたらしいポシェットを取り出すと……その中を見せた。

 中にはやはり、小さな皮袋が収められていた。


 ヴィルの予想が、少しずつ真実味を帯び始める。

 化け物はテッドからこの勲章の入った皮袋を奪うと、そのままあの場を立ち去った。

 そしてこのキャンプにも、勲章を持ったエイラが滞在していた。

 あの怪物の目的は、『魂の輝き』の力を持つという、この勲章にあるのではないだろうか。


「……まさか。」


 ヴィルは顔を上げて、街道が続く先空を見る。

 ここからはまだ遠すぎて、都の街並みを見ることはできない。


 森の中にあった建物の痕跡から、あの怪物は、複数個体……恐らくは、他に三体存在する可能性が高い。

 それらが同じ様に『勲章』を求めて向かうとしたら、きっとそれは人間の数も、そこに住む『霧の騎士』の数もこの世界で最も多い場所。

 つまり、霧の帝都に他ならないだろう。


 ヴィルの頭に、一京の姿が浮かぶ。

 ヴィルが共に戦った時に得た勲章は、全て彼に託してあったはずだ。


「クロエさん、すみません。僕はこのまま都に向かいます。」

「ああ、それが良いとあたしも思う。あんた達にどういう事情があるのか分からないけれど……きっと村に居ても、守ってやることは出来ないと思うから。」

「エイラ、君は僕と来てくれ。きっと……女王様と騎士団なら、君のことを匿ってくれる筈だ。」


 何も応えなくなってしまったエイラに、ヴィルは身体に負った傷の何倍もの心の痛みを感じる。

 しかし、ここでまごついている余裕などは無い。

 ヴィルはすまない、と小さく謝ってエイラを抱き上げた。


「クロエさん、村の人をお願いします。」

「わかった。……あんた達も、気をつけるんだよ。」

「はい。」


 クロエと別れを告げると、キャンプの中に入れてもらっていたらしいガウナを迎えに行く。

 ガウナの手綱を握っていた男性に事情を話し、周りの人間へ言葉を伝えてもらった。


『迎撃戦という単語に覚えのある人間は、共に都に向かって欲しい』


 波紋の様に広がったそれに対し、どうやら名乗りを上げるものは居ないようであった。

 ヴィルは頷き、商人に少しの食糧と水を分けてもらうと、エイラとガウナを連れてキャンプを出る。


 すっかりと夜の帷が降り、月と星の光が輝く夜空の下、街道を蹄が叩く音だけが響いている。

 こうしていると、先ほどまで人々が命の危険に晒されていた事実が信じられなくなりそうだ。


 ヴィルは、自分の前に座らせたエイラの様子を伺うが、彼女はやはり人形の様にじっとしたまま何の反応も示さない。

 ……無理もないだろう、とヴィルは思う。

 最愛の人の死に目に会うこともできず、二人は別れることになってしまった。

 その上、例えばエイラが村を出る時にテッドを拒まず、共に連れ立っていれば彼が命を落とす事もなかったかもしれないのだ。


 ヴィル自身も後悔する。

 森の罠が壊されていた時にすぐにテッドを村に帰していれば、自分一人であの怪物を斃すことが出来ていたのではないだろうか。

 だがそうすると森の中でなく、村の方にあの獣は現れていたのだろうか。どうすれば誰も死なせる事なく、解決出来たのだろうか。

 結果論でさえ良いアイデアの浮かばない自身の無力さに、ヴィルは少し弱気になってしまう。


「すまない、エイラ。僕は君の愛する人を守る事が出来なかった。」

「……。」


 エイラは何も応えない。

 ヴィルは口をついて出た言葉が、あまりにも自分本位のものである事を恥じた。

 謝ったところでテッドが生き返る訳はない。

 エイラにこんな言葉をかけて、「良いよ」と言わせたところで、救われるのは彼女ではなくヴィル一人だ。


「……本当に、最低だ。こんなのは誠実さでもなんでもなく、僕が自分勝手に赦しを請うているだけだ。」


 ヴィルが沈んだ声でポツリと呟いた。


「ヴィル。」

「うん」

「なら、おあいこになる様に、私も最低で自分勝手な事を言うわね。」


 エイラの言葉を聞いて、ヴィルはまるで裁きを待つ様な気持ちで、大人しく馬を走らせ続ける。


 一度大きく深呼吸をした彼女は、涙に曇った声を何度も詰まらせながら言った。


「あの化け物が襲ったのは、あなたではなくテッドだったことは分かってる。」

「うん。」

「あなたがさっき助けに来てくれなかったら、きっと私も殺されたって事も理解してる。」

「……うん。」

「でも、それでもね……。」


 そこでエイラは嗚咽を上げながら、涙を流し始めた。


「どうして、死んだのがテディだったんだろうって……どうして、代わりにあなたが死んでくれなかったんだろうって……そんな風に、思ってしまうの。」


 突然襲った悲劇への嘆きと、憎しみと、自身への嫌悪。

 様々な感情がぐちゃぐちゃになって混ぜ合わさり、エイラの身体の外へと溢れ出す。

 それは、まるで太陽の様な女性であった普段のエイラからは想像もできない姿であった。


 ヴィルはまるで、心臓を何千本もの細い針で貫かれる様な心地で進行方向へと目を向け続ける。

 悔しそうに声を上げて泣き続ける彼女に触れて慰めてやる事など、今のヴィルに許されるはずはない。

 今はただ……どんなに心が陰っていようとも、都に向かい、パートナーを失って無防備となったエイラを安全な所に送り届け、街を襲うであろう化け物達と戦う事を考えなければならなかった。


 都に着くまでは、このまま馬を飛ばしてここから半日程度。

 それ以降は二人とも一言も交わす事なく、ただ後方へと流れてゆく景色の中で揺られていた。

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木枯らしの獣 前編 はるより @haruyori

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