七つの幸福

管野月子

古いコイン

 細く長く続く通路の端に、きらり、と光るものが目に入った。


 持っていた何冊かの本を左手に持ち替えて拾い上げる。古いコインだ。元は金色だったのだろうけれど、擦り減り汚れてくすんだ芥子色からしいろになっている。

 面白いな。

 どちらが表なのだろう。大抵は絵柄のある方だろうか。片面には文字が刻まれ、もう片面には人のような何かの動物のような……もしくはそのどちらとも言える不思議な像が彫られていた。どちらも判別が難しいほどに潰れかかっている。

 まだこの世界に大地があった時代の物かもしれない。だとしたら、そうとう古い。


「いや、まさかね」


 あはは、と自分の思いつきに笑ってごまかした。

 かつて世界には百の飛空艇を集めたよりも大きな「大地」があったという。その大地が消え――一説には闇の底に落ちていったとも伝えられているそこから、人々は当時の技術の粋を集めた船で空に逃れたといわれている。

 今、世界は果てしない空ばかりが続いている。


 僕が乗るこの飛空艇エキンは、空飛ぶ本屋だ。

 通路の両側に天井近くまで続く棚が並び、ぎっしりと本が詰まっている。それを整理整頓するのが副船長の僕の仕事。船長のアスランは小さな虎猫で、船員は僕一人だからね。

 まぁ……自動で空を航行する船に居て、僕が他にすることは無いのだけれど。

 そんなこともあって、先日遭遇した船から多くのお客さんが来てくれた。これだけの本を積んだ船は珍しかったのか、何冊もの本を引き取っていったんだ。今はその片づけをしていたところ。


 落ちていたコインはお客さんの落し物だろうか。

 いや、アスランがおもちゃにして転がしている内に、飽きてほったらかしにしたということも考えられる。むしろその可能性の方が高い。


「まぁ、いいか」


 呟いて僕はコインをポケットにしまう。

 いつか先日の船にまた遭遇することがあれば、持ち主を探してみしてもいい。もしかすると引き取った本の代わりとして、アスランが受け取っていた物かもしれない。

 そう思い足を進めた僕の後ろで、どさどさどさっ! と本が崩れた。

 びっくりして振り向く。床には分厚い本が数冊、通路に落ちていた。

 時々、この船では本が自動生成される。仕組みもタイミングも分からないその現象で生まれた本は、元々あった本を棚から押し出し落としてしまう。

 僕はため息をついて落ちた本を拾い上げた。


 落とされた本は革張りでページ数もある重たい物だ。しかも棚の高い場所から落ちたらしい。少し角が凹んでいる。歩き出すのが一歩遅ければ、僕の頭に当たって怪我をしていたかもしれない。


「ラッキーだったな」


 怪我をせずに済んだのは幸いだったが、押し出しで、落ちた本が痛むのが不満だ。いつの日か船を訪れたお客さんがこの本を求めた時、できるだけ綺麗な状態で渡したいじゃないか。

 やれやれ、ともう一度呟いてから隙間を整理して、落ちた本を棚に戻す。今度は低い位置にしまった。これなら船が揺れて棚から落ちても、誰も怪我しないだろう。


 ということがあってから、居住区に戻るまでの間に思いがけないことが続いた。


 いつの間にか棚の配置が変わっていて、迷子になった。おかげで面白そうな本を見つけたのはラッキーだ。更に破損していた床につまずいて転びそうになった。咄嗟にバランスを取って転ばずにすんだけれどね。


「危ないなぁ……お客さんが足を取られたら大変だ。誰かが怪我する前に、今気づいてよかったぁ……」


 飛空艇エキンはそうとう古い船だと思うが、ある程度の修繕は自動で行われる。まるで映像を逆回転にするようなあの現象はいつ見ても不思議だ。そしてその辺りの見回りと機関部への指示はアスランの仕事だったりする。

 彼がそういう所を見逃すのは珍しいけれど、誰だって完璧なわけじゃない。

 場所をメモして僕は居住区に向かった。


 今日もベッドでのんびりしていたアスランに通路の床の報告をして、僕は食事の準備を始める。アスランはその間に例の通路の様子を確認に行った。

 晩ご飯は何にしようかなぁ。

 そうだ、豆の缶詰が残っていたはずだ。ニンジンと玉ねぎで煮てもいいしスープにしてもいい。肉が少ないとまたアスランに愚痴られるだろうか。

 野菜を炒めつつ缶を開けていく。そのタイミングで不意にくしゃみが出た。


「あっ!」


 つるりと滑った缶が床に転がる。中身が散らばっていく。僕はいったん火を止めてから、床に散らばった豆を呆然と見下ろした。

 この缶はついこの間、渡した本と交換したものだ。基本、売買は物々交換で行われる。ちょっと珍しい豆の缶詰だったから楽しみにしていたのにな。貴重な食糧だし、洗ったらどうにかならないかな……と思っていたところにアスランが帰って来た。


「何だ、ドジやらかしていたのか?」

「くしゃみが出て手が滑ったんだよ」

「ったく、しょーがない奴だなぁ……」


 笑うアスランが缶を覗き込む。あきらめきれないでいる僕に、突然「おい」と声をかけられた。


「タネル、こいつずいぶん前に賞味期限が切れているぜ」

「えっ!?」


 改めて空になった缶を手に取り、掠れた文字を確認する。

 たしかに……その日付はずいぶん昔の物だ。賞味なら多少過ぎていても大丈夫だろう思うが、さすがに年単位で古ければ食べない方がいい。


「不良品を掴まされるとは……俺としたことが油断してたな」

「気づかなかった僕らも悪いよ」

「落とさなかったら危ない所だった」

「だね、逆にラッキーだったかな。しょうがない、これは処分しよう」


 そう呟いて缶に集め直す、とその様子を見ていたアスランが「そうだ!」と言って、備品庫の方に走って行った。咥えて来たのは、堆肥生成キット。枯葉や生ごみなどに発酵を促進させる促進剤や用土もついたものだ。

 これも物々交換でもらったものだが、この船で利用する機会はないかと思ってしまい込んでいた。


「せっかくだ、こいつを試してみようぜ」

「匂いとか……大丈夫かな?」

「匂い消しには茶殻やもみ殻を使えばいい。客が来ない区画……風通しのいい倉庫の奥なら、気にならないだろう。俺、こいつを生やしてみたいんだ」


 そう言って持って来たのは燕麦えんばくの種とある。

 この若葉って、たしか別名を猫草とか言わなかったっけ?


「いいよ。試してみよう」

「やったぁー!」

「となれば、この空き缶も鉢代わりになるね」

「オシャレじゃないか」


 にひひ、とアスランが笑う。

 豆は残念だったけれど、逆に面白いことになった。一通り片づけて食事の準備を再開してから、僕らは新たな計画に花を咲かせた。


 その後も、幾つか思わぬトラブルに見舞われた。うっかり色柄物と一緒に洗った白シャツに色染みがついてしまったり、何故か突然ヒーターが動かなくなるなど普段滅多に起きないようなことばかりだ。

 けれどシャツは染みのおかげで逆にカッコよくなったし、ヒーターが直るまでずっとアスランが襟巻きがわりに肩に乗っていたから温かかった。一緒の布団で丸くなるなんて、小さな子供の頃以来で懐かしかったしね。


     ◆


 とある懐かしい船が飛空艇エキンと遭遇したのは、そんな出来事が続いた晴れた日の午後だった。


 希少な鉱石を始めとした、宝飾品を集める船の船長デミルさんは、さっそく僕らの船にある書物を山のように選んでいった。古今東西、お宝に関する研究書や歴史に関するものまで、とても勉強熱心な人なんだ。

 短く刈り取った髪には白いものが交じり始めた、お爺ちゃんと言っていい年代の人だけれど、がっしりとした体格といいすごく元気だ。お茶菓子を前に談笑をしていると、「そう言えば」といつものように切り出して来た。


「本と交換して手に入れた、珍しい宝石や宝飾品も無いですかね」

「ああ、あるぜ。デミルのおっちゃんが来たら見てもらおうと、取って置いてあったんだ」


 アスランの言葉に、僕は箱に入れて置いた物を持ってくる。

 デミルさんのお目に叶う物があれば、これらの宝石たちも船の動力源となる石や明かり用のオイルなど、貴重なものと交換してくれるのだからありがたい。

 デミルさんは筒状の古いルーペを取り出してひとつひとつ吟味していく。

 その様子を見て、僕はふと、先日拾ったコインを思い出した。


「デミルさん、宝石ではないのですがこんな物もあります」

「どれどれ?」


 受け取り、まじまじと眺める。


「アスランが受け取った物かな? 船の通路に落ちていたんだ」

「んん? 俺は記憶にないなぁ」

「そうか……だったら誰かの落とし物かなぁ。取っておいた方がいい?」

「いや、だとしても返せる当てが無い。大事な物ならとっくに何らかの連絡があるだろから、貰っちまって良いだろう」


 アスランと話をしている間、古ぼけたコインを吟味していたデミルさんが顔を引きつらせて僕を見た。


「こいつは……古い言い伝えにある、呪われたコインですぞ」

「呪われた、コイン!?」

「持ち主は七つの災厄に見舞われるという。もしかすると前の持ち主は、この船に捨てていったのかもしれないですな。タネルくん、これを持っていて何か恐ろしい出来事は無かったかね」

「え……いや、特に……何も……」


 僕はアスランと顔を見合わせる。


「こいつがドジをやらかすのは、いつものことだしなぁ」

「それ、人のこと言える?」


 確かに最近、ちょっと珍しい出来事や失敗はあったけれど、災厄、というほどじゃない。むしろ結果的に面白いことになったり、大きな事故を未然に防ぐ結果になっているのだから、幸運ラッキーだったといえる。


「そうでしたか……いやはや、呪われたコインを上回る幸運の持ち主だった、ということかねぇ。よければこいつは私が引き取りたい」

「ヤバいコインなんかを持って行って、おっちゃんは大丈夫なのか?」

「ははは、私は本職ですよ。呪いを封じ込める品もある。それにこういう物を欲しがる好事家こうずかもいますからねぇ」


 笑うデミルさんに僕は快く譲ることにした。

 アスランが、へにょりと耳と尻尾を垂らして呟く。


「……幸運の持ち主、というより不運アンラッキーが通用しない思考の持ち主だった、ってヤツかな」


 今日も飛空艇エキンは平和だ。







© 2023 Tsukiko Kanno.

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