part.2
足元のふらついていた智也は、散々棗と別れろと言いながらタクシーを呼んで帰って行った。
「リー君、はい。傘貸してあげるから気をつけて帰ってね」
店の玄関先、そう言ってオレに傘を差し掛けてくれたのは、この店の若女将の風香だった。
四つ年上のかつてのオレの奥さん候補。
彼女とは幼い頃からの知り合いで、オレの母親は彼女とオレを結婚させたがっていた。
「ああ、ありがとう。悪いけど傘借りて行くよ」
そう言ってオレは傘を受け取ったが、風香はちょっと待ってと引き止めて、オレのジャケットのポケットへとティッシュを差し入れた。
「どうせ男の子はこういうの持ってないんでしょ?濡れたらコレで拭いてね。こんなんじゃ役に立たないかもしれないけど、無いよりはマシだから、ハンカチだと棗さんが心配してしまうから」
「流石だな風香さんはこの手で客のハートをガッチリだ!
それじゃあまた。ご馳走様」
そう言って歩き出した雨の中、見慣れた人影が傘をさして立っていた。普段使いの木綿の着物。手にはもう一本傘が握られている。
「棗…。どうしたんだこんな雨の中。呑んでから帰るってメールしたろう?家で待っていれば良いのに、ほら着物が濡れるぞ?」
そう言って駆け寄り、傘を持つ棗の手に触れると氷のように冷たかった。
「いつからここに立っていたんだ?店に入ってくれば良いのに」
「だって店には智也さんがいるし、風香さんもいて…入りづらくて…。でも、こうして李仁さんを待っていたかったんです」
そう言って薄らと微笑む顔は青白く雨に煙るように儚げで美しい。
一目惚れとは一目で恋に落ちることを言うけれど、オレは何度も棗に一目惚れし、何度も恋に落ちてしまうだろう。
借りた傘をたたみ、二人で一つの傘に入って歩きだすその道すがら、棗のか細い声がポツリと聞こえた。
「…この前はごめんなさい。書道家先生のこと」
濡れた道に落とされた視線と俯く棗の細い頸。潤んで揺れる瞳からは今にも涙が零れ落ちそうだった。
「…え?、あ、ああ…その事ならもう良いよ」
「……私、智也さんや風香さんに嫌われてますよね?」
「どうしたんだ急に、そんな事ないぞ?」
「良いんです。嘘つかないで下さい。二人の大好きな李仁さんをこんなロクデナシの私が奪ってしまったんだもの」
そんな事は無いと言おうと立ち止まった時、不意に棗はオレを抱きしめて来た。
「嫌です。…あの店に行かないで下さい…!」
「棗…」
「こんな私だから…、不安なんです。私は智也さんや風香さんには遠く及ば無い。…あの二人は私なんかよりずっと貴方を幸せに出来る人達なんだもの」
雨に濡れながらオレにしがみつく細い腕を震える肩をオレは思わず抱きしめた。込み上げる嵐のような愛しさが発火する。
オレの心をいつだって前後左右に掴んで揺さぶる棗。どんな言い訳もどんな嘘も、どんな愛も、オレに見せるどんな顔も全てが真っ直ぐなお前だ!
傘が足元に転がった。
棗の身体をかき抱きながらオレは棗を誰も通らない細い路地へ引っ張り込んだ。
「李仁さ…っ?!」
雨に濡れた硬いブロック塀に棗を押し付けオレは唇を奪った。
耳を塞ぐ濡れた音は雨音か口付けだろうか、熟れた頭には判別でき無い。二人の熱い吐息が絡み合う。
ここがどこかなんて関係ない。
誰に見られたって構わない。
誰が何を言おうと関係無い。
どんなに歪に見えようと構わない。
棗がいくら浮気をしようと、どんな仕打ちをされようと、たとえ裏切られてもオレはお前を愛するだろう。
嫉妬も愛の贄としてオレ達は奪い合い与え合うんだ。
誰にも理解される事のない愛の境地で。
これが二人だけの愛の形なのだから。
◆◆◆
「いらっしゃいませ、今日はどのようなお色をお探しですか?お客様ならこちらの鴇色などはいかがですか?お肌の色にとても映えそうですよ?」
反物の並ぶ棚、サンプルの写真を眺めている女性にオレは声をかけてみるが、女性は買うつもりはないらしく、ペコと頭を下げただけで店を出て行った。
「ありがとうございます、またのお越しを」
そう言ってさりげなく棗が客を見送る。
店内に誰もいなくなると棗はつかつかと近づいて来ると、オレの前で意地悪く笑った。
「残念でしたね。採寸に持ち込めなくて、李仁さん好みの可愛らしいお客様でしたのに」
「採寸に持ち込むとはなんだ!失敬な!オレが体を触りたがってるみたいに言うな!」
「ふうん。今日はやたらと親切でしたね?」
「そんな事は無いぞ!お前こそ何だ!最近ちょくちょく来る髭のお客にベタベタしやがって」
「ふふ、気になりますか?」
「別に!」
「あそ、じゃあお誘いに乗ろうかな? あの方緊縛師なんだって。今度緊縛ショーを見にいらっしゃいって誘われたんですけど行ってみようかな」
「な、ナニ?!緊縛?!ダメだそんなの!」
「いつもの縛りじゃなくて、本格的な緊縛って李仁さんには無理ですか?この際私が習ってきましょうか?」
「ーーし、縛って欲しいのか」
「ふふふ、赤くなってますよ?かわいい、李仁さん」
どんな愛の形でも、二人が良ければそれで良い。
-了-
いいわけできないほどの恋 【 20237 】 mono黒 @monomono_96
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます