KAC20236 消えたホームランボール

星都ハナス

⚾️⚾️⚾️

 終盤七回の表。侍ナインの攻撃が始まる。


 点差は六点。このままいけば勝ちが決まっている。俺は安堵しながらグラスに口をつけた。家で一人飲みしながら野球観戦もいいのだが、せっかくの休み前だ。恋人の花音カノンと一緒に見ることにした。


「どう、勝ってる?」

「勝ってるよ。君もこっちにおいでよ。今、いいところだ」


 野球にはあまり興味がないとシャワーを浴びにいった花音。勝っているか負けているかだけ知りたいらしい。濡れた髪をタオルで拭きながら俺の横に座った。鼻腔をくすぐるいい香りだ。このままソファーに押し倒したい衝動に駆られる。


「きっと今夜も勝つわ。ねえ、貴方も早くシャワーを浴びてきたら」

「そうだね。今いいところなんだ。ツーアウト満塁でスーパースターが登場したからね」


 ショータイムの始まりだ。今夜も彼はホームランを打つだろう。俺は彼の打席を見届けてからシャワーを浴び、二人だけの時間を過ごそうと思った。


───カッキーン! 


 思っていた通り、バットの芯で捉えた打球が弧を描いて───スタンドに入り、ホームランとなる───はず───だ。はずだった。


 画面の向こうのボールが消えた。俺は目を擦る。疲れているのだろうか? いやそんなことはなかった。野球解説者もボールが消えたと叫んでいる。ボールを追っていたカメラがぶれている。ボールを見失い動揺しているんだろう。


 打ったスーパースターは口を開けたまま呆然とし、選手も監督たちも慌ててベンチから出てきた。打たれたピッチャーはどうしたことだと大げさにジェスチャーし、観客たちも騒々しくなってきた。


 何が起きたのか、俺にも分からなかった。画面を食い入るように見つめる俺の耳元で花音が突然、話し始めた。


「あのさ、ラッキーセブンの言葉の由来って知ってる? 1885年9月30日のことなんだけどさ、ホワイトストッキングスの選手がね、平凡なフライを打ち上げたわけ。この平凡フライが風に運ばれてホームランになったんだけどさ、この七回のホームランのおかげでホワイトストッキングスは優勝出来たのよ」


「聞いたことはあるけど。てか、今のこの状況となんか関係あるのかよ」


「大アリよ。その時の勝ち投手がね、この出来事を「ラッキーセブンス」って言ったのが始まりなんだもの」


 それは攻撃側からの視点だよな。七回になると投手は投球数が重なって疲れが出てくる。一方打者は投球に慣れてくるから得点が入りやすい。


「なんかさ、ラッキーセブン伝説が崩れてきたと思うんだよ。ズルくない?」


 野球にあまり関心のない花音がやけに熱く語り出し、俺はズルいという根拠を聞いてみた。


「昔はさ、一人のピッチャーに球数制限ってなかったじゃん。この大会ってさ、

1次ラウンドは65球、準々決勝は80球、準決勝と決勝は95球なんだよ。僕らの時代はそんなルールなかったからさ、肩の故障で休む選手もいたわけ」


「野球に興味がないって言いながら詳しいんだね。そりゃスーパースターに何かあったら困るからね。彼は大事な金の成る木、ああ、ちょっと言葉が悪いな。子どもたちに夢を与えるし、疲れた日本を元気にするし、経済効果も凄いからね」


 彼の名前ルールができるほど、彼はスーパースターなのだ。試合中に相手選手からユニフォームを欲しいって言われるほどのスーパースターなのだ。


 俺はそんな彼を金の成る木なんて思わない。野球界の救世主だと思う。


「僕、嫉妬してるのかな。ラッキーセブンをに変えたくなったんだよ。今から七回裏の攻撃なんだけどさ、平凡フライを全部ホームランにしてくるね。ここで逆転させてくるよ」


 僕? 俺は花音のいつもと違う話し方にも違和感があった。


「花音、大丈夫か?───お、お前は誰だ?」


「僕はラッキーセブンの名付け親、ジョン・クラーソン。野球のルールが商業主義に偏ってる気がして納得いかないんだよね。だからスーパースターのホームランボールを持ってきてしまいました。ハハ」


「ハハじゃねえ。早く花音から出てくれよ。それに新しいルールはあくまでも選手のことを考えて出来たものだ。決して商業主義の犠牲になんてなってない」


 俺は初めて霊者と話した恐怖で震えた。と同時に野球を愛する者の一人として熱く言い返した。


「はい、分かりました。じゃ、帰ります。このボールはいらないんだね。スーパースターの幻のホームランボールいらないんだね? 最高値がつくかもよ」


───それは置いていけ。この先の人生がアンラッキーになろうが知ったことではない。



 

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