ナイスバルク! 〜筋肉に愛された少女と筋肉を愛する冒険者の物語〜

縁代まと

ナイスバルク! 〜筋肉に愛された少女と筋肉を愛する冒険者の物語〜

 筋骨隆々な体は母親から受け継いだものだった。


 シュラも筋肉に愛される才能を持ち、十七歳になる頃には村のどの男たちよりも猛き美しい筋肉を身に纏い、特に腹筋はそれはもう綺麗な形で八つに割れていた。

 母親やその親族は六つだったことを考えると、痩せておりよく見えないが父親が八つに割れる遺伝子を持っていたのだろう。


 一つ困ったところを挙げるとすれば、シュラが住む世界は筋骨隆々な女性を美しいものとせず、加えて魔法の発達した世界であることだった。


 このような世界でシュラが歓迎されるはずもなく、村人たちからは壁を作られ彼女は誰にも心を開けないでいた。

 いくら筋肉があろうとも、この壁は力づくで壊せるものではない。

 むしろ腕力に任せれば更に堅牢なものとなってしまうだろう。


 寂しい少女期を過ごしたシュラはある夢を胸に秘めていた。


(……村を出て冒険者になりたい)


 冒険者とは各地に出現するモンスターを倒し、その報酬で生活を営む人間のことである。

 一昔前まではならず者扱いされていたが、国王が代替わりし冒険者を正式な職として採用、階級を設け依頼を一旦国営施設を通すことで管理し始めてからは国民たちに頼りにされていた。

 ただし、冒険者の大半は魔法に適性のある者だ。

 自前の肉体ではモンスターに太刀打ちできないのである。


「私の筋肉でなら戦えるかも、って思うのは驕りかなぁ……」


 素手で野犬やイノシシを追い払ったことはあるが、モンスターはまだ遭遇したことがなかった。

 稀に村に現れることもあるが、シュラが目にする頃には村の自警団により討伐された後であり、大抵は解体が始まっている。

 そのためモンスターの全貌すら把握できないことばかりだった。


「……」


 だが魔法を学ぼうにも師匠になってくれる人がいない。

 胸の奥で夢を燻ぶらせたまま、シュラは薪を四百本割って五キロ先の川から水汲みを十往復し、劣化した屋根の修繕を終え罠にかかった熊にとどめを刺して担いで持ち帰ると、解体してから気分転換にと裏手の森へ向かった。


     ***


 裏手の森は街道から近く、薬草や木の実の採取に訪れる人間も多い場所だった。

 しかし狼の群れが住み着き、被害が出たため先日駆逐されたところだ。

 その影響かシュラが訪れた時には誰もいなかった。


「ベリーを採っていってタルトにでもしようかな」


 父親の好物である。

 喜ぶ顔を想像しながらベリーを摘んでいると、背後から異様な気配がした。


 音もなく現れたのは――野うさぎを熊のように大きくしたモンスターだった。

 赤い目の中にいくつもの瞳孔が重なり、まるで年輪のようになっている様子を見たシュラは本能的にその場から飛び退く。

 すると一瞬前まで立っていた場所にモンスターが蹴りを繰り出し、足の触れた木が轟音と共に倒れた。


 モンスターはシュラを見据えると威力を自慢するように鼻息を吐く。


(怖いけど――これを倒せたなら、私の筋肉がモンスターに通用すると証明できるのでは……!?)


 本当なら自慢の足で村まで走り、自警団に知らせるのが最良だろう。

 しかしシュラは試してみたくなった。

 己の力を、夢に手が届くかどうかを。


「よし、相手してもらいますよ!」


 シュラは倒れた木をむんずっと掴むと槍のように振り回し、地を蹴ってモンスターへと向かっていった。ぎょっとしたモンスターはたたらを踏んだものの、一撃目を間一髪で避けて唸り声を上げる。

 しかしその腹に木の幹が凄まじく重い音をさせて食い込んだ。

 シュラが尋常ではないスピードで木を持ち直し突き出したのである。


「やああぁ――ッ!!」


 体勢を崩したモンスターが後ろへ引っ繰り返り、間髪入れずに馬乗りになったシュラは万力を込めて拳を叩きつけた。

 存外可愛らしい断末魔と共にモンスターが地面にめり込み、しばらくビクビクと痙攣した後に突然動かなくなる。


 呼吸を整えたシュラは拳を撫でながら立ち上がり――なんの前触れもなく木陰から現れた青年にぎょっとした。

 赤い髪で右目を隠しているのが特徴的な青年だ。

 隠れていない片側の目は深緑色をしていた。シュラも緑色の目をしているため親近感を感じたが、それよりも問題なことがある。


(この人に見覚えがない。ってことは村人じゃなくて旅人だ。そんな人に見られるなんて……)


 勝利の余韻もどこへやら、差別的な視線を想像したシュラは一歩後退した。

 全速力で逃げようか。

 しかしそれは怪しさを上塗りするだけかもしれない。

 そう逡巡していると、青年はきらきらと片目を輝かせて言った。


「う、美しい……! そして見事な一撃だった。なにかあれば助けに入ろうと身構えてたけれど僕の驕りだったね!」

「美しい?」


 予想外の誉め言葉だ。

 もしや上げて落とすタイプの悪口で、これからとんでもない一言が待ち受けているのではないかとシュラは身構える。

 しかし青年はにこやかに近づくと片手を差し出した。


「僕の名前はアキツ! この辺一帯のマナとの相性が良くてね、修行させてもらいに来たんだ」

「シ、シュラです。……魔法を使えるんですか?」

「ああ、こう見えて一応冒険者だから」


 頷いたアキツに今度はシュラが目を輝かせる。

 つまり先ほどの戦闘を冒険者から認められたということではないだろうか?

 それなら今後トントン拍子で冒険者デビュー出来るかも――と、そう夢想しかけたところで村の方から異様な音が響いてきた。


 目を丸くしたシュラの隣をアキツが駆けていく。


「……! 他にもモンスターがいたのかもしれない。行くよ!」

「えっ……」


 一部のモンスターは群れを作るため、一体だけとは限らない。

 冷や汗を流したシュラは自分の上腕二頭筋をぎゅっと押さえ、足をもつれさせながらアキツの後を追った。


     ***


 村は酷い有り様だった。

 先ほどと同じうさぎ型モンスターのストンプや蹴りで家が破壊され、炊事場も狙われたのかそこかしこで火の手が上がっている。

 その火を魔法で一ヵ所に集め、逆に利用する形でモンスターたちにぶつけたのがアキツだった。


 アキツは無駄のない動きでモンスターを次々と倒し、焼き尽くしていく。


 ものの三十分ほどでまともに動けるモンスターはいなくなっていた。

 村の住民たちはアキツに感謝し、アキツは謙遜しながら村の復興を手伝う。

 ――そんな様子を眺めながらシュラは酷く落ち込んでいた。


(村の被害が大きかったのは初動が遅れたからだった。やっぱりあそこで立ち向かわずに村へ知らせに走っていれば……)


 ここまでの被害にならなかったかもしれないのに、と復興用の丸太を両肩に担いで歩きながらシュラは視線を落とす。村の襲撃から三日経とうとしていたが、未だに心の中に後悔が降り積もっていた。


 冒険者に必要なのは力だけではない。

 判断力や相応の心構えが必要だ。

 それを痛感し、己の未熟さに羞恥心を覚える。


「……あれ? シュラじゃないか。今日も素敵な筋肉だね!」

「あっ……」


 そんなシュラの前に現れたのは薪用の材木を背負ったアキツだった。

 彼は復興の手伝いをしながらここで修行する許可を取りつけ、現在も村に滞在しているのだ。

 コミュニケーション能力の高さと交渉力の高さもなかなかのものである。


(この人みたいになりたいな……)


 シュラはじっとアキツを見つめるとゆっくりと首を横に振った。


「いくら筋肉があっても私には足りないものばかりでした」

「そんなことは――」

「アキツさん、私に魔法を教えてくれませんか!」


 腹筋に力を込め、お願い、この気持ちが相手に伝わってと祈りながら伝える。

 アキツは目を丸くして何度か瞬かせた。

 断られる想像をしたシュラは慌てて言い重ねる。


「修行の邪魔をしてすみません、けれど基礎だけでもいいのでなんとか……!」

「いいよ」

「もし対価が必要なら毎日新鮮な肉を……っえ?」

「いいよ、それに僕の修行には一緒に誰かいた方が良いしね!」


 アキツはにっこりと微笑む。


「ただしそれなりにスパルタだから、そこは頑張っておくれよ?」

「……っ! もちろんです、ありがとうございます!」


 シュラは感謝を込めてアキツと握手をしようとしたが、両手が塞がっていることを思い出して代わりに深々と礼をした。

 つまり前のめりになる。

 担がれた丸太がズウゥンッと音を立ててアキツの両左右の地面に突き刺さった。

 あわや大惨事だ。慌てたシュラは「わあ! すみませんすみません!」と無意識に何度も頭を下げ、その回数だけ地面が抉れ飛んだ。


 アキツは両手を組んで感動の声を漏らす。


「やっぱり君の筋肉は最高だね……! ナイスバルク!」


     ***


 シュラがアキツに弟子入りして二ヶ月が経った。


 魔法の基礎中の基礎、体内の魔力を自在に移動させる訓練を続けていたが、シュラはどうにも上手くいかないでいる。

 そんな彼女にアキツは根気良く付き合っていた。


「すみません、どうしても勢いよく動かし過ぎちゃって……」

「湖の水に手を浸して掻き混ぜるようなイメージはできるかい?」

「あっ、はい。でも別のイメージが邪魔しちゃうんです」


 別のイメージ? とアキツは首を傾げる。

 シュラは恥ずかしそうにしながら小さな声で言った。


「む、昔、魚を捕ろうとして思い切り水を掻いたら、湖の水が割れてしまったことがありまして……」

「水を割った!? 魔法もなしに!? やっぱり君の筋肉は最高だね、じつに仕上がってるよ!」


 シュラは眉をハの字にしてアキツを見る。


「アキツさんは筋肉を褒めてくれますけど、どうしてそんなに良く見えるんです?」

「というと?」

「私、この筋肉は母からの贈り物だと思っています。金の髪もそう。でも今まで村の人に褒められたことなんてありません」


 むしろ怖がられたり不快感をあらわにされてばかりだった。

 モンスターの子供なんじゃないかと言われたこともある。

 そう伝えるとアキツは「モンスターだなんてとんでもない!」と憤った。


「僕の故郷では分厚く猛々しい筋肉はなによりも美しいとされていたんだ。美術品のような精巧さから繰り出される破壊力のある一撃は神の一撃とも呼ばれている。戦う君はまさに神の化身のようだった」

「そ、そんな、神の化身だなんて」

「大袈裟だと思うかい? 僕は本気も本気だよ、君は美しく素晴らしい女性だ」


 そう言いながらアキツは真剣な顔でシュラの両手を握った。

 説得力しかないのは瞳が真っ直ぐシュラを見上げているからだろうか。

 そんな目と目が合った瞬間、シュラは顔を真っ赤にして跳び上がった。思わず両手をバッと上げてアキツから離れて顔を覆う。


「そそそんなこと言われたの初めてです、でもちょっと恥ずかし――あれ?」


 目の前にアキツがいない。

 はっとして上を向くと遥か上空にアキツの姿があった。腕を振り上げた拍子に放り投げてしまったのだ。


「わァーッ!?」


 叫んだシュラは咄嗟に両腕を広げ、落ちてきたアキツをキャッチする。

 目を回していたアキツは謝るシュラに気がつくと青い顔のまま笑みを浮かべ――


「うん、やっぱり君の筋肉は最高だね!! ナイスバルク!」


 ――そう親指を立てた。


     ***


 弟子入りして三ヶ月後。

 村の復興もほぼ終わり、アキツはシュラに魔法を教えながら修行を続けていた。


 そんな彼へ「せめてものお礼です」と昼食を提供し、自分も鶏ささみサンドを齧り卵黄を飲んだシュラはハンカチで口元を拭った。

 なお、アキツへの昼食は普通のたまごサンドである。


「アキツさん、修行に遅れが出たりしてませんか?」

「あはは、心配性だなぁ。むしろ進んでるよ、……暴発も一度もしていないし」

「暴発?」


 きょとんとしたシュラはアキツの顔を見た。

 村での戦いぶりは見事なもので、魔法の暴発のぼの字も見受けられなかったが。

 そう疑問に思っているとアキツが情けなさそうに隠している側の目を押さえた。


「君は弟子なんだから伝えておこうかな。……昔、僕は魔法の暴発事故を起こしたんだ。そのせいで右目を失って、故郷の地形も変わってしまった」

「……!」

「だから未だに人の近くで魔法を使うのが怖いんだよ。村では村人が避難してたから良かったけれど、あれでもかなり気を遣って心を宥めながら戦ってた」


 アキツはたまごサンドを咀嚼し、一拍開けてから言う。


「シュラ、君の肉体ならもし僕が暴走しても傷つけなくて済むと思った。だから僕の修行には一緒に誰かいた方が良いって言ったんだ。……失望したかい?」

「そんな……失望なんて、そんなことしません!」


 シュラはぶんぶんと首を横に振った。

 それを見たアキツは目を瞬かせた後、心の中から湧き出た感情が沁み込むようにゆっくりと微笑む。


「ありがとう。――この片目は僕の欠点の象徴だ。けど、なんだかそれごと認めてもらえたようで嬉しいよ」

「それは私もです。私の筋肉がそうやって役立っていたと知って嬉しかった。……それにアキツさんはずっと私を認めてくれていました」


 シュラはぐっと両腕に力を込め、拳を握り込んで笑みを返す。


「魔法はまだまだですが……私、これからも頑張りますね!」

「はは! その意気だ!」


 そうやっていつものように掛け声を発そうとしたアキツは突然ハッとすると、勢いよくシュラの腕を握った。

 唐突な接触にボッと赤くなったシュラは目を白黒させたが、次いで耳に届いたアキツの言葉に戸惑う。


「シュラ、さっき腕に力を込めながら魔力を動かしたか?」

「えっ……あ、訓練の後だったんで無意識にやっちゃったかもです、けど」

「わかったぞ……!」


 君は、とアキツは輝く瞳を再びシュラに向けた。


「筋肉に魔力を溜め込む特異体質なんだ!」


     ***


 魔力は本来、血管を流れ全身を巡っているイメージに近い。

 しかしシュラは魔力が循環せず筋肉に蓄積される体質だった。

 魔力の筋肉貯金だね、とよくわからない説明をしながらアキツはシュラに筋肉の動きで魔力を制御するよう指示し、それ以降の訓練も一から専用のものに組み直す。


 その効果は凄まじく、見る見る内に才能を開花させたシュラは一つの魔法を会得していた。


「――僕の魔法は炎属性。人間には各人に属性があるわけだけれど、君はどれにも適性がなかった。ただ適性が無くても使える魔法は多い。……自己強化魔法は君にピッタリだったね、シュラ」


 晴天である。

 しかし今日は朝から薄曇りだった。

 シュラはその雲を弾き飛ばすほどの一撃を天に放ったのである。


「こんなに……凄い一撃が出るなんて……でもめちゃくちゃ疲れますね!」

「強化すればするだけ魔力を食うからね、僕みたいに既存の炎を使うとか節約ができる魔法ならよかったんだけれど……」


 いや、でも、とアキツは自身の言葉を否定した。


「元から最高の筋肉なんだ、普段はもっと出力を抑えれば疲労知らずで戦えるさ」

「そうですね、コントロールも出来るようになってきましたし……、……」


 ということは、アキツに魔法を教えてもらうこともなくなるのだろうか。

 ふとシュラの頭の中にそんな考えが浮かぶ。


 まだ未熟だが、今のシュラなら冒険者としてやっていくことは可能だろう。

 父にも本心を伝え、成長したら家を出ていいと許可をもらっている。

 ただ、一人前の冒険者として世に出た先でもアキツと一緒という保障はなかった。


(アキツさんは修行中の身。新米冒険者がついて行ったら邪魔したり足を引っ張るかも。今でも沢山時間を使わせてしまっているのに)


 もしアキツとパーティーを組むとしても、それは数年経って一人前になってからの方が良いのではないか。

 そうシュラが表情を曇らせた時だ。

 森の奥から奇妙な気配が圧となって押し寄せてきた。


「っ!? これは!?」

「シュラも感じたかい? モンスターがいるね……それもとびきりの奴だ」


 地響きがする。


 ややあって木々の間から顔を出したのは、熊の頭に猛牛のような角が生えた大型のモンスターだった。

 体は炎のように赤く、鋭い爪と牙が離れていても見て取れる。

 そして特筆すべきはその巨体である。身の丈五メートルはあるだろうか、住宅の一階よりも大きい。それを観察していたアキツは険しい目をして言った。


「あれは恐らくメスのモンスターだ。自分とマナの相性が良いこの土地に巣を作りたいみたいだね。増えられると厄介だな」

「こ、ここに!?」

「奇しくも僕と同じ目的だったわけだ」


 うさぎ型のモンスターもマナに惹かれて集まってきた可能性がある、とアキツは続けた。

 なんでも最近王都の方でモンスターの動きが活発化しているらしい。

 そのため、今までは稀にしかモンスターの出なかった土地でも被害が続出しているそうだ。


「あいつを村に近づけさせるな。やるぞシュラ!」

「……! はい!」


 同時に走り出した二人は熊のモンスターに接近し、アキツが炎を放つ。

 しかし激しい炎はモンスターの体毛を舐めるばかりで焦げた臭いが一向にしてこない。アキツは更に強い炎を発したが結果は同じだった。


「ここまで耐性が高い奴が生まれていたのか――ッぐ!」

「アキツさん!」


 モンスターの凄まじい一撃でアキツが吹き飛ばされる。

 同じマナと相性が良いということはモンスターも火属性持ちという可能性があった。しかしここまでの耐性の高さはアキツも予想外だったらしい。

 倒れた彼を助けに向かおうとしたシュラだったが、モンスターに隙を見せてはならないという教えを思い出して真正面から向かい合う。


「判断ミスは命取り……あの時もそうだった。もう同じ失敗はしません!」


 シュラは目を見開き、全身の筋肉に力を込めながら躍動に任せて魔力を巡らせる。

 そうして発動した強化魔法により、彼女の肉体を何者にも負けない鋼と化した。

 モンスターも負けず劣らずの勢いで咆哮を上げると、重々しい音を立ててシュラと両手で組み合う。


「力で! 私に! 勝てると思いますか!!」


 ずる、ずる、とモンスターが後退する。

 モンスターの爪が手の甲に食い込んだが、それと同じだけシュラの雄々しい指もモンスターの手に食い込んだ。

 激しい息遣いが響き、両者は拮抗した押し合いを続けていたが――ある時、モンスターの息遣いがぴたりと止む。


「っ……シュラ! 避けろ!」


 体を起こしたアキツの叫びが聞こえる。

 モンスターはがぱりと口を開いた。

 その喉の奥が脂でぬらぬらと光っている、と思った瞬間、せり上がってきた真っ赤な炎が脂で勢いを増しながらシュラ目掛けて吐き出される。


 アキツと同じマナを好むモンスター。

 それは炎に耐性があるだけでなく、モンスターも炎による攻撃を出来る可能性があるということだった。


 また判断を間違ったのかもしれない。

 眉を下げかけたシュラはそれでも目を瞑らなかった。


「炎ならッ……アキツさんの方が凄いんだから!!」


 シュラは強化魔法を強め、延々と吐き出される炎に耐える。

 熱で両眼が炙られるかのようだったが、魔法の出力を高めればその炎が目を潰すことも肌を焼き切ることもなかった。


 筋肉と筋肉がぶつかり合う。

 モンスターも最後の力を振り絞っているのか一歩も引かない。

 シュラは唸り声を上げながら両腕を膨らませた。


(ッ……凄い力、このままだと――)


 筋肉に溜めた魔力を全て使えば勝てる。そう全身で感じられる。

 しかしここでシュラはあることも確信していた。

 魔力を使い切れば筋肉は衰え、萎み、小さくなってしまうだろう。それはつまりアキツが誉めてくれた自分ではなくなってしまうということだった。


(それに、やっぱり……)


 シュラは下唇を噛む。


 村人に恐れられ、差別されながらも筋肉を隠したことはない。

 腹筋も誇らしく思っていた。

 筋肉に良いものを食べ、トレーニングを欠かしたこともない。


 それはなぜなのか。


「っ……私、私の筋肉が好きなんだ……」


 失いたくないものだった。

 母からの贈り物だ。

 そして、そう思う気持ちを差し引いてもかけがえのないものだと感じている。


「でもッ!」


 筋肉は大切だ。しかしアキツも大切ではないか。

 そしてシュラを遠ざけた村も故郷の一部である。

 最近はアキツの働きかけと復興の手伝いでシュラへの態度も軟化していた。シュラはそれが心から嬉しかった。


 失いたくないものは、筋肉以外にも沢山ある。


「ここは……ッ迷うところじゃない!!」


 シュラは筋肉の猛りと共に魔力を放出した。

 盛り上がった四肢の筋肉を煌めかせ、腹筋を美しく歪ませ力を込め、モンスターを空高く投げ上げる。それはあの日のアキツのようだった。


 そして、かつて雲を吹き飛ばした時よりも何倍も力を込めて拳を突き上げる。


 発された拳圧は空気を押し潰しながら昇り、見事モンスターに命中した。

 そして声すら上げずに四散して消え去ったのと同時に、モンスター由来と思しき炎が輪状に空に広がってふわりと消えた。


 土煙がもうもうと立つ中、アキツは咳き込みながらシュラに駆け寄る。


「シュラ! 大丈――」

「こっこここ来ないでください!」


 土煙が風に流されていく。

 その先にいたのはか弱い姿になったシュラだった。

 金髪も緑の目もそのままだが、服はぶかぶかになり体格は普通の娘と変わらない。

 赤い顔に涙を流しながらシュラは体を隠した。


「見ちゃダメです! ……ア、アキツさんが褒めてくれた筋肉、吹っ飛んじゃいました。こんな姿をあなたに見られるのは嫌です」

「シュラ……」


 アキツはゆっくりとシュラに近寄ると、その肩に自分の上着をかける。

 その優しさにシュラは更に涙を流した。


「わた、私、アキツさんのこと、大好きなんです……だからあなたには、あなただけには失望されたくない……!」

「それは遺憾だなぁ、君は失望しなかったのに僕が失望するとでも?」


 アキツはいつものように微笑むとシュラの小さな肩を抱き締める。

 そして宥めるように背をぽんぽんと撫でながら言った。


「シュラ、君の肉体の筋肉は美しいけれど――心の筋肉も、とても美しい」

「アキツさん……」

「素晴らしい戦いぶりだったよ。……筋肉の勝利だ、ナイスバルク!!」


 眩しい笑顔に目を細めたシュラはぽたぽたと涙を零し、しかしそれっきり頬を濡らすことなく嬉しそうに微笑むと、今は細くなってしまった腕を曲げてみせる。


「ありがとうございます、私……また鍛え直します!」


     ***


 シュラは筋肉に愛されている。

 毎日良質なたんぱく質を摂り、健康的な生活をし、トレーニングを積むことであっという間に元の体格に戻っていた。


 その姿を見た村人には怯えられるかと思いきや――なぜか両手を合わせて拝まれたのは昨日のことだ。

 シュラが凶悪なモンスターを倒したことは瞬く間に村中に広がっていた。


 それに加えてアキツが日々行なっていた筋肉の布教活動が実を結んだようだ。

 少々おかしな方向に結実した気はするが、人から恐れられないということはシュラにとって素晴らしい朗報だった。


 朗報はもう一つある。

 アキツの修行も無事に終わり、これからは通常業務に戻るという。

 そんなアキツからの申し出で、これからはパーティーを組んで一緒に冒険者をすることになったのだ。


 父は泣きながら娘を送り出し、村人たちも拝みながら盛大に見送ってくれた。

 新たな道を進むことになったシュラはこれから冒険者登録をするために王都へ向かう予定である。


 その道すがら、なんでもない様子でシュラと会話していたアキツは突然緊張しだすと、ちらりとシュラを見て「周りに誰もいないうちに言っておきたいことがあるんだ」と口を開いた。


「シュラ、君が失望しなかったように、僕も失望しなかった。そして君が僕を大好きなように……僕も君が大好きだ」

「……!」

「君の美しい筋肉をこれからも傍で見守らせてくれないかい」


 アキツが見守りたいそれは肉体の筋肉であり、心の筋肉であり、そしてシュラそのものだ。


 シュラは早鐘、もとい早銅鑼のように鳴り響く心音を抑えるように胸に手をやり、そして風を切り裂く爆音をさせて深く深く頭を下げる。

 その勢いたるやシュラの頭が大地に触れる前から周囲をビリビリと震わせ、野生の動物がワッと逃げ出し空から鳥が落ちてくるほどだった。


「こ、こちらこそっ! 末永く宜しくお願いします!!」


 そして額が地についた瞬間、地割れが数十メートルに亘って広がり、道のど真ん中に底の見えないヒビが入った。

 今後何百年も残るかもしれない巨大地割れの誕生である。


 それを見たシュラは情けなく叫び、地面に十指を突き立てると先ほどの叫び声など目ではない雄叫びを上げて地割れをバチンッと閉じる。

 爆音の段階で尻もちをついていたアキツは謝るシュラに笑い、そして。


「今日も仕上がってるね、ナイスバルク!!」


 嬉しそうな笑顔で、親指を立てた。

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