第10話 黒猫のタンゴ(3月30日)

 青春という言葉がある。


 本来の語義を考えれば中学や高校時代を指す言葉のように思えるのだが、私の場合には社会人三年目までを指す言葉としており、ここでもそれを踏襲していく。

 三宮を飲み歩いた研修期間を終え、広島に腰を据えた私は流川を庭のようにして飲み歩いた。

 失敗も慕情も快楽も全てはあの町に凝集されていたのだが、その中でも足繁く通うようになったのがあるガールズバーであり、今の私を形作るものの一つとなっている。

 確か同じ地域に系列店が複数あったように覚えているが、キャバクラやランパブもある中である一店に絞り込んだのは、ふたつの理由がある。

 一つは馴染みの女の子が多くなったという現実的な理由であり、全く以て青春期らしい若々しい性欲に満ちたものであった。

 ただし、当時はこれを恋心に似たものとして捉えていたようであるが、一線を引くことを意識はしていたようである。

 後にこれが馴染みや「推し」という言葉でくくられるものだと気付いてからは、その心との付き合い方も分かるのだが、振り返ってみると中々に恥ずかしい。

 飲み屋での「別れ」もここで知った。

 卒業と銘打っての別れも多かったが、突然の別れの寂寥感は未だに慣れぬ。

 清々しく、全力で向き合い続けたからこその思いは、今はもうあまり感じることができなくなってしまった。


 もう一つは馴染みの客が多かったからである。

 飲み屋には個性的な客が集まりがちだが、ここも例に漏れず、私も含めて様々な色を持つ方が多く集まった。

 その客と時には気さくに、時には憧れ、時には敬いつつ触れ合う愉しさは、交友関係が一度花開き、そして綴じる青春に似ていよう。

 いつからか主と従が混じり合い、やがて両方が主となっていくのだが、それがいかに尊いものであるかを知ったのは、それが失われてからである。


 この店は既に無くなっているのだが、この系列の店が熊本に出てきたというのを知った。

 どうやら一週間ほど前に開店したようであるが、見慣れた看板に思わず表情筋が緩んだのを感じる。

 しかし、その店はかの青春を過ごした店ではなく、私が通い詰めるかは未知数である。

 ただ、願わくは誰かの青春が花開く場になってほしいものだと願いつつ、満開の桜を眺めながら白川を渡った。


【食日記】

昼:チキンカツ定食(チキンカツ、味噌汁、香の物、スパゲッティサラダ、茶碗蒸し)、ポテトサラダ、レモンサワー、芋焼酎お湯割り

夕:ニラ玉、豚ニラ玉、塩ラーメンカルボナーラ、焼酎ハイボール(シークワーサー)、ウィスキーお湯割り2

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徒然草をちょいとリスペクトいたしまして~2023年版 鶴崎 和明(つるさき かずあき) @Kazuaki_Tsuru

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