『アンラッキー7』その女は幸運を喰らい尽くす

月波結

シズカ

 砂埃が風に舞う。

 嵐じゃない。人型戦闘機パワードスーツが降り立った時に巻き上がった粉塵だ。

 演習を終えて帰ってきた。


「おかえり」

「ただいま」


 彼女はシズカ。ヘルメットを外すと長い黒髪が風になびく。細いしなやかな身体に沿って髪が背中を滑り降りる。それはひどくそそられるものだったが、誰も彼女に手を出さない。

 彼女はR第18小隊7番機の乗り手、通称『アンラッキー7』。彼女とバディを組んだヤツは生きて帰ることがない。またの通称は『死神』だ。


 このところ、砂嵐の季節ということもあって、国境を挟んだ小競り合いも停戦状態だ。

 誰も死なない。

 戦場では誰もが使い捨ての駒に過ぎないが、命が続くことに勝るものはない。

 だからこそ、みんな、彼女を避ける。

『生き続けること』――これが戦場での目標のひとつだ。


 シズカの機体を点検する。ジョイント部分に思った通り、埃が入っている。キレイに洗浄するのが技術屋メカニックの役目だ。

 彼女が戦場で死なずに戻ってくるのはのせいではない。訓練生時代からエリートパイロット候補だったと聞く。

 修理点検をしているとわかる。彼女の機体の扱いがどれだけ丁寧かということを。

 そして僕は彼女の生還を強く望んで、丁寧に整備する。何かの間違いがないように、ナットひとつ落とさずに――。


 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


「敵襲!」

 アラートが鳴り響く中、パイロットたちが機体目指してやって来る。ヘルメットを被ったシズカの黒髪は見えない。シズカの後ろを、新人のチャールズが走る。

 どうやら彼がシズカのバディらしい。

 チャールズもまた優秀な新人であると、メカニックの中でも評判になっていた。冷静な判断。弾の無駄打ちも少ない。

 ビビるヤツほど無駄な弾を打つ。

 敵機がどれなのか、見極める前に軽いパニックに陥るヤツも多い。


 そんな中で選ばれた新人エリートパイロットは、メット越しでもわかるほど、緊張していた。

 シズカはバディの彼に必要以上に声をかけない。彼女のクールな言葉は、彼の心を癒すことはできないと知っているからだ。

 そんな時、シズカは僕をチラッと見る。僕はシズカのバディに声をかける。「終わったら1杯奢るよ」と。

 その言葉に誰もが、少し緊張を解く。

 グッドラック。

 親指を立てる。




 戦況は今日も五分五分のようだ。

 どっちの国も結局、国境を動かす気はない。本当は皆、知っている。これは『戦争ごっこ』なんだと。

 今日もごっこ遊びで得をするヤツがいる。

 武器商人や政治家や、ヤツらこそ『死神』だ。使い捨ての生きた駒で、チェスをする。最悪な連中だ。

 次から次へと通信兵に連絡が上がる。砂嵐の中の砂嵐、断続的に切れる通信とノイズ。

 まだ彼女は平常心を保っている。どうやら今日のバディは一味違うらしい。彼女にきちんと追いついている。




 粉塵が容赦なく舞う。

 違うのは、パワードスーツの破損具合だ。

 今回、ヤツらは派手な武器をブッ放してきたらしい。チャフを撒いて、こっちのセンサーを狂わせ、攻撃。

 天上のチェスで数合わせがされたらしい。どっちかの駒が増えすぎるのは、彼らにとって得策じゃない。


 パイロットたちが疲労を隠せず、機体から降りてくる。中には帰ってこなかったものもある。

 こういう時の空気の重さは煙草のけむりさえ床に向かうほどだ。

 シズカは、ヘルメットを脱ぐことなく隣の機体の中からチャールズを引きずり出した。ズルッといった感じで、シズカより重いはずの彼の身体は支えられ、救護班により迅速にストレッチャーで運ばれる。

 僕と目が合うと、彼は引きつった笑顔で右手を上げ、グラスを傾ける動作をした。約束は忘れてないということだ。


 気がつくと後ろにシズカが立っていて、珍しく難しい顔をしていた。

 僕は振り返り、「なにか心配事?」と訊ねた。何しろここに赴任してから初めて、実践で『アンラッキー7』のバディが生還したわけだ。彼女にとって喜ばしいことだ。

 ところがシズカは「肩を貸して」と言って、僕の肩に後ろから手をかけると、上体を折った姿勢になった。

 その手は小刻みに震えていて、不安になる。

「君、怪我は?」

「わたしはない」

 いつも通りの返事だ。彼女でも戦闘の昂りがすぐに戻らないことがあるのかもしれないと、しばらく肩を貸した。


 7号機を点検整備する。

 今回は何発か当たったあとが残されていた。相手は強力な武器だけじゃなく、腕も立つパイロットたちだったようだ。

 しかし、そういう時もある。チェス盤で大きな手を狙う時だ。もっともヤツらは本気でチェックメイトを目指してはいないが。

 仲間たちが隣の機体の脇で何かを話している。

「何かあったのかい?」と訊くと、古株のジェリーが首を横に振った。

「アイツはダメだ。『アンラッキー7』の呪いに取り憑かれたよ」

「帰ってきたじゃないか?」

 ジェリーは首を傾けて、チャールズの機体のコックピットを示した。


 僕は愕然とした。なぜなら彼女の喜びが自分の喜びに繋がるとわかっていたから。

 ――チャールズのコックピットにはひどく血が残されていた。弾痕も、多い。

 シズカは彼を全力で庇ったんだろう。

「やっぱり新人ルーキーには荷が重すぎたんだよ。上層部は何を考えてるんだ? 折角育てたエリートを、ゴミ屑みたいに捨てやがって」

 震えていたんじゃない、シズカは彼を救えなかったことをわかっていて、悔いていたんだ。

 誰も自分から『アンラッキー7』になりたいわけじゃない。


 その晩、チャールズは亡くなった。

 約束は守られなかった。


 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


 それでも日常は続く。

 つまり毎日が戦場の中ってことだ。

 順番が回って、今夜は非番になった。

 基地から少し離れた借りの我が家ホームに帰る。

 シズカとすれ違う。いつも通り、目も合わせず、髪を揺らして彼女は通り過ぎた――。

 それが、彼女と僕の『日常』だ。




 久しぶりに古巣で眠っていると、閃光と共に強い衝撃波が我が家を襲い、窓ガラスはカーテンがなかったら落ちたシャンデリアのようにきらめいて僕を容赦なく襲ったに違いない。

 ――敵襲。

 ヤツら、どうなったんだ? チェス盤の上は常に均衡状態で戦場は膠着することに決まってたんじゃないのか?

 とにかくいつでも出れるように置いてあった整備服に身を包み、フロントガラスにひびの入ったジープで整備されているとは言い難い道をひた走る。


 遠く、基地が見える。

 肉眼では細かい状況はわからない。

 しかし時間をかけて確認するよりも、現場に行くことが先決だろう。

 ······シズカ。

 彼女の白い横顔、赤い唇が目に浮かぶ。どうか、彼女が皆の言う通り『死神に愛された女』でありますように。


 ドアも閉めずに車を乗り捨てる。

 敵機は既に目視できない。爆弾を落として、そのまま帰還したんだろう。

 何もかもが。基地も、パワードスーツも、そして、ここを出る前に笑って手を振った仲間たちも、全部。


 ――これが憎むべき戦場だ。


 僕はそこに倒れていたジェリーの亡骸にそっと触れた。いつも自分は生き残る、シズカの気持ちに少し触れた気がした。

 とは言え。

 この惨状を見る限り、シズカが無事でいるとは、今度こそ考え難い。

 ああ、一度でいいから彼女の白くて細い首に腕を回し、あの黒髪を味わってみたかった。

 結局、僕は彼女に合わせてクールな関係を演じ、自分の本当のホットな気持ちには蓋をし続けていたんだ。自分でもそれに気づきながら――。


 何かを引きずるような音がする。

 ザザッ、ザザッと、その音は少しずつ、遠くから近づいてくる。

 ······敵かもしれない。念の為に携帯していた銃に手をかける。

 燃え盛る炎の向こうに、それはいた。

 それは――。


「シズカ!」

 駆け寄ろうとすると、彼女はストップのジェスチャーをした。

「今までありがとう。人間らしく接してくれたのはあなただけだった。わたしはされてまたどこかに飛ぶ。どうか生き残って」

「シズカ!」

 彼女の声と思われるそれは、機械的な自動音声だった。

 向こう側に軍の車両が着いた音がする。僕はなぜか咄嗟に身を隠す。シズカは、彼らによって運ばれていった。

 僕を振り向いた彼女の横顔は――あの白い肌は焼け落ち、メタリックな鈍い光を見せた。


 彼女の唇が動く。

「サヨナラ」と。

 結局、彼女はまた生き残ってしまった。そして恐らく、これから先も生き残り続けるのだろう。

 この、行方のわからない操作されたチェス盤の上で――。


(了)






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