第4話 再会

 長い長い夜だった。

 たった一人、サプリメントを囓って飢えを凌いだ。老人が残していった野菜は、食べられなかった。今や僕と共に生きている物は、こいつらしかいないのだ。水をやり、葉に触れるとほんの少し、夜が怖くなくなった。

 やがて身体が冷えて、夜明けが近いことを知り、空腹に負けて野菜を一つ腹に収めたところで、扉の向こうに物音がした。

「どこにいますか?」

 先輩の声だった。

「先輩、ここです!」

 立ち上がり、錆びて重たい扉に手をかける。ぎいっとノブを捻って、外に押し開く。

 先輩の、懐かしい姿は、そこになかった。

 きしきしと軋りを上げて近づいてきたのは、大型の荷物を運搬するのに使われる自走型の筐体だ。僕は絶望に捕らわれる。今、耳に響いたのは、何だったのだろう。

「どこにいますか?」

 だが、再びはっきりと、声がした。

 僕は、孤独に負けて、頭がどうかしてしまったのだろうか。手が震え、ノブから指が離れる。ぎい、と扉が鳴った。

「そこにいるのか」

 するすると筐体が近づいてくる。

 目の前で緩やかに止まった無機質な箱を見て、僕は膝から崩れ落ちた。頭の中が一瞬、真っ白になったのは、気を失ったからなのか、絶望からなのかは解らない。

 半ば開いた箱の蓋の中、そこに入っていたのは、先輩の腕だ。服のまま無残にもがれた肘から先が、通信機器を握りしめている。その通信機器が、自動で音声を発していた。

 僕は震えながら、それを見詰める。録音された音声が、繰り返し、通信機器から漏れ出て、僕を呼んでいた。

「……先輩」

 きっと、先輩は下層階にいたのだ。そして、助からなかった。

 何故腕だけを千切られたのかは解らない。

 でも。

「どうして、先輩」

 鼻の奥がつん、として、視界が滲んだ。頭が一切の思考を拒み、止めどもなく、涙が溢れ出す。

 先輩、と震える声は音にならず、僕は指先を、筐体の中の白く無機質な腕に伸ばす。

「早く入れ」

「うぅわあ」

 通信機から妙にクリアな音声が聞こえて、僕は思わず先輩の腕を投げ出した。直後に、通信機がと慌てたが、腕だけになった先輩の指はしっかりと通信機を握り込み、離さなかった。

「時間がないんだ、早くしろ」

「え?」

「ちょっとトラブルがあってな。身体は無理だった、悪いな」

「待って……待って?」

「待てん。いいから中に入れ。この廊下から向こうは汚染濃度がマズい。筐体の中に簡易シェルターがあるだろ。そこに入って蓋を閉めろ。後は、箱の隅の丸いのが何とかしてくれる」

 慌てて箱の中を改めると、老人の、あの愛玩ロボットがちかりと瞬いた。

「彼は無事だ。救援隊が収容した。早くしないと置いて行かれるぞ」

「ま、待ってください。入ります!」

 箱の中のビニール製のシェルターを広げて中に入る。シェルターと言えば聞こえがいいが、ようするにビニール梱包だ。端に取り付けられた酸素製造機から、死なない程度の酸素がやんわりと供給されている。僕は先輩の腕を恐る恐る拾い上げて、筐体の中に転がり込んだ。それと同時に、箱の蓋が静かに下がり、僕は真っ白な空間に膝を抱えて収納された。

「後は滞りなく、この筐体が回収場所まで運んでくれる。ルートは確認済みだ」

「……先輩、でも」

「俺は無事だ。まあ、ばらばらなんで全く無事ではないんだが」

「どういうことですか」

「お前を置いていった一団、やつらに見つかって、バラされた」

「え?」

「気付いてなかったのか。俺はアンドロイドだ」

「……は?」

「まあ、見たことないから仕方ないな。今はアンドロイドも、ほとんど見た目は人と変わらないよ。あいつらが何で解ったのかが不思議なくらいだ」

「先輩の身体は何処に」

「もう、ないんじゃないか? どのみち下層階はもう危なくて拾いには行けん。外部記憶装置を腕にも仕込んでおいて正解だった。頭部を切り離される前に、メイン操作を腕に移動したんだ。脳の本体は地上にあって遠隔操作をしているだけだから、こっちのボディが停止しても問題ないんだが、お前を迎えに来るのにどうしても連絡と、筐体を操作しないといけなかったからな」

 それまで微動だにしなかった指が、滑らかに動いて僕に挨拶をする。

「ちなみに、あの老人の本体は、そっちだ」

 先輩が指し示した片隅で、丸い機械がかかか、と笑うような音を立てる。

「人だけのコロニーじゃあやっぱり不安だっていうんで、定期的に俺たちみたいなアンドロイドが投入されてるって訳だ。まあ、今回みたいな緊急事態に対処するには、人数と権力が足らなかった訳だが。それは今後の課題だな」

 通信機から、どこか面白がるような、それでいて寂しいような声がした。

 いつか、人の隣に、立てるだろうか。そう問うているのだと、僕は先輩の手を握りしめる。

「なんで、言ってくれなかったんですか」

「言う必要が、あったか?」

 からかうような先輩の声が僅かに揺らいでいるのを、僕は聞き逃しはしない。

「ありませんよ。僕は先輩が人だろうとなんだろうと、気にしませんし、関係ないですからね」

「だと思った」

 溜息にも似た笑い声を漏らして、先輩が静かに応える。僕は先輩の腕を膝に乗せ、ほんの少し、洟を啜った。

「あ」

「どうした」

「プランター。置いてきちゃった」

 孤独を共にした物言わぬ友を不意に思い出し、僕は慌てふためく。丸い機械が転がり、僕の腿にぶつかって止まった。

「ほっとけば、勝手に繁栄するだろうってさ。水の供給と建物内の人の動きが止まると、自然にシステムが作動して、繁栄しやすい環境になるように整えてあるそうだ。野菜は無理だろうから、植物の種を撒くように設定してある」

「なにそれ、テロじゃない?」

「まあ、人が生活できなくなった環境で、植物がどこまで生きられるか、それを見るのも面白いだろ」

 先輩がどこか満足げにそう言って、笑った。

 僕らを乗せた筐体は、滞りなくプログラムされた道を進み、やがてゆっくりと動きを止める。静かに開いていく白く閉ざされた狭い世界は、外に向かって開かれ、明るい光に満たされていった。

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小さな世界 中村ハル @halnakamura

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