第9話 古時計の針(3月28日)

 このように用いるのは少々可笑しな気もするが、現在進行形で動画制作が止まっている。

 意地になって少しずつ進めてはいるのだが、手が空きやすくなったところで歓送迎会の復活が重なり予定よりもかなり遅れている。

 そして、遅れていくとどうしても勘のようなものが鈍ってしまい、進みがさらに遅くなってしまい、手に負えぬ。

 こうした時の焦燥感というのは慣れっこであるはずなのだが、いまだにのた打ち回らずにはいられない。


 そこで現状から離れるというのがよくある解決策であり、同時に破滅への道でもある。

 そもそもが離れすぎたために不具合が生じているにもかかわらず、さらに離れようとするのは道を違えるのと何の違いもない。

 逆に煮詰まり過ぎた時にはこの「離れる」という行いが有効であるため見極めが難しいのだが、少なくとも今の私にとっては下策。

 近々、久しぶりにどっぷりと身体を編集と執筆に漬け込まねばなるまい。


 ただし、止まった創作を動かすにはそれなりに準備が必要であるのは確かであり、脳という機序に油を入念に差していく。

 これには手順がいくつかあるのだが、そのうちの一つは既に済ませており、取材や調理によって録画時の気分を取り戻すことである。

 今回は特に半年以上前に揃えたデータを基に作成する予定であるため、入念に調整を重ねてきた。

 取材と同時に鳥栖によって旅情を思い出し、日々の生活でできる限りの自炊を行う。

 たったこれだけであるのだが、今回のように異常な繁忙期の後ではそれが何よりも頭脳に潤いを与え、人物に命を芽吹かせていく。


 加えて、編集中によく見ていた動画や音楽の視聴を再開した。

 料理動画の視聴を含めて少し遠ざかってしまっていたが、ゆとりが出てくるにつれてこちらもゆるゆると持ち直しつつある。

 まだ本調子とはいかないが、四月には完全に復活できるのではないか。


 そして、自分の過去作の見直しも始めている。

 これは反省を次にという側面もあるが、当時の雰囲気を頭に塗りたくるために行うものだ。

 長らく止まった作品というのは眠っているようなものであり、起こすには存分に眠る前の日差しを浴びせねばならない。


 こうしたことを順次進めながら、最後に最も大事なことがある。

 それは再開してすぐの進まぬ時と真正面から向き合うことだ。

 どうしても最初は思うようにいかず、苦しむことも多く、逃げたい気持ちに駆られることも多い。

 しかし、そこで止めてしまえば更なる暖機運転が必要になり、下手をすれば永遠の休止となってしまう。

 事実、そうなりかけたことも多々あり、執筆も危うくそうなるところであった。


 執筆を意地でも再開したこの三月のお陰で、人物が頭の中で動くようになってきている。

 言葉も不自由こそありながら沸き立つようになってきた。

 後は集中力と気力の勝負である。

 次の休みは精一杯、苦しむこととしよう。


【食日記】

朝:ミートソースとチーズのパン、つくね串、カフェオレ

昼:鴨出汁蕎麦

夕:チキン南蛮、豚キムチ

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