Doubt
いいの すけこ
失われた7
「7」
隣に座る男の宣言に、私は息を呑む。
男の背後にぼんやり浮かぶのは、小さなバーカウンター。
カウンターテーブルの向こうに人はなく、客かも店員かも定かでない男達が、フロアのテーブルを囲んでいた。侘しい照明に鈍く輝くカウンターには荷物が積み上がって、とてもアルコールを提供できる状態ではない。そもそも、酒場として営業してるかも定かではなかった。
フロアで輪になっている中に、目的の人物を見つけたは良いが。
「どうした、お嬢ちゃんの番だ」
ただ話を聞き出すためだけに、私はトランプに興じる羽目に陥っている。
「つまるには早過ぎないか?」
ゲーム開始、一分も経過していない。駆け引きは必要でも、ルールは単純。このゲームは、パスが許されていない。躊躇いなくカードを切らないと、余計な疑いもかけられる。
「7、と言いましたか」
用があるのは隣に座る男だけ。私が会話を出来ているのも彼だけだ。
「こいつって、ほんと意地悪う」
「なんでもいいから、静かに飲ませてくれないかな」
一緒に座を囲むあとの二人、一人は面白いものを見る目つきでこちらを眺めていて。もう一人は反対に、呆れたような表情をして成り行きに任せている。
「言った。7だ」
ああ、ただ話を聞くだけ、なんて簡単なものじゃなかった。わかっていたはず。
トランプで私が勝ったら、追い返さず話をしてもらう。
複数人の男に小娘一人、カードゲームを囲むだけで済むなら平和なものだと思っていたけれど。
「7なんて出せるわけ……」
「おっと。そう思うんだったら言い方があるだろ」
口を噤む。ゲームではルールに反した行動をとると、ペナルティを食らいかねない。
「ダウトのルール、知らないのか」
私がプレイさせられているのは、トランプの中でも遊びやすく、親しまれてきたダウトというゲームだ。
プレイヤー全員に手札を配り、柄を伏せて一人ずつ場にカードを出していく。出し方には決まりがあって、Aから順に1、2、3……と
口にしたコールと、場に出したカードの数字は、必ずしも一致していなくてもいい。
ちょうど順番にぴったりの数字カードを手にしているとは限らないし。
あえて嘘をついてやってもいい。
他のプレイヤーは、場に出されたカードがコールと異なる――
ダウト。
そうコールをかけて、出されたカードの真偽を確認するのだ。
ダウトを見破られた、すなわちコールと異なった数字のカードを出していた場合。そのプレイヤーはペナルティとして、場に捨てられたカードをすべて手札にしなくてはならない。逆に、コールとカードの数字が間違いなく一致していた場合。その時はダウトのコールに失敗したプレイヤーが、場のカードを引き取らなければならない。
一番初めに手札が無くなったものが勝利。
私が一番に抜ければ、話を聞いてくれるという条件だ。
「もう一度言う。7」
テーブルの中央に伏せたカードを、男が指先で叩く。
ゲームを開始して一巡目、止まることなく数字のコール。1、2、3、4、5、6……男は間違いなく7を宣言した。
ありえない。
7のカードは、存在しない。
彼がカードを箱から出して、シャッフルするのを見ていた。
カジノみたいに、新品のカードの封を切ることはしなかった。しょっちゅう遊んでいるのか、カードは傷んでいる。それでも物自体は、古くはなさそうだ。
「間違いなく、7、なんですね? 言い間違えでも、プレイミスとみなしますよ」
「どうぞ」
ここ7年程の間に生産されたトランプなら、7の札は封入されていないはず。
だけどこんな場で、こんな素性のはっきりとしない相手から仕掛けられた勝負に、常識が通じるだろうか。
逡巡する。カードの赤い幾何学模様に、目を回しそうだった。
まだ場に出ているカードの枚数は少ない。今なら読み違えても、傷は浅い。
「……ダウト」
私のコールに、男がにやりと笑った。
長い指が、伏せられていたカードをひっくり返す。
「7だ」
白い表面、中央には何のマークも描かれていないが、四隅には剣を表すスペードがひとつずつ。マークに添えられたのは算数字ではなく、Aや
Lを潰して、ペンで7と書き込まれていた。
「イカサマじゃない!」
思わずテーブルを叩いた。机上のカードと、グラスが震えた。
「ここでは前時代に則って、7のカードを使うルールなの。古いトランプがなくて、書き換えただけだ」
「ひどい」
あんまりだ、こんなの。
腹の底から沸き上がる怒り。それは卑怯な手口を使われたからじゃなくて。
「あの7月に、どれだけの人が死んだかわかっててやってるんですか!」
据わった目で私を一瞥してから、男はグラスに酒をついだ。
「知ってる。『失われた7月』を知らない奴がこの国にいるか」
小さな携行缶から酒を注ぐ様は異様で、ガソリンでも飲んでいるんじゃないのかと思う。ろくでもないルートじゃなきゃ、飲用アルコールも入手困難なのはわかるけど。
「こんなの認められません。コールに失敗したのは、私ではなくあなたです」
「7と言ったら7だ」
「認めません。7なんて、存在しないんです!」
失われた7月。
そう呼ばれる出来事がいったいどういうものなのか、完全に説明できる者はいない。
7年前の7月。
敵対国の大規模攻撃だったと言う者もいれば、大災害が襲ったのだと言う者もいた。国家事業であった、エネルギー炉の施設が暴走したのだと言う者も。隕石だの、神の
誰にも、少なくとも大半の国民には、事情など一切分からない。
ただ7月の終わり、首都を得体の知れない衝撃が襲って。地に大穴を開けると共に、周辺にいた人々の命と生活が失われた。
「あの日に、多くのものがなくなって」
首都に集中していた政は正常に執り行われず、国民の混乱は避けらなかった。また小国ゆえ、経済はずたずたになり、国際社会にも見放され。
国はもはや、沈み掛けの船だった。
「7も忌み数として排除されたんだったな」
もともと土着の迷信で、7は縁起が悪いとされていた。
その上で『失われた7月』が決定打となり、7という数字は狩られていったのだ。
鍵番号、部屋番号、ナンバープレート、シリアルナンバー……トランプのようなおもちゃからも。
カレンダーからは、7月がまるごと消えた。
代わりに、7を逆さにしたような記号を使うようになった。微妙に形は違うが、通称はLだ。
「お嬢ちゃんの負けだ。さあ、帰った帰った」
立ち上がりながら男は手札を捨てて、場のカードと一緒に混ぜっ返した。私も思わず立ち上がって、男に食ってかかる。
「まだ勝負はついてません!」
最初に手札を出し切った者が勝ち。そのたった一人が決まるまで、敗者もいないゲームのはずだ。
「札を読み違えた人間から敗退だ」
「聞いてません、そんなの。それじゃこのゲームは成立しません」
私を無視して去ろうとする背中。
「女の子に冷たいんだー」
「この人は女に結構甘いよ。お前はチョロいけど」
テーブルに残った二人は、律儀にカードを整えている。
一山にまとめられて行く札の中に、あの偽られた7のカードがあった。
腹の熱は、収まっていない。
「カードを7に書き換えたこと、謝って!」
男にはうんざりしたように振り返る。
「私の両親は、7年前の7月に亡くなりました。両親だけじゃなくて、他にも、たくさんの人が。あんなの、不謹慎です」
目頭が熱い。トランプを手にしていたら、きっと握りつぶしていた。
「なかったことにするほうが、俺は気に入らんがね」
吐き捨てるように言われる。
アルコールに淀んだ目がそれでも一瞬、鋭く光った、気がして。
確かにこの哀しみを、なかったことになんかできない。
「……私は運良く、生き延びて。身元を引き受けてくれる方もいました。本当の父親のように、育ててくれて。だけどその人も、先日事故で亡くなって」
『失われた7月』について、調査していました。
そう、漏らせば。
「消されたか」
大して考える素振りさえ見せず、男は言った。
「変な使命感なんかに、駆られるもんじゃないってことだ」
「だからジャーナリスト業から、足を洗ったんですか」
そう突きつければ、男は心底嫌そうな顔をした。
「あなたは以前、熱心に『失われた7月』の真相を追っていたと聞きました。それで私、お話を聞きたくて来たんです」
「死にたいのか、お嬢ちゃん」
死にたいなんて思わないけど。引き下がりたくもない。
生きてはやるけれど。
「命は賭けられると思います」
「……トランプになんざ、命を賭けるもんじゃないぞ」
振り返った男は、私の真横を素通りする。二人が酒盛りを再開しようとしたテーブルに、再び着いた。
「もう一度、賭けさせて下さい」
私も彼が舞い戻ったテーブルにかけ直す。
「カードは7ということで構いません」
あの不幸の7を、無かったことになんてできないのだから。
男は大きく息を吐くと、カードを収め直した箱を開けた。
「……ルールは通常通り。今度は、まあ、公正にやってやる。だからこれ一回きりだ」
私は頷いた。
7を交ぜた52枚のカードが、彼の手の中で切られていく。
Doubt いいの すけこ @sukeko
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