七番目の猫は時間を守らない

鳥辺野九

七番目の猫


「ついてないわ」


 時雷じらいを踏みつけて彼女は言った。


「何度目だ?」


 思わず俺は聞いた。それに何の意味があるのか自分でも解らずに。

 イスエラは指折り数えた。左手だけでは足りなかったようで、ライフルを持つ右手人差し指まで至った。


「六度目」


「それはついてないな」


 枯れ葉に偽装した色合いの時雷がイスエラのブーツの下に僅かに見える。薄暗く深度のある森の底で、この時雷の発見は不可能だ。

 二度三度と時間がひっくり返った奴は知っている。どいつもこいつも皆優秀な戦士だった。別の時間軸でも元気にしていればいいが。今の人類に別時間と連絡を取り合う手段はまだ確立されていない。知る由もなし、だ。


「ルーペ」


 イスエラは俺を見た。残り少ない貴重な時間を無為に消費すべきではない。俺は応えなかった。


「ルーペ・ノアール!」


 イスエラが俺の名を叫ぶ。深い森に声が染みて消えても、俺は彼女を見ない。ライフルを置き、バックパックを下ろす。たしか精密工具キットを入れておいたはず。


「聞いて、ルーペ」


「いいから黙ってろ。おまえは周囲を見張れ。敵が隠れているかもしれない。俺はこいつを解体する」


 時間地雷の構造、解体方法の講義なら一度受けたことがある。バックパックから一世代古い精密工具キットを引っ張り出した。これがどこまで役に立つか疑問だが。


「私のことはいいから、ルーペ自身のことを話しておきたい」


 イスエラはヘルメットを脱いだ。乱れた赤毛がはらりと額にかかる。ヘルメットをブーツにかぶせ、再び俺を真正面に見据える。


「六回も時間を飛んでいるから私にはわかる。ルーペは私にとって最高の相棒よ」


 今更愛の告白とは気が利いている。時雷解体のやる気もアップだ。


「はいはい、それはどうも。足から力抜くなよ」


 ヘルメットをかぶせたブーツに触れようとすると、イスエラは俺の腕を止めた。


「だから聞いて。私が五度目に時間兵器で死んだ時、ルーペ、あんたは奴らの指揮系統を分断する作戦に就いていた」


 敵性知的生命体は物理兵器に交えて時間兵器も使ってくる。それは地球人類にとって未知の脅威だった。

 時間兵器は人の意識を次元を超えて別時間軸へと吹き飛ばしてしまう。この時間では本体は死んでしまうが、別の時間では意識体として再編集される。

 わかりやすく言えばパラレルワールドへ飛ばされる爆弾ってわけだ。この時間には存在しなくなり世界への関わりも過去も因果まで対消滅する。


「それがどうした? 今の時間では前哨狙撃手だ。おまえもな」


 敵は時間を操る。人類は初めて外宇宙からの侵略を受けた。地球からは時間的に観測できない四次元の天体からやってきた敵性知的生命体と断定し、惑星間戦争が始まった。

 俺がいる時間軸では。他の時間軸がどうなのかは知らない。行ったことないし、戻ってきた者もいない。


「指揮系統を分断する作戦行動は当たりだった。戦果があったんだよ。でも私は時間兵器にやられて、ここ、六番目の時間へ突き落とされた」


「イスエラにとっての六番目だ。俺はまだ一度も時間軸転移を食らっていない。俺にとってはまだ一番目の時間だ」


「人間はあっちでは勝ちつつあって、こっちでは劣勢に立たされている。奴らの狙いはそこだ。人間みんな時間軸がバラバラになる。自分たちに有利な時間軸を展開させようとしているんだ」


 イスエラが防弾ジャケットを脱ぎ去り、ヘルメットの上から時雷を包んだ。自分の脚も含めて。少しでも爆破衝撃を抑えようというのか。


「時間の数だけパラレルワールドは存在するはずだ。それこそ無限だ。それに何の意味がある?」


 イスエラは迷彩模様のシャツまで脱いだ。


「奴らは時間を操作できるって言うでしょ。地球人類に完全勝利した時間軸を一つでも成立させれば、そこに全員が集まればいいだけの話。そこからまた人類を征服した時間を分岐させればいいのよ」


 シャツを細く捻り、防弾ジャケットの上からきつく縛り付ける。時雷と彼女の脚とヘルメットが一緒にひとまとまりになった。


「私だって死にたくない。せっかくルーペと相棒になれたってのに」


「じゃあ諦めるな。時雷を見せろ。解体してやる」


「諦めてないよ。こうして防御して、足を抜いてみる。ダメだったら七番目の時間へ飛ぶだけ。それだけよ」


 イスエラは笑った。こんな極限の状況で笑える人間がまだいたのか。


「もし私が死んだら」


 インナー姿のイスエラは明るく言った。胸元に白い猫のタトゥーがプリントされていた。


「この時間はルーペが守って。兵器による大規模破壊よりもゲリラ的な指揮系統分断作戦の方が有効よ。私は七番目の時間で戦ってくる」


 タトゥーの白い猫は琥珀色の目を煌めかせて『自由を!』とアルファベットを並べていた。俺はその白猫のタトゥーを脳裏に刻んだ。


「私、別の時間に行ってもルーペを探し出すから。また相棒になってね」


「ああ。覚えとくよ。一つでも、人類が完全勝利する時間軸を作れば、俺たちの勝ちだろ?」


「うん」


 イスエラは顔をぶつけるような勢いでキスをくれた。


「さあ、行って。この時間での私のことは、時間が消滅させるだろうけどね」


「絶対に忘れるものか」


 俺はイスエラの言う通りに立ち上がった。前を見て、武器を手に、ゆっくりと歩き出す。決して振り向いたりはしない。




 少しの時間が過ぎて、後方の森でこもった爆発音が響いたが、俺は振り返らなかった。




 私は唐突に時間覚醒した。

 別時間軸に飛んだのだ。前の時間軸にあった私の因果は時間地雷によってすべて対消滅され、無数にあるパラレルワールドの私にフォーカスされる。

 前時間の記憶と経験を持ち越せるってのが人類にとって唯一の利点だが、それを他時間へ伝える術はない。すべて敵性知的生命体の戦略通りだ。人類は物理的にも時間的にも蹂躙されていた。


「ここは、今、いつですか?」


 何故か私は椅子に座らされていた。まるで時間覚醒が起こるとわかっていたかのように。

 臨時の作戦司令部か、簡素なデスクが置かれた小部屋には私の他にもう一人いた。私に背を向け、暗い窓の外を見ている。


「ようやく起きたな。ずいぶんと待ったよ。新しい時間軸へようこそ」


 振り向いたその人は、ルーペだった。私の相棒。この戦争を終わらせられるキーマン。


「ルーペ! 待ったって、何が起きてるの? 何故私が七番目の時間と知っている?」


 ルーペは袖を捲り上げて、傷のある腕を私に見せてくれた。

 そこには琥珀色した瞳を持った白い猫がいた。


「探したぞ、まったく。我ながらめんどくせえ約束しちまったもんだ」


 タトゥーの白い猫には『私を見つけて!』と刻まれてあった。大きな傷跡がタトゥーを破るように走っているが、ルーペはそれをしっかりと守ったのだろう。白い猫は無事だ。

 私はきれいに整えられたシャツの胸元を開いて自分の胸を確認した。ルーペのものと同じタトゥーが静かに笑っている。


「ルーペも、時間兵器で別時間軸へ?」


「ああ。今のイスエラは七番目だったな。俺は、ええと、何番目かもう忘れたよ」


 ルーペは再び窓に目を向けた。今は夜なのだろうか。窓の外は静かで暗い。


「何とか作戦を立案できる本部隊長まで出世できたが、白い猫のタトゥーを持つ女狙撃手が現れるまで待ちまくったぞ」


「戦況は? 七番目の時間で人類は勝っているの?」


 私は今すぐにでもルーペに飛び付きたい気分だった。だが、まだ安心はできない。奴らは、敵性知的生命体の軍勢はどこまで人類を追い詰めているのか。


「この風景を自分の目で見てみろ」


 ルーペは振り返らずに言った。

 そういえば、あの時も、私が時間地雷に吹き飛ばされる瞬間も、ルーペは振り返らないでくれた。ルーペはそういう男だ。

 私は窓に駆け寄った。


「最高に最悪なタイミングで七番目の時間に来ちまったな。イスエラ」


 そこには暗い未来が待っていた。空を黒く覆い尽くす敵性知的生命体のスペースクラフト群。ここはどこだろうか。ただ時間破壊を待つだけの都市には、人間たちがただ呆然と立ち尽くしているだけだった。


「もうすぐ奴らの総攻撃が始まるよ。時間爆弾による絨毯爆撃だ。何もかも、時間の向こう側に吹き飛んでしまうだろうな」


 私とルーペは絶望の淵に立つ世界を眺めた。ようやく、ルーペと肩を並べられたと言うのに。


「たしかに、不運な七番目ね。あいつらにとって」


 私は言ってやった。


「そうか? ついてないわって言うかと思ってた」


「私とあなたがまた出逢えたんだ。あいつらにとって最高に最悪よ」


「だな。行くか」


「行こう」


 いつだってまた逢える気がした。白い猫のタトゥーが私たちを引き合わせるだろう。

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