シャドウバスターズ

石田宏暁

テーマ〈いいわけ〉

「ニューヨーク、私も行きたかったです」

「先に行ってるわ、佐江ちゃん」


 バス停で空港へ向かう坂本萌花を送り出しながら佐江子は思った。彼女は生まれながらの優しく親身なカウンセラーだと。


 彼女にすべてを吐き出すことで問題を明確にし、拷問セラピーという対極的な方法で一気に解決まで導く論法はみごと功を奏した。


 それは坂本萌花と加瀬店長の出会いからすべて始ったのだ。あれ以来、美和さんの父親は家庭内暴力を振るわなくなった。


 加瀬店長の本気の一発が効いたのか、単純に自身の暴力で赤の他人が傷害事件を画策し、よもや警察沙汰となったことが原因か。


 それが抑止力になったのだ。あるいは美和さん自身が変わったのか。坂本萌花と加瀬店長は仮想現実で〈シャドウバスター〉の世界を美和さんに読ませた。


 事務所を退職した坂本萌花と加瀬店長が共に〈体験型図書販売店・凰文堂〉の運営を初めてあっという間に三ヶ月がたっていた。


 そして坂本萌花は体験型図書が仮想現実バーチャルセラピーに役立つという論文をネットにあげ、サイエンス誌から公演の依頼を受けたのだ。


 先日まで諦めていた国家公認の体験型仮想現実図書の販売ビジネスが承認される。事務所に強面の役人がやってきた日は最悪だったのに。


 よりによって私は卒業式。坂本萌花には仕事がはいり加瀬店長がひとりで対応した日だ。


『この拷問器具は……』白髪に銀縁眼鏡のいかにも真面目な国家公務員が聞いた。『まさか本物じゃありませんよね?』


「手錠や鎖は玩具です。良くできてるでしょ」加瀬店長はおもむろに自分の左手に手錠をかけた。「あ、あれ、外れなくなった。いつもは簡単に外れるんですけど、使ってなかったから錆び付いたんですね、きっと」


『……こっちの刃物は本物ですか?』

 

「ま、まさか」加瀬店長は大振りなナイフを取り出して言った。「見世物ダミーですよ。ほら、こうやって当てても切れないでしょ」


 スッとナイフを自分の太ももに滑らせると、拷問部屋は血の海と化した。チノパンの右膝はみるみる真っ赤な血のパンになっていく。


『ちっ、血が、血が出てますけど』


「嫌だな、見世物ダミーですよ。実際に使うことは……あ、ありません……から。おっと意識が、なんでもありません」


『ふらついてますよ。すぐに救急車を呼びましょうか?』


「ははっ、大袈裟だなぁ。ちょっとこの後アポイントがあるんで帰ってもらっていいですか」


『ひとつ言っておきましょう、加瀬さん。これがビジネスというなら……合法化は難しいでしょうね。少なくとも貴方には』


「なんでだよっ。俺の天職と魂を奪って、しけた煙草みたいに踏み潰すのは合法なわけか?」


『本性がでましたね。私がきて何時間か状況を聞く限り、貴方がしたことは〈いいわけ〉だけです。実績だけは評価していたのですが』


「待ってくれ……俺は生まれながらの拷問者だ(仮想現実の仮装限定)。それを社会は排除しようというのか」


『それが法律です』


「帰ってくれ。ああ、その前に救急車をよんで貰えないですか、なんかすみませんでした。助けてください、天使が見えてきました」


『……』


 そんな失敗が重なれば諦めないほうがどうかしている。だが、まだ終わらなかった。


 加瀬と坂本を元気付けたのは天敵だったはずの安堂だった。国内の認証が難しいなら海外に視野を広げるべきだといった。


「諦めるのか?」安堂さんは相変わらず男前で台詞だけは格好よかった。「実績があるんだから論文を出せばいいんだよ。お前らのニューヨーク行きは僕の夢でもあるんだぜ」


「出ていって欲しいからだろ」

「なんか企んでいるんでしょ」


「そうだよ。あんたらが居たら僕に仕事がまわってこないからな」


 事務所を辞めた坂本萌花に未練があったかは分からない。そんな悪態をつきながらも安堂は懇切丁寧に論文作成を手伝った。


「僕だってあんたの拷問セラピーが不法なんて思いたくないからね。健常者が車椅子に乗って楽しているようなもんだ」


「本物のセラピストの発言とは思えないな。安堂さんって、拷問したくなるタイプだよな」


「……本気のね」



 そして坂本萌花はひとりニューヨークへと旅立つことになったのだ。私は事務所でひとりウロウロしている加瀬店長をみた。


「追いかけないんですか?」私の王子様は坂本萌花をパートナーにしたいと思っている。


 なら、さっさと決めてもらったほうが余計な期待をせずに済むと思った。ふたりが惹かれあっているのはとうに分かっているのだ。


「仕事がたて込んでるし、叔母の具合も悪いし、パスポートの期限も切れてるから」


 店長がはっきりしなければ坂本萌花はキチンと論文が発表できない。ちゃんと口でパートナーになりたいと伝えなければならない。


 仕事だけのパートナーではない。それを伝えなければ彼女は〈体験型図書販売店〉の優位性を立証するためニューヨークに残ってしまう。


「黙って追いかけたほうがいいですよ。そんな〈いいわけ〉私には通用しません!」


「俺の抱えている闇は深いんだ」


「まだ分からないんですか。その闇があるからみんな輝くことが出来たんです。貴方にあって、はじめて本物のシャドウバスターになれたんです。萌花さんしか居ないんですよ、加瀬店長を救えるのは」


「わ、分かった……分かったよ」


 松本さんが車を用意して待っていた。萌花の兄は代わりにパスポートと旅行鞄を持って、加瀬店長が必ずくると信じ待っていた。


 数時間後。人並みの中を掻き分け、空港のロビーで加瀬隆之介と坂本萌花は向き合った。覗き見た瞳は驚き戸惑い、時間の流れのようにゆっくりと瞼が揺れた。


「なんで来たんですか?」


「ほ、ほら、この雑誌を飛行機で読みたいだろうと思って持って来たんだ」


「先月号は読み終わってますけど」


「ああ、この髪どめだ。忘れていって探すのも大変だろうから。慣れない土地で」


「今朝、壊れて捨てたやつですけど」


「……実は伝えておかないとマズイかなって思うことがあってさ」


「もう〈いいわけ〉は沢山ですよ」


「ああ、〈いいわけ〉して正当化するのはやめた。俺は、俺の性癖でお前を拷問したいんだ」


「なっ」萌花は自分の耳を疑った。「それは愛と倫理が前提の仮想現実?」


「そんな〈いいわけ〉は無しだ。一度しか言わないからしっかりと聞いてくれ。俺は、俺は君を愛してる。ちゃんと伝えたからな」


「……私もです」


「でも乱暴な拷問なんてことはしない。すごく優しい拷問はするかもしれないけど、何ていうかソフトなやつ、えっ、今なんていった?」


「私も愛してるっていったんです。もう〈いいわけ〉なんて結構です!」


 襟元をつかまれた加瀬は、ぐいと引き寄せられたまま坂本萌花とキスをした。その後どうなったかなんて聞きたくないでしょ。



 それこそ拷問よね?



 

          〈END〉



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シャドウバスターズ 石田宏暁 @nashida

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