流転課児童係 報告書 No.2300030014

micco

アンラッキー7

 ひとつめ、朝ご飯が食べられなかった。

「おはよ、よっち」

「あ、さおりん! 二時間目に漢字の小テストだって!」

 ふたつめ、ドリルを忘れてきた。

「あぁお腹減ったなぁ」

「さおりんの食いしんぼう。確か、豆ご飯だっけ」

 みっつめ、給食にグリンピース。


 はぁ。

 夕方の通学路はひとりぼっち。ため息が出た。よっちは「ため息って幸せが逃げちゃうんだって!」って言うけど、勝手に出ちゃう。

 私って、だからいつもアンラッキーなのかな。ポケットの中で、指を『5』に折ったまま歩く。神社とか土手を寄り道してたら暗くなってた。でもこれはまだアンラッキーには入らない、ぼうっとしてただけ。

 あとふたつ。あとふたつでアンラッキーは七つ。

「あー早くアンラッキー来い」

 よっちは変なの、と笑うけど私はちょう真面目。小二のときの大発見をずっと信じてる。

『アンラッキーななで、ラッキーが起こる』

 だから私は毎日アンラッキーを数えて、早くラッキーが来るのを願ってる。


 けっきょく昨日はアンラッキーも6で終わってしまって、リセットになっちゃった。

 また七つ集めなきゃいけない。

 ひとつめ、朝ご飯が食べられなかった。

 ふたつめ、しわしわの服しかなかった。

 みっつめ――――。

 そして私は五時間目の図工で指を切った。のこぎりのギザギザで。血がたらりと床にまるを作った。絵の具みたいに真っ赤。

「大丈夫?」よっちが真っ青になって言った。確かに痛くてじくじくしてきた。でもそんなのはどうでもよくて、嬉しくなった。

「やったよ、よっち。これでななつめ!」

 よっちはびっくりした顔で「さおりん、痛くないの」と言った。

「痛いけど、でも今度はラッキーが来」

「そんなの……変だって、さおりん」

 周りの子も集まってきて、血がヤバいとか先生ぇとか言い出す。よっちは気づいたらいなくなってた。私は先生と保健室に行くことになった。

 さっきは全然平気だと思った指は、すごく痛くなってきて早退することになったけど、よっちはさよならも言ってくれなかった。

 おかしいな、もう8になっちゃってる。

 ここのつ、お母さんが怒った。

 とお、たたかれた。仕事を休まなきゃいけなくなったって。

 じゅういち、夜のご飯もなかった。


 私はもう、アンラッキーを数えなくなった。学校にも行かなくなった。

 だから今度は、お母さんがたたくのを数えるようになった。でもいつも『7』より多くなると、すごく眠くなって寝ちゃう。

 ずっとお腹が減ってて、でも食べ物がないから、トイレに行くときに水を飲んでまた布団に入る。お風呂も着替えも面倒で、なんにもしてない。体がかゆいけど、なんにもしたくない。

 指が腫れてまだ痛い。

 汚れた包帯を見て、久しぶりによっちの顔を思い出した。

「変だよ」って何度も言った、よっち。

 でも私はいつもわざと知らないふりをしてた。

 そっか、私、知らないふりをしてた。

 やっと分かったよ。よっちが正しかったんだ。

 アンラッキー7で、ラッキーなんか来ない。

 だって朝ご飯はもうずっとなかったし、服だってずっとしわしわだった。母さんはいつも怒ってて、いつもたたくから。私が勝手にそのとき「運がなかったアンラッキー」って思い込んでただけなんだ。私は最初から。

 手をついて起き上がったら、頭がぐらぐらした。喉がかわいてた。私は這って、部屋の隅から玄関へ向かった。ごみのビニール袋を避けながら、少しずつ。お腹が減りすぎたのかな、立てないや。

 家にお母さんはいなかった。

 学校に行こう。それで、よっちに会いたい。ごめんねって言おう。変でごめんねって。


      ◇ ◇



「なるほど、それで外に出て車に轢かれたと」

 眼鏡でスーツのお兄さんが、まるで大人に話すみたいに私に聞いた。うんたぶん、と肯くとペンの音が響く。

 私は学校の会議室にあるみたいな椅子に座って、このお兄さんとずっと話をしていた。

「ここに来るまでのこと、覚えてることを全部話してください」って言われて、一生懸命しゃべった。人と話すのが久しぶりで、ぐちゃぐちゃになったけど、お兄さんは怒ったりしなかった。

「図工で指を切った日までははっきり数えてるんだけど……そのあとはあんまり分かんない、です」

 指は痛くないけど、傷口が真っ赤で今にも血が出てきそうになってる。もっと腫れてた気がするけど、治ってる? 

 お兄さんは紙にメモする手を止めた。

「ここで嘘はつけませんから、僕は貴方の自己申告を信じますよ。それよりひとつ、質問をしてもいいですか?」

 うん。

 なぜアンラッキーを数えるようになったんです?

 えぇと、だって。

「『7』日数えると、お母さんと一緒にいられるって気づいたから」

 私は大発見したときのことを思い出した。すごく嬉しかったんだ、嬉しくてお母さんに抱きついたんだっけ。お母さんもバカねって笑ってくれた。

 でもお母さんはだんだん私を抱きしめてくれなくなった。話をしてくれなくなった、家に帰ってこなくなった。

「……分かりました。貴方の場合、上か下かの判断ができません」

「上か下?」

「お役所仕事も子どもには適用が難しいということです。最近多くて困ってるんですが」

 私が黙って聞いてるとお兄さんは「すみません」と眼鏡を押し上げた。

「ではすでに説明したとおり、貴方には選択肢が与えられます。元の世界に戻るか、別の世界に行くか」

「別の世界って?」

「さぁ、それはコウノトリがどこに運んで行くかですから、僕には分かりません」

「じゃあ私、戻る」

 お兄さんは私をじっと見て「いいんですか」と言った。

「いいよ。だって、よっちに謝らなきゃ。お母さんにも会いたい」

 お兄さんは「そうですか」と言うと、立ち上がって私にお辞儀をした。私も先生にするみたいに頭を下げた。こっちです、と連れて行かれたところには大きなドアがあって、少しだけ開いていた。

 ドアに手を掛けたら、指の傷がぴりっと痛んだ。

「お元気で」お兄さんが会釈をした。

 私はなんだかすっきりした気分で「さよなら」と言った。


 ドアの向こうに行ったら、ぽたっと指から血が落ちた。血がたらりと図工室の床にまるを作った。絵の具みたいに真っ赤。

「大丈夫?」よっちが真っ青になって言った。――でも、私は呆然として答えられなかった。周りのみんなが騒ぎ始めたのも遠くに感じた。

「さおりん、しっかりして!」

 よっちが私の手を握った。

 うん、ごめん。

 何であやまるの!

 よっちの顔が赤くなった。怒ってるみたいに。

「さおりん何にも悪くないでしょ。早く保健室行かなきゃ!」

「うん。……うん、よっちごめんね」

 嬉しかった。よっちの手が温かくって、戻ってきて良かったと思った。



     ◆ ◆



「閻魔さま、さっきの子『戻した』の?」

 小鬼が報告書用の綴り紐を持ってきて言った。それを受け取って、穴に通す。

「意志が強かったので。『アンラッキーななで、ラッキーが起こる』可能性に賭けました」

「なにそれ」

 そうは言うものの、小鬼も深く尋ねようとはしない。もう彼女は戻ったからだ、元の世界に。

「……どこに文句を言えばいいのでしょうね。コウノトリ課、いや子育てヒト支援課? 違うむしろ罪務課かな、調書を証拠にさっさと生を差し押さえさせりゃいいのに」

「しょうがないよ、キリがないし。読むの千年後くらいじゃない?」

「うんざりですね」

 再任用なんて受けなければ良かったと思っても、後悔は先に立たない。

「なんでかな。みんな、戻っちゃうもんね。来世に行けばいいのに」

 子どもはそういうものなのだ。報告書を小鬼に渡し、面談室に向かう。

「次は十歳だって」

「……あぁ一万人くらい罪人裁きたい」



 了

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