きっと怒りはしないのに

管野月子

長い長い旅の理由

 穏やかな空の上。空を飛ぶ船と船を繋ぐタラップを渡した瞬間に、子供たちが駆けこんで来た。さっそくあちこちの通路に散らばり、棚を覗き込んで声を上げる。


「タネルお兄ちゃん、絵本どこぉ!」

「図鑑が見たい!」

「お人形の作り方の本を探しているの」


 毎度のことながらすごい勢い、いや、エネルギーだ。俺の相棒にして副船長のタネルがたじたじになっている。

 迎える俺たちの船エキンは、途方もない数の書物を積んだ「本屋」の異名を持つ飛空艇だ。チビたちのテンションが上がるのも仕方がない。そして子供たちが乗って来た飛空艇ハンダンは学園船だ。子供の数だけでいえば、ハンダンに勝る船は無い。


 大昔、消えゆく大地から人々は飛空艇で逃れ、果てしない空を旅し続けることになった。今、世界を漂う船の大きさと種別は実に様々だ。


 市場バザー船のように、百の船を集めたより巨大な船もあれば、一家族程度を乗せた小舟もある。たいていは数十から数百人規模で、食物となる動植物を育てる船や、空飛ぶ生き物たちを捕らえる狩猟船。日常雑貨や工芸品、船の部品を加工製造する船が多い。

 そんな様々な船の中で行き場を失った子供たち、もしくは同世代と学ばせたいと願った親の元から集まった子供たちを乗せ、飛空艇ハンダンは世界を旅している。


「猫さん、猫さん、お花の本はどこにあるの?」


 わちゃわちゃと駆けまわる子供たちを棚の高い位置から眺めていた俺に、一人の少女が声をかけて来た。

 そばかすを散らした栗色のウェーブがかった髪。鳶色の瞳。初めて見る顔だ。俺がこの船の船長だと知っているのだろうか。まぁ……この船のすべての本を把握している俺に訊けば、どんな物でも見つけ出すことができる。

 できるが、今は気分じゃない。


「おい、チビ。俺は猫じゃねぇ。船に合わせて体の大きさを変えただけの虎だ。花の本はあそこの若い兄ちゃんに訊け」

「とら猫さん。本はどこ?」


 毎度のことながら聞いちゃいないさ。

 引率の先生が少女に声をかけ、タネルの方へと連れて行った。頑張れ青年。普段本棚の整理にいそしんでいる、今こそ成果を見せる時だ。

 尻尾を振って見送る俺に、白い豊かな髪を一つに束ねた老婦人が微笑みかけて来た。昔馴染みの船長ならぬ学園長のベラクだ。


「ふふふ……相変わらずアスランは、子供嫌いね」

「ベラク、分かっているんだから事前にチビたちに説明しておいてくれよ」

「ええ、ちゃんと説明していますわよ。アスラン船長はとっても物知りだって、ね」


 笑いながら「お茶をご馳走して下さらない」と続ける。

 学園船を迎えるタイミングで、お茶と菓子はタネルが用意していた。俺はいつものようにすたりと通路に下りて前を行き、続くベラクを応接室を兼ねた居住区の居間へと案内する。

 久々に訪れた部屋の様子に、ベラクの笑みが深くなる。


「いつ来ても懐かしいわ。私がここに居た頃と変わらない」

「そうか? まぁ、あまり変わりようがねぇけどよ」


 勝手知ったるという感じで、ポットに用意してあった茶をカップに注ぎ、ベラクは昔の定位置に腰を下ろした。


「私がこの船であなたと旅をしていたのは、もう……三十年、いえ三十五年ほど前になるかしら」

「まぁ、そんなもんだな」

「その後に二人代替わりして……タネル君はずいぶん長いわね」


 俺の相棒となる副船長は、不思議な縁でこの船に乗ることになる。ずっと探し求めていたもの――大抵は本だったりするが、それを見つけ出すまでの数年、俺と共にこの飛空艇で旅をする。そして探しものが見つかると新しい者が船に乗り、代替わりを経て前任者は去っていく。

 ベラクは彼女が三十代のはじめ頃、俺と出会い数年を共に過ごした。

 探していた本を見つけ船を去り、タネルを拾ったのは前任のイフサンが居た今から十五年ほど前。夜明けの空を一人、小舟で漂っていた。見つけた時は七つか八つ。それまでどこで何をしていたのか、自分の名前を含めて一切の記憶が無かった。


「あなたがタネル君を拾ったと風のうわさで聞いて、連絡を取った時のことを覚えている?」

「あぁ……ずいぶん前だな。いつだったか」

「十三年前の春よ。彼は……九つか十だった。小さくて可愛らしい子供だったわ。紫色の大きな瞳が宝石のようで、とてもキラキラしていた。あの輝きは今も変わらないようね」


 子供たちに囲まれながら、タネルが通路を通り過ぎていく。

 俺と違って小さな子供のおねだりも嫌がらず、丁寧に相手するものだからどこに行っても人気者だ。けっこう年上の女性にも好かれているのも知っている。弟のように可愛がりたくなるらしい。羨ましい。

 尾を揺らす俺に、ベラクは「ふふふ」と声を漏らす。


「私が迎えに行ったというのに、子供嫌いのあなたがタネル君を手放さなかった。その理由を、そろそろ聞かせてもらってもいいかしら」


 俺は顔をしかめて、学園長を横目で見た。

 共に暮らしてだけあって、俺の心の内もお見通しってことか? 嫌なヤツめ。


「はっ……別に手放さないわけじゃねぇよ。あいつの探しもの――俺に拾われる前の記憶が見つからないから、船を下りるきっかけが無いだけだろ。まぁ、真面目に働くから追い出す必要もないし、引き継ぐ奴との巡り合わせもない。何となくだよ、何となく」

「嘘、おっしゃい」


 にっこりと笑って見せる。

 あぁ……嫌だ。こいつには言い訳が通用しない。


「彼の探しているものがこの船に無いのは真実でしょう。でもさといあなたのことだもの、凡その察しはついているのでは?」


 じろり、とにらむもベラクは動じない。


「彼の記憶に関する手がかりとなる……その空域を避けて飛空艇を飛ばしていれば、見つかるものも見つからないでしょう」

「そんなことはしてねぇよ」

「あら、そう? 彼がこの船を去るのが嫌なのでしょう?」


 ったく、どうしてこの女は歯に衣を着せるということをしないんだ。


「余計なこと言うなよ」

「本音を知っても、彼はきっと怒りはしないのに」


 本を読むタネルの声が聞こえる。

 子供たちにせがまれ、周りを取り囲まれながら絵本や童話の本を開いているのだろう。その明るい声が、積み重ねて来た月日を思い出させる。




 何も分からずこの船に拾われ、心細い思いをしていただろう。まるで捨て猫のように部屋の隅でじっとして、俺やイフサンの様子をじっと観察していた。

 何ヶ月かして慣れ始めてからも、遠慮がちで言葉は少なかった。


 当時、五十手前の歳だった前任のイフサンは小さなことにこだわらない鷹揚おうような性格で、「放っておけばそのうち何でも聞いて来るようになるさ」と、必要最低限のことを教えるだけにとどめていた。結局俺が、あついを見張る羽目になったんだ。


 通路と本棚の入り組んだこの船は、迷子にもなりやすい。できるだけ自分で何でもできるようにさせていたが、帰り道が分からなくなって涙をこぼしながら行ったり来たりしている姿を見たら、さすがに放ってけない。

 棚の間から顔を覗かせ、俺の姿を見つけたタネルのほっとした顔。「アスラン」と呼びながら必死に両手を伸ばされれば、尻尾の先でも触らせてやろうかという気になる。

 まだチビのくせに、細い腕で落とさないようしっかり抱えるのを見たら、大人しく抱かれてやろうと思っても悪くないだろう。


 文字を覚えて本を読む。

 拙い声を聞きながら、膝の上で俺は丸くなる。

 そのうち眠くなって目を閉じていると、いつの間にかタネルも眠っている。


 俺の好きなカリカリや煮干しは、いつも大切に取っておいてくれた。

 ブラシを手に入れてからは面倒くさがること無く、丁寧に、楽しそうにブラッシングをする。


 イフサンが船を下りタネルが副船長を継いでからは責任感も芽生えたのか、船の点検や本の整理だけじゃない、勉強だって頑張っている。それでよく夜更かしして、寝坊もしているが……。

 嫌なことがあっても前向きに気持ちを持っていく。

 あいつの笑い声は……そう、悪い感じじゃない。




「本音も何もない。ただ単に、気が付けば月日が流れていただけだ」

「まぁ……そう……」


 納得していなさそうな声でベラクは呟き、カップを傾けた。


「言い訳にはちょっと苦しいけれど、まぁいいわ。楽しそうなあなたを見ていると、私も嬉しくなってくるもの」


 そう瞳を細める姿は、別れた三十年前と変わらない。

 けれど次にベラクと会った時、彼女は更に歳を重ねているだろう。その時は、今と同じように笑えているかは分からない。


「迎え、見送りを続け数百年……もしかすると千年の時を越え、この船の書物を守り続けてきた……ただそれだけの生は少し寂しいもの。少しでも気の合う相棒と、長く居たいと思っても悪くないわよ」

「好きに言ってくれ」

「ふふ、可愛いわね」

「アスラ~ン」


 ふい、とベラクから顔をそらすと、子供たちを引き連れたタネルが顔を出した。次々と新しい本のことを尋ねられて、さすがに手が回らなくなってきたか。


「ったく、しょうがないなぁ……」


 ベラクに後は好きにやってくれと任せ、俺は面倒な子供たちの輪の中に入って行った。







© 2023 Tsukiko Kanno.

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きっと怒りはしないのに 管野月子 @tsukiko528

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