第2話 感染

 僕らが暮らしていた実験コロニーの生物研究地区で事故が起こり、培養されていたウイルスが漏れ出したのが一ヶ月前。地上に対して上層部が隠蔽を行った結果、初動の隔離対策に手間取り、ウイルスは建物に毛細血管のように張り巡らされた空調設備に紛れ込んで、あっという間にコロニーの中枢機関を麻痺させた。

 それでも尚、救援を求めるよりも回復を目指して迷走を繰り広げた結果、コロニー内は絶望的に汚染された。いや、地上で暮らす人々ならば、ともすれば、生き延びられたのかもしれない。だが、僕たちは、生まれた時からここで清潔に守られて暮らしてきた。ほんの僅かな汚れや細菌からも隔離されて育ったのだ。どれだけ微弱で無害なはずの菌やウイルスにも対抗する手段を、そもそも身体が持っていない。

 上層部のお偉方は、元々は地上の出身だ。今回漏れ出したウイルスも、元はありふれた病原菌だったらしい。それが、どうだ。今やこの建物のほぼ全員が感染し、そのほとんどが命を落とした。

 原因は、ウイルスそのものだけではない。このコロニーで育まれ、完全健康体という名のひどく脆弱な生物に成り果てたのは、植物も同じだ。完全無菌で稼働していたプラント工場は、最早なにも生み出せなかった。植物生産ラインは汚染により停止し、それを手動で再稼働できる人員がいなかった。完全オートメーション化はされていたが、それ故に、イレギュラーな汚染、という事態に対処できなかったのだ。

 まさか、この時代に、最先端の地区で兵糧攻めに遭うなんて。僕は遙か昔の遠い国の出来事でしかなかった教科書の内容を思い出し、途方に暮れる。

 だから、アンドロイドに頼れば良かったのだ。

 このコロニーのもう一つの目的は、地上を占めるロボットやアンドロイド、ヒューマノイドの極力排除である。「人が人らしくあるために」を掲げて、可能な限り人間だけの暮らしを取り戻そうと試みる施設だと聞いた。

 完全無菌、オートメーションの食料工場、その他、衣食住をまかなう資材を機械化で頼っていながら何を、と思っていたのは僕だけではなかったはずだ。形が人型かどうか、発話が可能かどうかの差違だけで、僕らの生活を支え、共に暮らしている機械は、地上のパートナーたちと何ら変わらないはずなのに。

 ただの筐体である人工知能は高度な演算処理をしてくれるが、この危機的状況により発生した欠陥を修繕する術と地上への連絡手段を持たず、僕らはただ、朽ちるのを待つばかりだった。

 事態が好転したのは二週間前。それまでとは違う数値を記録し続けているコロニーのデータを不審に思った地上の管制塔が、一向に改善しない状況に危機を感じ、強制介入の手はずを整えコロニー上層部に打診した。

 その時には既に、コロニー内部は手も着けられない状態に悪化しており、今更になって開示された詳細は、地上管制塔に絶望を与えた。すぐに助けに行こうにも、体制が整わない。救助を必要としているのは、このコロニーのほぼ全員、数にすれば数千に上る。

 まず、救援隊が駆けつけたのは、言うまでもなく、お偉方、金持ち、地位の高い人々の住む下層階だった。残された平民は汚染を避け、人のいない地区に散らばり、身を寄せ合ってどうにか生き延びている。

 僕はその、避難民の列からはぐれてしまったのだ。

 もしかすると、意図的に排除されたのかも知れない。一団にいたメンバーの中に、僕が人型のロボットに憧れる姿勢を良く思っていない者が何人かいた。彼らは頑なに、人間こそが至高の存在だと主張していた。もし本当にそうだとしたら、人型ロボットが傍にいたところで、人間の優位性は変わらないじゃないかと意見したのが気に入らなかったらしい。指定された時刻に集合場所に向かった時、すでにそこには、誰の姿もなかった。

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