おかえり、パパ

七雨ゆう葉

ずっと、いつまでも……

「ああ、ダメだ! 違う!」

 使い古した万年筆をデスクに叩きつけると、原稿用紙をぐちゃぐちゃに丸める。

 もう何枚目だろうか。鬱屈うっくつし、溜まりにたまった感情を吐き出すように。荒い吐息と共に、俺は潰した紙クズをゴミ箱めがけ、投げ捨てた。


 散るに散らかった薄暗い部屋。的から外れたボールはそのまま脇へとれ、茶色の毛並みをまとった大きな無機物へとぶつかり、バサッと落ちる。

 娘の誕生日に渡すつもりで、用意したプレゼント。だが今でも自宅待機したまま、それはほこりだけをひたすらに蓄え続けている。その個体が見せる笑顔に、俺の心臓はチクリと締め付けられた。


「娘と、実家に帰らせて頂きます」


 二年前。そう言って愛想を尽かした妻は、娘を連れ家を出て行った。妻とは学生時代、互いに書店員として知り合い、その後家族となった。当時から作家を志していた俺は、今から五年前。晴れて賞を受賞し、ついに夢だったデビューを果たす。

 だがその一作を最後に、それからは泣かず飛ばずの日々。書斎にこもるばかりで家庭をおろそかにした結果が、今のこのザマだ。

「明日からまた、頑張ればいい」

 今日はちょうど月末最後の日。来月から本気出すとていの良いいいわけを唱えると、俺は夜更けの町へと繰り出した。


「すいません。同じの、もう一杯」

 大衆向けの立ち飲み屋。酒に身を委ね、現実逃避にひた走る。

「うわぁ! かわいいー!」

「だろ! ウチの娘、‟大人になったらお父さんと結婚する!”って言うんだぜ」

 スーツ姿の男女の談笑。ちょうど対角線上で、上機嫌なサラリーマンが同僚相手にスマホの写真を見せびらかしている。その光景全てが目障めざわりで耳障みみざわり。早々に会計を済ませ、俺は店を後にした。


 外の乾いた冷気が肌に触れ、気持ちがいい。散歩がてら、少し遠回りでもしていくか。ふらついた歩調をアスファルトに響かせながら、ダラダラ夜道を彷徨さまよう。だが途中尿意をもよおした俺は、暗闇の中煌々こうこうと光るコンビニへと急いだ。


「ジャーー」

 無事に事を済まし、顔面に冷や水を浴びせる。

「ヒドイつらだ」

 洗面鏡で対面した自分は、より一層筋肉を失い、行き着く所までくたびれた顔をしていた。


 そんな中。俺はふと、ある事を思い出す。

「そっか。今日オレ……誕生日か」

 かと言って何があるわけでもない。無情にもまた、年を重ねるだけ。そのままコンビニを後にしようと思ったが、あえて孤独の寂しさを自らに刻み付けるように。俺はきびすを返しデザートコーナーを物色。そうして手にしたのは、小さなショートケーキ。さらに胃腸向けの栄養ドリンクを片手に、レジへと並んだ。

「お客さん、イイ事ありそうですね!」

「は?」

 突如店員から放たれた言葉。

 会計画面を見ると、そこには777円の表示。

「あぁ」と適当に相槌あいづちを返し、ポケットをまさぐる。ジャラジャランと音をさせながら、引っこ抜いた手の平。

「776円……」

 足りない。俺は酔っぱらっていて、所持金の事も何も考えていなかった。何がイイことだ。揃ったところで、今の俺にはアンラッキー7でしかない。

「すいません、やっぱキャンセルで」

 そう吐き捨てると、俺はそそくさと店を飛び出した。


「ッタ……ッタ……」

 相変わらずの千鳥足。

 だんだんと酔いも回ってゆく。

「ゴンッ」

「っっ痛えな!」

「んぁ……なんだぁ?」

 ぶつかった男の肩に悪びれもせず。意識朦朧いしきもうろうとした俺は、全身を預けるようにしてすり寄っていく。

「何なんだオマエ。てか酒くせぇ!」

「うっとおしいんだよ!」

「ドゴッ」

「ガシャーーン」

 顔面を殴り飛ばされ、俺は体ごとゴミ置き場へと吹き飛ばされた。


「……ぁぁ」

 静寂にこだまするうめき声。

 気持ち悪い。吐きそうだ。身体中が痛い。

 ちょうどその時、「ピロリン」と携帯の音が鳴り響く。


『件名:パパへ ひなより』


 メールはまさかの娘の「ひな」からだった。妻同様、もう長いこと会っていない。今年でひなも八歳か。ていうか、携帯持たせたんだな。そんなことを思いながらメールを開く。



『パパへ。

 おたんじょうび、おめでとう。


 ママね。

 ナイショにしてるけど。

 パパのこと

 まってるよ。


 ママもひなも

 わすれてないよ

 だから

 おしごとがんばってね。 ひな』



「……ック」

 涙が止まらなかった。

 何してんだ、俺は。

 八歳の娘に、何言わせてんだよ……。


 自分が情けない。

 情けなくて、仕方なかった。

 こんな事してる場合か。


 涙を拭った俺は、立ち上がる。

 もう二度と。振り返らない。

 また、あの頃のように。


 俺は再び、歩き出した。



 ◆



「パシャパシャパシャ……」

「この度は受賞、おめでとうございます!」

「あぁ、ありがとう……ございます」

「六年ぶりの受賞ということで。今のお気持ち、誰に伝えたいですか?」

「妻と娘に」

「……ありがとう、って」

「そうですか。では続いての質問なんですが」

「あ、すいません! じつはこれから、どうしても行かなきゃならない所があって」

「後日、いくらでもお答えするんで……本当にすいません!」

 インタビューの途中、俺は急いで会場を後にした。




「ごめん! 遅くなった」

「別にいいのに。私が来てるんだから」

「ダメだよ。これも大事な時間なんだから」


 この日は娘の授業参観。

 遅れて教室へと入って来た俺に、仕方ないわねと言いたげな妻の表情。


「では。今日のテーマは、‟わたしの夢”についてです」

「発表してくれるひとー!」

「はーーい!!」

「はい。それじゃあ、ひなちゃん」

「はい!」


 先生から当てられた少女は、嬉しそうに起立する。


「わたしのゆめ」

「わたしの夢は、本屋さんになることです」

「お母さんが本屋さんのおしごとをしているので、わたしもお手伝いしたいからです」

「あと、お父さんの書いた本を、本屋さんにいっぱいかざりたいです!」

「ありがとう、ひなちゃん」

「ひなちゃんのお父さんは先日、大賞を取ったんだよね!」

「ええ? マジで!? すっげえ!!」

「パチパチパチパチ……」

 先生の言葉に、周りの生徒たちからは驚きの歓声。そして保護者含め、盛大な拍手が巻き起こる。

「フフッ」

 こっちを見て微笑む妻。

「いえ、そんな……」

 一方俺は照れながら会釈えしゃくを繰り返していると、振り向いたひなが満面の笑みを見せピースをしていた。




 その後。無事授業参観を終えた、帰りの車内。

「そうだ、ひな」

「久しぶりに、帰りに3人でおいしいモノでも食べに行こうか?」

「うん! 行きたい!」

「じゃあ、ひなは何が食べたい? 行きたいところは?」

「ファミリーレストラン!」

「ファミレス? もっと贅沢なお願いしてもいいんだぞ」

「ううん、ファミレスがいい!」


「だって、家族みんなで行くから“ファミリーレストラン”なんでしょ?」


「ひな……」

「ッフフ、いいじゃない。行きましょ、あなた」

「わかった。じゃあ行こうか」

「ひな。好きなモノ、何でも頼んじゃっていいからな」

「うん! やったー!」


 桜並木の間を、一台の車が通り抜ける。

 その風に乗って。

 まるで、アーチのように。

 美しく舞う、花びら。

 しばらくして、疲れたのか。

 後部座席から聞こえてくる、小さな寝息。


 眠りにつく、その少女の両腕には。

 宝物のように、強く、ギュッと。

 大きなクマのぬいぐるみが抱きしめられていた。

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おかえり、パパ 七雨ゆう葉 @YuhaNaname

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