とある男の不運な出会い

misaka

○悪魔と出会ってしまった

 俺ほど不運な人は居ないんじゃないだろうか。ベッドの傍らで俺を見下ろす悪魔に、これから魂を刈り取られるのだから。


「……ではな、家主。別れだ」


 悪魔が消えると同時に、俺は25年の生涯に終わりを告げた。




 都会の大学に進学することが決まって、手ごろな住宅が無いかを探していた。


「駅まで7分で……家賃、7万円か」


 高すぎても困るが、安すぎても困る。というのも、心理的瑕疵かし物件――いわゆる事故物件の可能性があったりするからだ。

 昔から霊感が強かった俺は、あっち側の色々が結構見えることがあった。だから、事故物件は全力で回避しなくてはならない。俺にとって安さよりも、事故物件かどうかの方が判断基準として大きかった。

 その点、今探し当てた1室は値段も駅からの距離も程よい。備考欄にもこれと言って何も書かれていない。


「確か記載・報告義務があったよな。それに……」


 今年で築7年。住むのは7階の7号室。これだけ縁起の良さそうな部屋を見たことがない。例が視える俺は、だからこそ、迷信や風水なんかを大切にしていた。

 折角の新生活だ。出来ればいい部屋に住みたい。


「……よしっ」


 法律と自分の運を信じて、内見の予約を入れる、

その後、予定通り都内に出向いて内見を済ませ、問題がないことを確認して──。


「──これから夢と希望に溢れた俺のキャンパスライフが始まる!」


 と意気込んで住み始めた初日の夜。部屋の電気を消し、寝落ち用の動画を探していた時にソレは現れた。


「お前が新しい家主か?」


 ベッドに横たわる俺の枕元に立って語りかけてくるのは、背の高い男だった。目つきは悪いが、シュッとした顔立ちの男の霊が俺に話しかけてくる。霊そのものではなく、暗闇の中に浮び上がるその顔立ちの良さに驚かされた。


「おい、聞こえないのか? 見えないのか?」


 この問いかけに答えると、霊たちは大抵調子に乗ってあれやこれやをしてくる。無視を決め込むのが一番だということを、俺はよく知っていた。


 ――小学校の頃は、それでよくいじられたっけな……。


 周りからは見えない霊と話す俺を面白がった同級生たちの姿を思い出しながら、俺はスマホをスリープにし、目を閉じる。


「そうか。こいつも見えないのか。……どうしようか」


 悪態をつきながら、男の霊が遠ざかって行く気配がある。事故物件ではないと聞いていたのに、これでは契約違反ではないだろうか。明日、大家と仲介業者に文句を言ってやろう。そう思って俺は眠りについた。

 そして、翌朝。俺は、パンが焼ける良い匂いで目を覚ました。もうこの時点ですでに、異常だった。このワンルームには俺しか住んでいない。もちろん、トースターをセットするなんておしゃれなことはしない。にもかかわらず、第三者がパンを焼いている。


 ――間違いなくアイツのいたずらだな……。


 心の中で悪態をつきながら、俺は昨晩枕元に立っていた男の霊を思い出す。霊の中にはポルターガイストと呼ばれる現象を引き起こす奴らがいる。皿が浮いたり、電気が点いたり消えたりするアレだ。そう言うのは決まって、人間の気を引きたい霊によるいたずらだということを、視える側の人間である俺は知っている。

 朝の空腹を刺激してくるという高度ないたずらは初めてだが、無視をすることには慣れている。それに今日は日曜日で大学は明日からだ。


 ――無視しとけば、いずれ飽きるだろ。


 2度寝を決め込もう。そう思って眠ろうとした時、今度はピーという電子音が聞こえてきた。同時に、ほんのりと漂ってきたのは香ばしいコーヒーの香りだ。随分手が込んだいたずらだと考えていると、ふと。


 ――いや、待て。俺はトースターもコーヒーサーバーも買ってないぞ?


 新居に俺が用意したのは冷蔵庫と電子レンジなどの必要最低限の家電だけだ。トースターやコーヒーサーバーなんていう、いわば嗜好品を買う金銭的な余裕なんてあるがはずがない。


 ――まさか、な……。


 そう思ってゆっくりと目を開けてキッチンの方を見てみると、やはり男の霊がいた。まあそれは分かっていたことだから良いとしよう。問題は、その霊が鼻歌まじりに朝食を作っている事だ。その恰好は、サラリーマンっぽいが、どちらかと言えば喫茶店の制服に似ている気がする。


「な、にが……?」

「お、家主が起きたか。お寝坊だな」


 思わず声を出してしまった俺に、霊の男が気づく。が、どうやら視えている事には気づいていないらしい。すぐに俺から目線を切って、朝食作りを再開する。

 起きたことはバレた。というわけで、ベッドの上でスマホをいじりながら、霊のことを無視する。


「よし。次は……」


 そんな声が聞こえたかと思うと、油が跳ねる音が聞こえてくる。ちらりと様子をうかがってみれば、奴が使っているのは俺が新調したフライパンだ。テフロン加工がどうとか、収納がどうとか言われて買った高い物なのにな。


 ――くそぅ。どうせダメにされるから買い直しか。


 一体何を焼いているのか。この食欲を刺激する匂いは……ベーコンか? 朝から本当に、意地の悪いいたずらを仕掛けてくるではないか。

 ただ茫然とベッドの上であくびをしていると、調理の音が止んだ。同時に、ちんと音を立ててトースターが焼き上がる。この幽霊、俺の部屋で本当に好き勝手しやがるな。


「出来たな。あとは……」


 そう言った男が、トーストとバター、ベーコンエッグを乗せた皿を持って来る。そして、俺をちらりと見下ろしたかと思うと、


「食べてくれると良いんだが」


 ベッドのそばに置いていた座卓の上に、出来立ての一皿を置いてキッチンへと戻っていく。そして再び俺の方にやって来た男の手にはマグカップに入ったコーヒーがあって、


「ブラック派か? カフェオレ派か? 砂糖は要るんだろうか……」


 そんな独り言をつぶやきながら、朝食が乗った皿の横に、コーヒーを添えた。


「これって、モーニングセット……?」

「前回の家主はこれでも足りなかったみたいだからな。……そうか、牛乳か。牛乳派の人間もいるんだった。早速買ってこなくては」


 何かを閃いた様子で玄関のドアを開いて、出て行ってしまった。口ぶりからして、前の居住者にも同じようなポルターガイストをしていたのだろう。

 ベッドから起き上がって見遣ったキッチンには知らない家電が並んでいる。食パンは確かに買ったが、卵もベーコンも買った覚えがない。


「あいつが買ったのか、運び込んだのか――」

「戻った。ふぅ……間にだっただろうか?」


 そんなことを言いながら帰って来た男は、透明のコップに牛乳を注ぎ、コーヒーの横に置く。


「さぁ、これでどうだ、家主。わたしの渾身の朝食だ」


 すました顔のまま、床に胡坐をかく。そして、座卓に肘をついたかと思うと、


「食べてくれ、食べてくれ、食べてくれ、食べてくれ」


 まるで呪言じゅごんのように祈り始めた。その顔は必至そのものだ。そして、よく見れば男の側頭部には小さな角がある。こいつもしかして、幽霊じゃなくて悪魔か?

 だとしてもおかしい。悪魔は契約に従って、あくまでも利己的に動くような存在だ。そんな奴が、俺のために朝食を作ったのか? 悪魔なのに?


「前回の家主は紅茶派だった。前々回はそもそも食べる前に逃げられた。その前は捨てられた。せっかく作ったご飯なんだ、せめて、食べてくれ……っ」


 目の間には出来立ての料理があり、その向こうでは悪魔が神に祈るようにして神戸を垂れている。


「……カオスだ」


 色々と現実離れしているが、ただ1つ。食べ物に罪はない。それに、なんだかこの悪魔の男が不憫ふびんに思えてきた。もちろん、何か裏があるのではないかと思わないことも無い。が――。


「よっこいせっと」


 ベッドから起き上がり、座卓に腰を下ろした俺は、悪魔が作ったらしい朝食に向けて手を合わせる。


「頂きます」


 俺がトーストを手に取った時に見せた悪魔の驚いた顔は見ものだった。


 ――この悪魔になら、騙されても良いか。


 こうして出会った家事万能な悪魔のせいで、俺は正真正銘のダメ人間になっていく。朝起きれば出来立ての朝食が待っていて、そっけない「気をつけてな」で家を出る。

 夜帰れば「帰ったか」というお迎えの言葉と温かいご飯が待っている。時には人生相談にも乗ってもらい、勉強を見てもらうこともあった。大学では彼女も出来たが、悲しいかな、悪魔ほど魅力的な人間など、もうどこにもいなかった。

 ここからはしばらく経った後で聞いた話だ。


「なんでここに居たんだ?」

「ずっと前に住んでいた私の契約者が自分の命と引き換えに私を召喚した。その時の願いが『幸せになりたい』だったのだ」


 悪魔にとって契約は絶対。しかし、契約者は願いを言うとともにこの世を去った。よって悪魔は、誰かを幸せにしなくてはならなかったらしい。そうしてこの部屋にやって来た人々に、押しかけ妻のようなことをしていたらしかった。


「電化製品はどこから?」

「近くの店で買ってきた。深夜営業は便利だな」

「家電量販店の深夜営業なんて聞いたことないぞ。……お金は?」

「逃げた居住者から拝借した」


 そんなやり取りもあった。夜逃げした居住者が見つかり次第、お金は返そう。ついでに、『心理的瑕疵』を表示しなくても良いようにする方法はいくつかあるらしい。それは俺の勉強不足だった。

 それからさらに時は経って、悪魔と出会って7年が経った頃。7月7日の七夕の夜。


「私の存在は、迷惑だったか?」


 枕元に立つ悪魔がどこか申し訳なさそうに聞いて来る。


「まさか。お前の契約が完了したことが、証拠だろ」

「……そうか。では契約に従って、私はあちらに帰る」

「はいよ。俺の魂、美味しく頂いてくれ」


 俺ほど不運なやつはいない。なぜなら悪魔に出会い、魂と胃袋をつかまれてしまったのだから。けれどもきっと、俺以上に幸運な奴も居ない。

 家賃7万円、駅チカ、7階。7を信じて始まった出会い。悪魔と出会ってしまった不運も、今となっては──。


「……ではな、家主。別れだ」


 クールな表情のまま目端に涙を浮かべた悪魔の姿が消える。俺の枕元には、やつが残していった今日の誕生花アベリアの花がある。献花のつもりだろうか。


「最期まで悪魔らしくない奴だったな、全く」


 そう苦笑する俺を、心地よい眠気が襲う。永遠に覚めることのない眠りはきっと、心地良いものに違いない。

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