第4話 (本編のネタバレを含んでいます。本編を未読の方は、その点ご了承ください。)

 三月。

 章さんの予想通り、二冊の刊行はほぼ同時だった。

 しかし、明暗は分かれた。

 発売前重版に始まり着々と刷を重ねる広川の『葉脈』と対照的に、蓼科萌の新作は思うように売れなかったのだ。

 俺が都内の有力書店を営業して回ったのはもちろん、章さんと二人で可能な限りの販促をした。それなりの手ごたえは感じていたのだが――何が足りなかったのだろう。


「だからああいう小説はよくない、って言ったじゃないですか」

 営業ついでに都内でランチを共にした広川は、それ見たことかという表情をした。

「余命の日数とか願いの数とか、読者に媚びるからそういうことになるんですよ」

 そのずけずけとした物言いに、俺はむっとした。

「そういう言い方はないんじゃないの。蓼科さんはもちろん、章さんも俺も、いいものを作ろう、売ろうと頑張った。ヒットする要素だってたくさんあった」

「頑張っても結果が出せないとだめです、商業なんだから。池田さん、甘いです」

 広川はデザートのモンブランをぱくりと食べた。

「……おいしいけど、池田さんの作る方が好きだな」

「全然別物だけどね。また作るから、食べにおいでよ。春休み中は帰省しないの? 来店する前日までに教えてくれれば、準備しておくよ」

「……気まずいです」

「章さんとのこと?」

「……」

「会いに来てくれれば喜ぶと思う。それに章さんは相葉」

 言いかけて、「しまった」と思った。だが時すでに遅し。

「章さんが相葉さんに何ですか? 今、大事なこと、言おうとしたでしょう?」

 広川は勘が鋭いし、こうなるとこちらが答えるまで、絶対に諦めない。

「……誰にも言わないって、約束できる?」

 広川は、ゆっくり大きくうなずいた。

 それで俺は、九月に相葉がミュゲ書房に来たこと、章さんが広川のことを相葉に頼んだことを伝えた。広川は、目を丸くした。

「なんか……みんないい人過ぎるっていうか……私だけ性格悪くないですか⁉」

 俺は笑ってしまった。

「まあ、ちょっとは悪いかなあ……いや、違う」

 珍しく、的確な言葉が浮かんだ。

「性格が悪いんじゃなくて、おとないんだよ。うん。広川さんは、大人気がない」

「……二回、言いましたね……」

「ごめん」

「でもみんなだって」

「まあ、そう言われればそうか」

「順番付けてみましょう、大人気ない順に」

「そうだなあ。上から、広川さん、相葉さん、章さん、俺、菅沼さん、でどう?」

 あはは、と広川が笑った。

「ですね! 比べるとよくわかる。自分、ほんとダントツだなって、今すっごく実感しました。相葉さんも、大人しそうに見えてなかなかですけど。だから好きなんです。編集長に黙ってあの原稿を手放しかねないことをしたなんて、バレたら大問題じゃないですか?」

「だから絶対、誰にも言わないで」

 俺が声を潜めたのがおかしかったのだろう、広川はまた笑った。

 よかった、わだかまりがほぐれたようだ。ほっとした俺は、自分でも驚く行動に出た。

「これは、俺からのプレゼント」

 キャリーバッグから取り出した『余命二週間の君と、星降るカフェで三つの願いを』をテーブルの上に置いたのだ。

「もしよかったら、読んでみてよ」

 計算があったわけではない。久しぶりの和やかな雰囲気が、自然にそうさせたのだ。

 だが広川は手に取らず、微笑んだ。

「私、大人気ないんで」


 五月の連休。

 ミュゲ書房の庭を、エゾエンゴサクが埋め尽くしている。

 ごく淡い水色に薄い紫が混ざったような、北国に春を知らせる可憐なスプリング・エフェメラル。

「きれいですね」

 突然の声にはっとして雑草を抜く手を止めて見上げると、広川が生垣の向こうから庭をのぞき込んでいた。

「久しぶりに北国の春が見たくなって、戻ってきました。あと、モンブランも。明日、食べられます?」

「わかった。作っておく」

「嬉しいな。じゃあ、また明日の午後、来ます」

「今日は? 寄っていかないの? 章さん、いるよ」

「いいです。その代わり、伝言をお願いできますか?」

「もちろん」

「読書メーターを見てみてください」

 それだけ言うと、広川はいたずらっぽい笑みを残して立ち去った。

 俺はいてもたってもいられず、急いで店内に戻り、章さんと一緒に読書メーターにアクセスした。

 すると、どうだ。

 蓼科萌の『余命二週間の君と、星降るカフェで三つの願いを』が「読みたい本」のランキング一位に表示されている。

 二人でカウンターのノートパソコンに食い入るようにして画面をたどっていくと、先々週、久しぶりに『余命二週間の君と、星降るカフェで三つの願いを』にレビューが付いていて、それは広川蒼汰によるものだった。

 

広川蒼汰 

正直に書くと、僕は苦手な作品です。青春や余命など、読者受けする要素を追求するあまり、文学性が損なわれているからです。しかしこの作品には、人を癒す力があります。厳しい状況にいる人、悩みを抱えている人を優しく励まし、人生を前向きに生きる活力を与えてくれます。また、僕も小説を書きますが、ともすると、文学性や技術性に重点を置き、読者を置き去りにしがちな自分の癖を自戒するきっかけにもなりました。このように、読み方によって多面性があり、文学性の不足を補って余りある価値があります。ぜひ、多くの人に届いて欲しい一冊です。


 ぴったり二五五文字。さすがの文章力。

 このレビューをきっかけに、蓼科萌の作品に徐々に感想やレビューが寄せられ始め、興味を持った登録者が増え、「読みたい本」のランキングでトップになったのだった。これをきっかけに売れ行きに勢いが付き、あっという間に増刷が決まった。そしてその際に帯を「広川蒼汰、絶賛!」と変えたことにより、売り上げはさらに伸びた。


 話は前後するが、連休中、モンブランを食べにやってきた広川に、俺はきいた。

「何でレビュー、書こうと思ったの? 本を受け取ろうとさえしなかったのに」

「蓼科さんからメッセージが届いたんです」

 え。

「蓼科さんがレビュー依頼を?」

「まさか。そんなことされたら、絶対書きませんよ」

 そうだよな。

 広川はモンブランの最後の一口をゆっくり味わうと、言った。

「お詫びとお祝いのメッセージでした。自分のせいで『葉脈』をミュゲ書房から出版できなかったことと、重版が続いていることの。なんとなくわかってしまったみたいです、章さんが私より蓼科さんを優先した結果、こうなったこと。ともかく、私なら絶対、書かない内容です。それで思ったんです。ああいい人なんだな、蓼科さんなりに真面目に創作に向き合って読者に伝えたいことを書くとああいう作品になるんだな、って。だから、ちゃんと買って読みました。あとは、レビューに書いた通りです」

 広川は照れ臭そうに笑うと、「お代わり、いいですか?」と、皿を差し出した。

                                      (了)

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ミュゲ書房 × 読書メーター ショートストーリー『ミュゲ書房―ある原稿をめぐって―』 オレンジ11 @orange11

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