M'sキッチン

misaka

○竜すじ煮込み

 パンッ、パンッ。という音を立てて暗い部屋に魔石灯の光が灯る。そこには背中に届く長い白金色の髪を揺らしてお辞儀をしている1人の少女が居た。

 彼女の名前は『メイド』さん。翡翠ひすい色の瞳。薄い唇はいつも柔らかい弧を描いている。『名は体を表す』だったかしら。彼女の服装は肩口が膨らんだ造りの黄緑色のワンピースに白い前掛け。細く滑らかな指先は光沢のある手袋が覆っている。小さな頭にはちょこんとフリルのついたカチューシャが鎮座していて、全身をもって彼女がメイドであることを示していた。


「皆様、初めまして、あるいはこんにちは。メイドです。本日は皆様にわたくしから料理のお手本をお見せしたいと思います」


 メイドさんの言葉に続いて灯った照明が、調理台とその上に並んだ調理器具を照らし出す。


「ねぇねぇ、ひぃちゃん。なにこれ?」


 私の隣。板張りの床の上に敷いた布の上で三角座りをしながら聞いて来たのは千本木桜センボンギサクラさん。肩にかかるかどうかのうちに巻いた茶色い髪に同じ色の瞳。ニホン人らしく平坦な顔つきの女の子ね。彼女はここに来た時と同じく「セイフク」を着ている。クリーム色のモコモコした上着セーターに薄くてパリッとした白いシャツカッターシャツ、紺色で、深い折り目の入ったスカートという格好だった。

 唐突に始まったメイドさんのお料理教室に困惑している様子の彼女を、


「しっ。静かに、サクラさん。これはきっとそう言うものなのよ」


 その一言で黙らせる。そんな私はスカーレット。黒髪に吊り上がった赤目、メイドさんやサクラさんに比べると少し背が低い。そんな女性型のホムンクルスよ。ついでにメイドさんも私と同じ、ホムンクルスだった。

 私たちは今、メイドさんによるお料理教室の生徒にされていた。どうしてこうなったのか、なんて考えないことにするわ。メイドさんが唐突なのは、いつものことだから。


『クルルル ルルルー♪』

「そうね、あなたも忘れてないわ、ポトト」


 私の横で元気よく鳴いたのはポトト。体高2mもある大きくて、真ん丸で、フワフワもふもふの鳥よ。全身を覆う真っ白な羽毛と羽と胸元に生えた黒い羽毛が可愛らしい、女の子の鳥だった。


「それでは早速、食材と料理の紹介に移りましょう」


 そう言ってメイドさんが虚空から取り出したのは赤と白が美しいお肉。どちらかと言えば白身が多い、そんな分厚くて細長いお肉だった。


「ひぃちゃん。あのお肉って……」

「ふっ。気づいてしまったのね、サクラさん。そう……、あれは! この前倒した赤竜せきりゅうのお肉よ!」

「謎にテンション高いね……。って、あれ、いつの間に?!」


 私の隣に座るサクラさんが驚いた様子で見ているのは、いつの間にか目の前にある清潔なクロスがかけられた長机。そして、地べたに座っていたはずの私たちは、背もたれがある木の椅子に座っていた。


「考えてはダメよ。これはそう言うものなの」

「あ、うん。了解。いろいろ言いたいけど、もう流すことにするね」


 場は整ったわ。さぁ、メイドさん。初めて頂戴。そんな私の目線に頷いたメイドさんが調理を進めていく。


「お嬢様からご紹介があったように、こちらは赤竜の肉。中でも脚や膝の限られた部分からしか取れない『すじ肉』と呼ばれる部位です♪」


 すじ肉が乗ったトレイをを示しながら、メイドさんがお肉について説明している。ついでに、メイドさんは主人である私のことをお嬢様。サクラさんはひぃちゃんと呼ぶわ。瞳の色が緋色ひいろだかららしい。


「今日は皆様でも簡単に作ることが出来る『竜すじ煮込み』をご紹介したいと思います」


 ペコリ、と改めて頭を下げたメイドさんは早速、背後にあった調理台へと移動していく。彼女が準備をしている間、私はメイドさんが作ろうとしている料理に想いを馳せる。


「すじ煮込み……。ブルのものを食べたことがあるわ。甘辛いやつも、ミソで煮込んだ奴も美味しいのよね」


 ブルはフォルテンシアで代表的な牛の名前よ。ホロホロぷるぷる。独特の食感と濃い目の味付けの煮込みは絶品だった。どうやら今日は赤竜のすじ肉で同じものを作るみたい。私も作れる料理の種類を増やすために、しっかりと聞いておかないと。

 手袋を外して手を洗ったメイドさんの準備が整ったみたい。


「ではまず、すじ肉を一口大に切っていきましょう。ご存知かもしれませんが赤竜のすじ肉は切る時にかなり力を使います。なのでまずは、ご自身のステータスの筋力を300以上にします」

「……何が私たちでも簡単に作れるよ! 無理じゃないっ!」


 これから料理の第一工程というところで、飛び出したメイドさんの無理難題に思わず私は叫んでしまう。筋力300。参考までに言うと、一般的な人間族の男性の筋力が150前後だ。私やサクラさんなんて100にも届いていない。もうこの時点で、赤竜のお肉を調理することが出来ないことが分かってしまった。多分、私たちが調理できるようになるには厳しい訓練を重ねて5年以上はかかりそう。

 私の抗議を無視して、メイドさんは調理を進める。


「続いて、赤竜のすじ肉を切れるだけの十分な硬さを持ったナイフを用意しましょう」


 照明の光を鋭く返すナイフを示しながら、メイドさんがうっとりとした顔で言っている。


「メイドさんが持ってるアレ。お店で見たけど200,000エヌはしてた……」


 私の右隣に座るサクラさんも苦笑いね。パン1個が50~100nのフォルテンシアで、200,000n。調理器具1個に支払うにはふざけている金額だわ。まぁ、とりあえず。貴重な金属を使って、職人さんの手で作られた刃物が必要ということね。


「いずれにしても、メイドさんが私たちに作らせる気が無いことだけは分かったわ」

「こうなってくると、本当に何のためのお料理教室なんだろってなるね」


 私とサクラさんとで話しながら、メイドさんの調理を見届ける。きれいに一口大に切られた大量のお肉が向かう先には、大きな鍋がある。


「続いて水を張った鍋で肉を煮込んでいきましょう」


 水を生成する魔法【ウィル】を使って鍋に水を張り、〈加熱〉のスキルを持った魔法道具『コンロ』の上に置いたメイドさん。


「肉食の赤竜には独特の臭みがあります。それを消すために、辛味と香りが特徴的な野菜『スゥフ』などと共に煮込みます。途中、しっかりとあく取りを行なうことを忘れないでくださいね」

「私たちじゃないとするなら、メイドさんは誰に向かって話しているの……?」


 主人である私の問いかけをまたも完全に無視して、メイドさんは調理を進める。ドバドバと鍋にすじ肉、スゥフ、その他いくつかの香草を入れて鍋を温め始めた。


「どんな料理も下処理が大切だもんね。それは赤竜も変わらないってことか~」


 ふむふむと頷きながら、サクラさんがメモを取っている。もう料理以外のことは考えないということかしら。……順応が早いわね。作れないと分かっていてもきちんと書いておく当たり、彼女の真面目さが伺える。ついでにサクラさんも料理上手よ。チキュウのニホンで育った彼女が作る料理は優しい味わいで、私も大好きだった。


「そうして3時間ほど丁寧に下処理したすじ肉が、こちらです」


 メイドさんがまたも虚空から大きな鍋を取り出して、先ほどコンロに置いた鍋と取り換える。


「出た、料理番組でよく見る『あるんかい!』ってやつだ」

「だけど、出来もしない料理を見続けさせられるよりはマシね。むしろメイドさんの準備の良さはさすがだわ」


 一体誰の、何のための料理教室かも分からないままメイドさんは手を黙々と動かす。しばらくすると、湯気が立ち込め始めた。


「良い香り!」

「うん! こう、さっぱしたというか。ショウガに似てるけど、それよりもちょっと甘い匂い……」


 一緒に煮込んでいる香草の爽やかな香りが、部屋の中に充満し始める。思わずお腹を鳴らす私とサクラさんの前で、メイドさんの料理は次の工程へと進んでいた。


「こうして下処理したすじ肉をいよいよ煮込んでいきます。……寝かせる時間も含めると、半日ほどでしょうか」

「ここまで普通なら3時間かかっているのよね。ここからさらに煮込むの?」

「お嬢様。煮込み料理は時間がかかるものなのです」


 基本的に麺料理みたいな簡単なものしか作らない私にとって、半日以上かけて作る料理なんて信じられない。


「調味料は、酒と2種類のミソ、砂糖、そこに海藻や魚介からとった出汁を合わせます」

「はい、メイドさん、質問です!」

「どうぞ、サクラ様」


 手を上げたサクラさんを、メイドさんが指名する。


「海藻や魚介からとった出汁を具体的にお願いします!」

「はい。まずは白鯨海の近海に自生している太めの海藻。また、丸々と太った青い魚です」

「……え、終わりですか?」


 サクラさんの問いかけに、メイドさんが困惑したように頷く。


「海藻とか魚の名前は……?」

「名も無き海藻と、名も無き魚たちです」

「おおう……。レシピとは……」


 ざっくりとしたメイドさんの説明に、サクラさんもたじろいでいる。

 私たちが住んでいるフォルテンシアでは魚にあまり名前をつけない。つけていたらきりがないものね。魚は魚。海藻は海藻。それぐらい簡単な方が、分かりやすいでしょ?


「黄色、あるいは金色の出汁を取ることが出来れば大丈夫です」

「ここは、わたしの腕の見せ所になりそう……。多分昆布と、カツオっと」


 サクラさんがメモに鉛筆を走らせ始めたところで、メイドさんも調味料を鍋に入れていく。


「それぞれを良い感じに、味見をしながら入れていきましょう。大切なのは、食べて下さる方を想像することですね、お嬢様?」

「そうね。隠し味を語る前に出来れば分量を詳しく教えて欲しいけれど、まぁ良いわ」


 そもそもの話。いつも直感のままに美味しい料理を作っているメイドさんに料理教室は向いていないような気もする。いやもう、本当に今更なのだけど。


「こうして調味液を作ったところに、下処理したすじ肉を入れましょう。さらに彩りとして『シンシアの根』、食感のために『リッツ』を入れて、ここから1時間ほど加熱します」


 シンシアの根は橙色をした根菜ね。煮込んでも荷崩れしないのに、口に入れた瞬間優しい甘さがある、そんな野菜だ。リッツは、煮込むとプルンとした触感になる、不思議な芋だった。


「そうして1時間煮込んだ後、余熱で全体に火を通しながら半日寝かせます」


 これはわたしでもわかる。食材に味を染み込ませるための工夫よね。


「来るよ、来るよ――」

「そうして寝かせたものがこちらになります」

「――来たー! 『いくつ用意してんの?!』ってなるやつー!」


 サクラさんが1人で盛り上がっている。対照的なのはポトトね。早々に飽きたのでしょう。丸く膨らんで鼻提灯を膨らませている。これだけうるさくしても起きないなんて。普段は臆病な子なのだけど、ポトトは意外と大物なのかも。


「後は食べる時に再度加熱しましょう。冷めたままでも美味しいのが竜すじ煮込みの特徴なのですが、加熱すると柔らかくほどけるような口当たりになります。口に入れれば肉汁があふれ出し、ミソの甘く、優しい煮汁と絡んでそれはもう……」


 頬を押さえながら、メイドさんが竜すじ煮込みについて語る。……聞いているだけでもう既に美味しいわ。さっさと料理、出来上がらないかしら?

 さっきと同じで、10分くらい鍋で煮込むとミソと出汁の香りが部屋中を満たす。さっきの下処理の時の食欲を刺激する香りとは違って、優しく、優しく私たちを誘って来る。……いいえ、待ちなさいスカーレット。匂いを良く嗅いでみれば、下処理の時に使った香草たちの食欲を誘う香りが確かに感じられるじゃない!

 もう私の空腹は最高潮だった。


「お腹が限界だわ、メイドさん! もう料理教室なんてどうでもいいから、早く食べさせて!」

「かしこまりました、お嬢様。では、後はお皿に盛りつけて――完成です♪」


 小さな器に盛りつけられたのは美味しそうに湯気を立てる竜すじ煮込み。脂身と煮込まれたすじ肉には、ミソ由来の黄色い煮汁がかかっている。味が染みているはずのシンシアの根は、食べなくてもほくほく、柔らかいことが分かる。リッツ特有の歯ごたえのあるプルンと食感は、竜すじ煮込みに新しい風を運んでくれるはずだわ。


「早く♪ 早く♪」


 鼻歌まじりに言った私の所に、美味しそうな湯気を立てるお皿をメイドさんが持ってきてくれる。……ここまでお預けをされたんだもの。美味しくなかったら承知しないんだから。

 あと少し。あともうちょっとで竜すじ煮込みが運ばれてくるという、まさにその時。メイドさんが足を止めてしまった。


「どうしたの、メイドさん?」

「お嬢様、残念なお知らせです。お料理教室終了の時刻になりました」

「……嘘、でしょ?」


 衝撃で固まる私の目の前から、湯気を立てる竜すじ煮込みが離れていく。


「待って……。待って、私の竜すじ煮込み!」

「うんうん、あるよね。番組の時間とか。だいたいこの後、お昼の情報バラエティとかワイドショーとかが始まるもん」

「サクラさんも! メイドさんの暴挙を許してはいけないわ! こんなのあんまりよ!」


 ここまで引っ張っておいて、最後に食べられないなんて。私の口はもう、竜すじ煮込みになっている。それ以外は認められない。


「お願い、メイドさん! せめて一口……いいえ、やっぱりお皿1つ……鍋1つ分くらいは――」

「以上、竜すじ煮込みの作り方でした♪ なお、赤竜を狩る際は頼れる冒険者様を雇うことをお勧めします」

「ちょ、メイドさん。お願い――」


 バンッと。照明が落とされて、部屋が真っ暗になる。静けさの中には、びっくりするくらい美味しそうな匂いが充満している。


 私のお腹がただむなしく、くぅっと鳴いた。

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