第3話 交流

 僕は広いコロニーの中に取り残され、独りでどうにか逃げ延びた。いや、むしろ、独りだったのが幸いしたのかも知れない。集団の大きなグループから、ウイルスに感染したと聞いている。皆が逃げたと思われる、感染リスクの少なそうな下層階に向かおうとしたところを、よれよれの老人に呼び止められた。

 僕は、彼を見て眉を顰めたことを、今でも強く恥じている。

 彼は、このコロニーの中でも初期のメンバーで、おそらくは地上の出身だ。彼らは完全無菌育ちではないことを理由に下層階の上流地区には立入が許されず、外に近い場所を住居に与えられた人々だ。さらに、その中でも、地上での生活習慣を根強く残した人々は中流地区すら追われ、一般居住区の外に追いやられた下流地区の民である。彼らはほぼ外に近い上階の廊下部分に違法に建築や増築を行い、独自の居住空間を築いていた。

 老人が招き入れてくれたのは、その一角だ。

「ここなら人がほぼ立ち寄っていない。汚いが、今となっては格別に清潔だ」

 彼はしなびた赤銅色の皮膚に皺を寄せて、かか、と笑った。どこから持ってきたのか、室内に小さなプランターを持ち、そこでささやかに育てていた野菜を僕に分けてくれた。綺麗な水でよく洗い火を通してくれたが、始めの数日は腹痛を起こし、それこそ死ぬかと思った。怪しげな煎じ薬は喉を焼いたが、そのうちに体調は安定した。コロニーから支給されたサプリメントがそのまま瓶に詰めて残されおり、彼は気前よくそれを僕に譲ってくれた。

「いずれ助けが来る。だから、身体を慣らしておけ。お前はこれから、地上に戻るんだからな」

 サプリメントばかりを呑み込んでいた僕を、険しく優しい目が諭し、僕は彼の育てた野菜の量を少しずつ増やしていった。そうだ。救助が来たところで、僕らの身体は地上に戻って生きていけるとは、限らないのだ。

 そう気付いて、僕はなるべく、彼の生活をなぞるようにした。彼の暮らしは貧しく、汚れていて、そうしてとても楽しかった。一日中、やらねばならないことが無限にあって、忙しくて難しかった。彼は手先がとても器用で、コロニーに備え付けの機材の部品を勝手にバラし、彼だけの小さな相棒を組み上げていた。人型でこそないが、自立型のロボットだ。

「何の役にも立たんが、かわいいだろう」

 丸くて転がるだけの機械だが、人工知能を搭載しているのか、呼べば来るし、鳴き声のような音を出した。このコロニーで自走するロボットといえば、物資を運ぶ箱形の物以外に見たことがなかった僕には、とても新鮮だった。

「さて、いつまでもここにいても仕方がない。俺は助かる手段がないか探してくる」

 ある朝、彼はその言葉と僕を残し、部屋から一人、出て行った。

「お前は残れ。現状でここから出て、無事でいられるとは思えん」

 下唇を突き出して、冗談交じりにそう言うと、僕の髪をくしゃりと撫でた。

「大丈夫だ、俺の育った地上はここより数段、汚い。それに俺にはこいつがついている」

 丸い機械が応えるように音を発した。

「生き残りと救援隊に、お前の位置を必ず知らせてやる。だから、生き延びろ」

 ひらりと手を振った彼は、そのまま戻ってこなかった。

 でも、約束を、守ってくれたのかもしれない。

 先輩からの声が途切れた通信機を握りしめ、僕は膝を抱える。混乱ではぐれて以降、行方のわからなかった先輩が僕に連絡をくれたのは、彼が繋いでくれたからだ。そう信じることが、今の救いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る