シシリエンヌ

ハルカ

あの頃のように

 街角で懐かしい名前を見かけた。

 書店の窓に貼られたポスターに印刷されたその名前は、僕のクラスメイトが使っていたペンネームだ。風変わりな名前だから、誰かと被ったりするはずもない。

 僕は時も忘れてその名前を見つめた。


 中学生の頃、僕と彼女は秘密を共有していた。

 僕は趣味で小説を書いていて、どんなきっかけで彼女がそれを読むに至ったか忘れてしまったが、彼女が初めて僕の小説を読んだときの反応は今でもはっきり覚えている。


「すごい! 小説って中学生でも書けるの!?」

「そりゃ……書けるだろ」

「私、書けないよ?」

「書いたことがないだけだよ。書けるって」


 小説を書くのが趣味だなんて、てっきり馬鹿にされると思ったのに、彼女の目は宝物を見つけたかのようにキラキラ輝いていた。


 その日から、彼女も小説を書き始めた。

 僕らは自分たちの書いた小説を互いに読んだり感想を言い合ったりした。

 他の誰も知らない、僕らだけの秘密だった。


 やがて僕らは同じ高校に進学し、彼女は迷わず文芸部に入った。

 僕はというと、高校に入学してから小説を書かなくなってしまった。


 書かない理由はいくつもあった。

 疲れているから。眠いから。お腹が空いているから。忙しくて時間がないから。学校があるから。バイトがあるから。友達と遊ぶから。ゲームをしたいから。アニメやドラマも見たいから。やる気が出ないから。自分が書かなくたって、もっと素晴らしい作品が世の中にはたくさんあるから。


 僕がそんなくだらない言い訳を並べているあいだに、彼女はずっと書き続けていたのか。

 僕の方が先に始めたのに、いつのまにか追い越され、彼女は手の届かない遠くへ行ってしまった。


 今からでも追い付けるだろうか。

 またあの頃と同じように、彼女と話がしたい。

 帰ったらパソコンの電源を入れて久しぶりに小説を書こう。

 ポスターの名前からそっと視線を離し、僕はふたたび歩き始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

シシリエンヌ ハルカ @haruka_s

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ