とある喫茶店にて

横蛍

とある喫茶店にて

 そこはとある町の少し裏通りにある一件の古びた喫茶店だった。


 通りは横断歩道がなくても渡れる程度に車の交通量も少なく、一昔前には僅かながら商店街があったところだ。


 駐車場もなく、今どきのチェーン店とは真逆を行くようなたたずまい。店内もまた昭和初期、いや、大正期にタイムスリップしたような、そんな錯覚をするほど現代らしいものが見られない。


 店主は一見するとまだ大学生かと見えるほど幼なさが見える。ただ、常連からは、その瞳と行動はどちらかというと年配者に見えるほど、落ち着きというか枯れたように見えることもあると言われる。


「マスター、いつもの頼むよ」


「はい、少々お待ちください」


 店の常連である年配者は、客もまばらな店内の指定席となっている場所に座ると、いつもと同じように注文をする。


 店内にあるスポーツ新聞を見つつ、ゆっくりとしているのがこの年配者の日課だ。


 マスターと呼ばれた店主はまだふんわりと柔らかい食パンを二枚トースターに入れると、冷蔵庫から卵とベーコンを取り出し、年季の入った鉄のフライパンに油を敷き、ベーコンから焼き始める。


 ベーコンの表面が焼ける音と匂いに笑みを浮かべた店主は、オリジナルブレンドのコーヒー豆からコーヒーを淹れるべく作業をする。


 フライパンの中ではベーコンから美味しそうな脂が染み出しており、さっとひっくり返すとちょうどいい焼き目が見える。


 火を少し調節すると、片手でコンコンと卵にヒビを入れてフライパンに落とす。


 取り立てて難しいことはしていない。ただし、加減、タイミングは見る人が見ると素人でないことが分かる。


 鍋肌に水を入れて蓋をすると、コーヒーの様子を見つつ焼き上がったパンを皿に盛りつける。


 わずか一分ほどだろうか。フライパンの蓋を開けると、ちょうどよく火の入った目玉焼きが完成していた。


 ベーコンと玉子のいい匂いに店主自身も満足げに笑みを浮かべると、白い皿に付け合わせとなる野菜と共に盛りつけ、コーヒーを入れると朝食セットとして常連の年配者に出す。


 年配者はトーストにベーコンと玉子と野菜を乗せると、挟むようにして豪快にかぶりついた。


「ああ、美味い。これを食わねえと一日が始まらねえんだよな」


 至高の一品でもなければ究極の味でもない。少し探せば食べられる、いつもよりワンランク上の料理だ。


 ただ、素材の味が見事に引き立ち調和していることで、知る人ぞ知る味として親しまれている。


「ありがとうございます」


「もうちょっと流行ってもいいと思うんだがなぁ」


「私はこのくらいでちょうどいいですよ。分相応です」


 がらんとした店内に年配者は少し店主を心配するように声を掛けた。お世辞にも儲かっているとは思えない。定年後の趣味でやっているような店にしか見えない。


「あっちのほうは客が来るんだろ? まだタダでやってるのか?」


「占いは趣味ですから。お金は頂いていませんよ」


 店主には喫茶店の客以上に集まる趣味があり、ガラガラの喫茶店の客と同じくらいには噂が噂を呼んで訪ねてくる者がいる。


「いきなり夜逃げとかやめてくれよ。困ったら言ってくれ」


「お金でも貸してくれるんですか? それはありがたいですねぇ。借りて逃げましょうか」


「地獄の底まで取り立ててにいくぞ」


「ふふふ、怖いですね。では返せない、いいわけを考えてから借りることにします」


 双方ともどこまで本気なのか、当人たちも気にしていない会話が続く。ただ、次の瞬間、店主の視線がほんのわずかだが年配者の背後に流れた。


「ああ、そうだ。お酒は控えたほうがいいですよ。近頃、飲み過ぎでは?」


「……いろいろと付き合いがあってな」


「後悔しないようにしてください。若くないんですから」


 まるで確信めいたなにかがあるようにいたわりの言葉をかける店主に、年配者は僅かに戸惑う。ただ、こういうことは初めてではない。


「家内にもよく言われたな」


「奥さんが教えてくれたんですよ」


 一瞬、年配者は店主に重なるように亡き妻の姿が見えた気がした。


「ウチの家内に会ったことねえだろ。もう五年も前に先に逝っちまったってのによ」


「そうでしたか。これは失敗しましたね」


 そこまで話すと会話は途切れ、店主はしくじったと言いたげな顔をしつつカウンターの向こうに戻ってしまう。


 ただ、常連は少し付き合いを控えるかと亡き妻の最後を思い出して決める。


 そんな様子を店主は、温かく見守っていた。





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とある喫茶店にて 横蛍 @oukei

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