腐っても、愛
はに丸
腐っても、愛
結婚して三年目。恋愛序盤に出る脳内麻薬物質が切れ始めるころらしくて、私も夫と小さなケンカが増えていた。しかも、すっごくしょーもないケンカ。冷蔵庫に醤油片付けてって言ったでしょ、ふつう醤油は戸棚だろう、ふつうなんて知らないわよ外に置いてたらすぐ悪くなるんですもの。だいたい、こんなしょうもないケンカ。
この日の朝も、とってもしょうもなかった。
「味噌汁の具ってやっぱり揚げと豆腐だよな」
夫が、私のつくったわかめと麩の味噌汁を食べながら言う。お前なんでそのタイミング?
「なあに? 私の朝ご飯にケチつけてんの?」
腹立ちそのままぶつけると、夫は気づいてないらしくて、カラッとちがうよ、などと言う。
「僕が好きなんだよ。揚げと豆腐って最高だよな、て。やっぱり揚げの入った味噌汁は豆腐がタッグってやつかな」
私が今日つくった味噌汁には揚げも豆腐もないけどね! でも聞き捨てならない。
「何よ。揚げに合わせるのは、豆腐よりなめたけでしょう?」
なごやかな朝だったはずなのに、一気に雷雲豪雨がきたってやつよ。そこから、不毛ななじりあい、どなりあい。
「え、ないでしょ、なめこに揚げ? なめこは豆腐でしょ」
「は? なめこに揚げ、豆腐にわかめ、これ鉄板じゃないの。つくらないくせに大きな口叩かないで」
「いやいや、僕も独身時代はきちんと自炊したよ。君のほうが美味しいと思って身を引いただけだよ」
「は? 家事から逃げたのを私に譲りましたとか、言い訳に使わないでよ。あと、揚げと豆腐って何よ豆製品だらけじゃない、全部豆!?」
「統一感あっていいだろう! それに美味しいじゃないか! 君こそ揚げになめことか、せっかくの揚げがぬるぬるだろう」
いや、本当、クソしょうもなかったわ。認めるわ、本当にバカだったわよ、彼も私も。特に私。
なんだか、味噌汁の具で怒り心頭になっちゃったのね。
気づいたら、夫を保温ポットで延々殴ってて、殺してたのよ。
…………
嘘でしょ。いやなんでこんなことで死ぬわけ? 味噌汁よ!? ただの味噌汁の具!!
我に返って、
「えっと、大丈夫?」
と声をかけたんだけど、返事がない。うん、理性では分かっているのね。後頭部ぐしゃぐしゃだし、目は曇りガラスみたいにどんよりしていて、血の涙を流しているよう。口から泡もふき血もふき、鼻血もどばー。
それでも必死に声をかけて、体もゆらして、大丈夫? てしたわよ。最後には、
「起きてよう、私を置いていくなんてひどいぃ」
て泣いちゃったわ。
だって、プロポーズのとき、絶対私より先に死なないって言ってくれたのよ!? すっごく甘い笑顔で囁いて、君の死に水は僕がとりたい、ってプロポーズで死の宣告かよって思うかも知れないけど、私はときめいたのよ、死ぬとき独りじゃないって胸が熱かったわけ!
それが何!?
なんで死んでるの!!
私が殴ったんだけど!!
こういうとき、人間の行動って返ってまともなのよね。私は汚れた服を着替えて、会社に出勤したの。だって遅刻しちゃうって思ったから。一応、無遅刻無欠勤が自慢だったの。夫の会社には連絡しなかった。だって、何て言っていいかわからないんですもの! 脳が崩れてぐちゃぐちゃですから行けません、明日には治るよう本人も安静にしてます、なんて言えないじゃない。
私は、少しミスなんかはしたけど、まあまあ普通に仕事して帰った。夫が、
「いやあ、うっかり死にかけたけど、生きてます!」
て出迎えてくれるんじゃないかな、と期待していたけど、そんなことはなかった。
朝と同じくリビングに倒れている夫を見て、私はまた泣いちゃった。だって、声、あの優しい声で、おかえりなさいって言ってくれないなんて、酷いじゃない。なんで死んじゃったのよ! はい、私が殺しました!!!
夫をこのままにしておけないし、お葬式しないといけない。でもそれで警察に掴まるなんてもっと嫌。
「絶対、ちまちまつっこまれて、しょうもないケンカは実は原因があるとか言われて、愛が冷めていたから邪魔になった、という話を作られるんだわ!」
私は、再放送で見たサスペンスドラマを思い出しながら呟いた。だって、本当に味噌汁の具だけで殺しちゃったのよ、私。でも、世の中って『もっともな理由』を欲しがるのよね、私だってこんな馬鹿な動機、テレビで見たら許さないわよ。
私も夫も大人になって出会って結婚したわけだから、埃を叩けば昔の異性関係なんて出てくる。そんなもの出されて、今これが問題になったんでしょ、などとよれよれのトレンチコートを着たなんとかコロンボみたいなのに言われたら、発狂してしまいそうよ。その後、少し気になりまして、などと特命係とかいうのが来て、監察医のサイコパス女が味噌汁の具についてずけずけ聞いて来て、一課長が行きましょうとかいって私を逮捕して、遺品捜査員とかいうのが説教くれるわけでしょ!? え? 現実をみろ? 見れないわよ……。
ひとしきり泣いたあと、私は夫と一度も行かなかったキャンプ用のシートを出した。キャンプブームを見て、盛り上がって買ったはいいけど、二人して未経験者。いまいちどうしていいかわからず、押し入れにしまわれていた。
固く重くなっていた夫を広げたシートの上に転がす。台所から出刃包丁持ってきて、死体の解体を始めた。理由は簡単で、分解しないと持てなかったからだ。結局、包丁では足りず、工具箱ののこぎりのお世話にもなった。その間、何も考えていなかった。ただ、途中でわからなくなれば、牛や豚の解体をぐぐった。やっぱりなんでも載ってるな、ネット。
私と夫は庭付きの一戸建てなどという豪華な場所に住んでいる。二人で働いているからがんばれるよね、というのもあるけど、通勤時間はかなり長い。つまり、不便な一戸建て。でもいいの、私と夫ががんばったガーデニングあるから! そのガーデニングした一部をむしり取るようにどけて、私は夫を埋めた。そして、花を戻して隠す。
いや、隠すわけじゃないのよね。遠くに行ってほしくなかったんだもの。
そうして、わたしは夫の死体、まあ土に埋めちゃったけど、と一緒に住むことにした。私はいつものように出勤する。夫のスマホはしばらく鳴り響いていたけど、充電しなかったから今は静か。寝る前に庭に向かっておやすみなさい、と声をかける。返事はないけれど、きっと、おやすみって言ってくれてる。気がする。ええ、自己欺瞞ですけれども? いいじゃない、そのくらい。
でもね。夫が出勤しない、妻は出勤している、で何か不審がられたらしく、とうとう警察がきたの。え、ちょっとまって、もっと小出しにくるものじゃないの!? 私は、インターホンごしに覗いた、玄関先にいる複数の刑事や警官に腰をぬかした。
家の中に警察の人がわーーって入ってきて、リビングで腰を抜かしている私を囲んだ。
「奥さん。旦那さんは失踪されたのではないですか、事件性が云々」
アカンコレ。この人たちの目、お前が犯人だろ、て顔してる。こういうとき、私を助けてくれるのは夫だった。夫は、私が混乱したときに、抱きしめてくれて、よしよし、って頭を撫でてくれた。どうして、抱きしめて頭を撫でてくれないのよ! 私が殺したからですね!
私は何も応えられず、ひたすら泣いた。うえっうえっ、と子供のようにみっともなく泣いた。だって、どうしていいかもうわからなくなっていたの。
味噌汁の具で、こんなことになってるの、世界で私だけじゃないかしら。
「どうかなさいましたか」
リビングの扉を通り、ひょっこりと夫が現れた。
皆、茫然とした。私はふらりとたちあがり、よろよろと駆け寄ると、夫に抱きついた。
「どうして、いなくなったのおおお、さみしかったあ!」
「うん、遅くなってごめんね。よしよし」
私と夫の感動の再会に、警察の人たち、ぽかん。そうよね、ぽかんよね、わたしもびっくりしているもの。
「いったい、どこに行っていたのですか。捜索届けが――」
警察の人がくどくど言うのを夫はいちいち頷いた後、
「実は味噌汁の具をどうするか、というくだらないことでケンカして、家出してしまったんです。いや、あまりにも馬鹿馬鹿しいことだったので、帰るのも恥ずかしくて。ご心配おかけしました」
夫は恥ずかしそうに、はにかんで言った。私が言うのもなんだけど、この男、あざとい。
大騒ぎになったけれども、警察はさっさといなくなり、私と夫は久しぶりのふたりきり、甘いひとときがはじまる。
「私、あなたを殺しちゃったの、殺しちゃったのよ、そんなつもりなかったの、愛しているのに!」
おいおいと泣きながらしがみつく私を、夫は優しく抱きとめながら頭を撫でる。やはり、そうされると落ち着くのよね、好き、大好き。
「うん。僕も意固地になっていたよ。殺されちゃった。でも君を一人置いていくのは本当に悲しくて悔しくて、君も僕に寂しいって強く思ってて。それが通じたんだろうね」
「生き返ったの?」
私の問いに夫が首を振った。
「死体のまま甦ったんだ。いわゆるゾンビだね。だから、これ以上死なないかな、腐るけど」
苦笑する夫に、私はもう一度抱きしめた。
「なんだっていいわ! 私が死ぬまで一緒ってことでしょう!」
「もちろんさ。僕はどれだけ腐っても動くし、君と共にいることができる。君が骨のかけらひとつになっても、僕はずっと一緒だよ」
そこから、もう日本は捨てて海外に出よう、それならプエルトリコなんてどうかしら、となって、私たち夫婦は日本情勢海外情勢どうでもよいからと、世界旅行に出た。二度と戻らぬ故郷よさようなら! 離陸したあと、そっと口づけしたら、夫の口は少し苦かったけど、まあ問題ないわ。私、発酵食品大好きですもの。
ハッピーハッピーラブラブエンド。
腐っても、愛 はに丸 @obanaga
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