言い訳しない彼女、する私たち

夕奈木 静月

第1話

「いい? 甘えは上達の敵なの。何ごとにおいてもそう。だから、あなたたちにも言うわ。自分を限界まで追い込みなさい」


 高校時代、同じ部活だった麻朝まあさは言い訳しない女だった。


 自分にも人にも厳しく、常により上を目指す姿勢を嫌というほど見せつけてくれた。


 私、奈美なみを含めた周囲の人間は羨望と畏怖を抱きながら、そんな麻朝を少し離れたところから見ていた。


 音楽大学時代にもたゆまぬ努力を続けた麻朝は、卒業後プロのヴァイオリン奏者になった。日本を代表する奏者としてニュースでも取り上げられるほどの活躍をしている。


 片や私といえば、あれからずっと言い訳と妥協から離れられない人生を送ってきた。


 麻朝には遠く及ばないくらいに意志が弱いのだろうなあ。


 勉強も演奏も中途半端。


 でも、決して無理をせず、自分を追い詰めずに、そこそこの努力と息抜きをうまくバランスさせて生きてきたつもりではある。


 行き詰った時には音楽や勉学以外にも色々取り組んでみた。


 おかげでなんとか上手くやれる仕事を見つけて今日をいちおう生きている。決して満足はしていないが。


 私は『辛い』と感じたらすぐに仕事をやめた。そして次の仕事をする。


 こだわりはなかったから、どんな仕事でも楽しいと感じられた。


 結婚もしたが、特に選り好みはせず、『気が合う』という理由だけで今のパートナーを選んだ。


 年齢を重ねた今となっては、地方の小さな街で細々と暮らす暮らしも悪くないものだと心から思える。



 地元に残った高校時代の部活仲間とは今でもたまに会う。


「ねえ、また麻朝、賞取ったらしいよ」


 社会に出て、演奏をして生計を立てているのは麻朝だけだ。今は海外在住で活動している。


「何もかも自分の力なんだから、すごいわね」


「ほんとほんと」


 今でも独り身らしい麻朝を除き、私も含めた他の部員はみな、結婚して子どもを持っている。


 共学ではあったが、女子ばかりだった部活。


 当時の女子高ノリで流れる他愛のない時間が、私の一番の息抜きになっていた。





 時は流れ、順風満帆ではないが夫と子供との人生は大きなトラブルなく過ぎ、子どもが幼稚園に上がる年齢になった。私はまた仕事を始めた。


 そんな最中、突然麻朝が引退宣言をした。


 原因は指のケガだった。再起不能と言われ、失望のまま日本に戻ってきているらしい。


 ちょうど私も指のケガをして、データ入力の仕事を辞めた。


 でも、色んな職種を経験してきた私だったから、うまく怪我をカバーして勤められる仕事にありつけた。




「麻朝、大変らしいよ」


 そんな折、いつもの部活仲間の会で麻朝の現状を知った。


「鬱だとか、燃え尽き症候群だとか言われて……こっちに帰ってきて、実家でひきこもってるみたい」


 狭い街だ。うわさが広がるのも早い。


「あんなに頑張ってたのに……」


「ちょっと上からものを言うところがあって、あたしはあんまり好きじゃなかったけど、それにしても可哀想……」


 皆、麻朝に同情していた。


「行ってみようか」




 麻朝の実家は海沿いにある。


「ごめんください」


 案外すんなり麻朝の部屋に通された私たち。


 だが、そこで仰天の光景を目にすることになる。


「おー、お前らか。久しぶりだなあ~! 何年ぶりだよ? ……ん? なに驚いた顔してんだ? まあ、座れよ、飲めよ」


 昼間から缶ビールを飲んだくれて、ソファーで横になる麻朝がいた。


 話し言葉は上品でプライドのあった高校時代とはかけ離れていて、頭にはネクタイを巻いている。


「おう、これか? サラリーマンごっこだ。おもしろいだろ~、ういー、ひっく」


「……大丈夫?」


 心底不安になって尋ねる私。他の元部員たちもドン引きしている。


「なーに言ってんだ? あたしは今やっと気づいたんだよ、お前らの生き方のほうが正しいってな」


 私の肩を抱いてくる麻朝。懐かしく、嬉しいけれども、酒臭いからやめてほしい。


「適度な息抜き。これほど人生において重要なものはない。そうだろ?」


 簡易冷蔵庫から新しいビールを取り出し、麻朝は続ける。


「こんなもんにうつつを抜かすから、ろくでもない人生を歩むことになったんだ。ケガしちまったら終わりだ。もう出来る仕事なんてないさ」


 麻朝の指さす先には、踏みつけられ、ボディートップとネックが割れたヴァイオリンが落ちていた。


 私たちは皆、それを見て涙を流した。


 だが、当の麻朝はあっけらかんとしていた。


「ぎゃはははは……。お前らなんて顔してんだ? あたしは嬉しいんだぜ!? やっと練習地獄から解放されたんだ。あたしはこれから自由に生きるさ。まずは宴会だ! おごってやる。ついてこい! やっさんの店行くぞ!」


 やっさん、とは、ここから数十メートル先で居酒屋を経営するおじいさんのことだ。


 私たちは高校時代とは違った意味で麻朝に恐れおののき、黙って後をついていった。


「おーい、やっさん、昼間で悪りーが、店開けてくれ。麻朝だ」


 麻朝が無遠慮に店の扉を開ける。


「ま、麻朝ちゃん!? どうしちまったんだい……」


 麻朝のあまりの変貌ぶりに、やっさんは、呆然としながらビアジョッキを用意する。



 酒が進むと、麻朝は泣き上戸になっていった。


「ほんと、お前らの言うことを聞いておくべきだった……。練習ばっかりで恋愛も遊びも何も知らなかった。あたしはバカだよ……。適度に息抜きしたほうが音楽的にも豊かになれるのにな……」


 事実、麻朝には『演奏に遊び心がない』『冷徹』などの悪い評価もあったのを思い出す。


「麻朝……」


 私たちは皆、同情するしかなかった。


「だからさ、今からでもあたしは……」


 麻朝の見せる純な涙目は高校時代の穢れなき乙女そのものだった。


 その濡れた瞳で『恋をする』とでも言うのだろうか。


 私たちは期待して見守った。


「あたしは……」


「「「「「うんうん……」」」」」


「……ゲームして酒飲みまくって遊び惚けるんだ~っ!!!」


「「「「「なんでやねん!!!!!」」」」」



 突っ込みながらも、居酒屋を出た私たちは麻朝の部屋でマ〇オカート大会に付き合った。


 泥酔しながらも一位でゴールする麻朝はやっぱりエリートで、何に対しても言い訳しない強い女だった。














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