溺れる心【KAC20236 お題「アンラッキー7」】

蓮乗十互

溺れる心

 矢口治は玄関から外の気配を窺った。隣家に帰省中の幼児の嬌声。そっと覗くと、生け垣越しに幼児と遊ぶ俊の姿が見えた。先ほど諍いをした俊とは顔を合わせたくない。身をかがめ敷地から出て湖畔へと歩き出す。


 嫌な時代だ。自分の頭で考えられない連中が多すぎる。俺は違う。松映まつばえに居ながら、ネットを通じて世界の真実に辿り着いた。人々を支配し不幸に陥れるの企みの数は七つ。ラッキーセブンの逆と気付いた時には、おぞましさにぞっとした。真実を識る俺が戦わねば。


 青空の下に澄鶴すんず湖が広がっていた。子供の頃に水に入り、溺れかけたこともある。


 熱に浮かされたような頭を巡らせ、七つを数え上げようとした。


 正しい歴史は隠されている。水道水は支配水。地球温暖化は嘘。5Gは脳を冒す。政治家と公務員はワクチンを打ってない。前の大統領はヒーロー。あとひとつは何だったかな。


 湖上の小さな島に建物の影がゆらめく。古書肆こしょし泥蓮洞でいれんどうの看板だけが不思議と鮮明だ。その前で西洋人が片目でこちらを観ている。明治期にこの街にいた文豪。あの作家の名はなんといったか……雲。ケムトレイル。七つ目の不幸アンラッキー


 ごぼり。七月、あの暑い日の記憶。水中で呼吸を奪われる恐怖と苦痛。


 遠景で作家の唇が動き、囁き声は耳元で響いた。


「惑うな。本当に護りたいものを思い出せ」


 ──そうだ。俺は、大切な家族を、陰謀のもたらす恐怖と苦痛から護りたかったんだ。だから俺の気持ちを理解せず頭から否定する俊に苛立ち、詰られて心が破れそうになったんだ。


 あの日、湖水から父が助け上げてくれた。俺も俊のヒーローになりたかった。喧嘩する必要はなかった。


 踵を返して家に戻る。玄関の前にいた俊が、ほっと表情を緩めた。


「……おかえり」


 治は、大きく深呼吸をして、応えた。


「もう一度、話をしよう。今度は穏やかに」


 頷く俊の笑顔に幼い日の面影を見て、治の呼吸は少し、楽になった。

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