第四話
早朝の湿気を含んだ冷気が肌を刺し、思わず身震いする。目が覚めると、昨日感じていたあの妙な支配感は消えて、身体は完全に自由になっていた。
身体も痛くもなんともない。
こんなに清々しい気分は久しぶりな気がする。朝日に向かって大きく息を吸い込むと、どこからか香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
「港町ってのは朝早くから騒がしいんだな……」
通りを歩き出すと、周囲はすでに活気に満ちていた。漁師や商人が早朝から大声を張り上げ、網いっぱいの魚や貝が路肩に山積みになっている。
活気に満ちているのはいいが、ちょっと騒がしすぎて、目も耳も忙しい。
そんなことを考えながら歩いていると、道端の屋台の親父が俺に声をかけてきた。
「兄ちゃん、新鮮な魚の串焼きでもどうだい?朝からしっかり食っておくといいぞ!」
「うわあっ、うまそう!」
目の前には、こんがりと焼かれた魚が串に刺さって並んでいる。何種類かあるようだがどれも美味そうだ。
どれにしようか迷っていると、親父が俺の姿を見てぽつりと呟いた。
「兄ちゃん、いいもんを着てるじゃねぇか。立派な刺繍の外套だ。大事にしなよ」
「ん……ほんとだ。なんだこれ」
「なんだって……自分のものだろ?」
言われて改めて自分の外套を見下ろすと、袖口からフードの端まで、丁寧に刺繍が施されている。どこか高価そうに見えるが、どうにも見覚えがない。誰かに貰った……ような気もするが、思い出そうとしても記憶は霞んだままだ。
「……なんで俺、こんなの着てるんだ?」
自分のことなのに、まるで他人事のような気味の悪さが胸に残る。
「まぁ、いいか。一本ちょうだい、この大きいの」
思い出せないのなら仕方ない。忘れるってことはさほど重要でもないのかもしれない。
「あいよっ、300ルーンだよ」
「ルーン……これで足りる?」
懐から煌めく金貨を取り出して親父に差し出す。命の恩人から拝借するには気が引けたが、見知らぬ大地で先立つ物が無いのは心許ない。
価値のありそうな、金貨らしき物を一枚だけ持ってきた。
それに、向こうも俺で遊んでた。少しは許されるだろうと自分に言い聞かせる。
親父はその金貨をしげしげと見つめ、やがて困ったような顔をした。
「なんだそりゃ、金貨か?……本物でも釣りなんて出せねぇぞ?」
「ええっ、そんな価値あるのかこれ……」
不思議そうに肩をすくめる店主に、俺も苦笑いを返すしかなかった。
結局、串焼きを買うのは無理なのか。
まぁ、腹が減ってるのも確かだが、それよりも大事なことを思い出した。
まずは剣を手に入れなければ。
大陸にも魔物はいるのだろうか。それに俺は不本意ながら体格も小さい。軽く見られて絡まれることもあるだろう。それに、ただなんとなく腰に剣の感触が無いのは心許なさを感じていた。
「なぁ、親父。この辺で剣なんて売ってない?」
「剣?変なもの欲しがるなぁ。あるとしたら道具屋だな。市場を出た先にあるが……」
「ありがとう、小銭に崩せたらまた来るよ」
俺は足を踏み出し、道具屋を探しながら町をぶらつき始める。
あの親父の言った通りに、市場を抜けてしばらく進むと、石造りの建物が並ぶ路地に行きついた。
その一角に、ひと際雑多な雰囲気の建物が目に入る。屋根には少し潮風で錆びた、金属の看板らしい板が掛かっていた。
少し背伸びして、扉横の窓から覗くと、店内には樽や木箱が積まれていた。その中には使い込まれた漁網や見慣れない形の短刀、小さなランタンが無造作に置かれている。
港町ならではの物ばかりだか、ここなら手頃な武器や道具が手に入るだろうか。
「こんちはぁ……」
扉を押し開けると、鈴の音が澄んだ響きを残し、薄暗い店内に静かな空気が広がった。奥のカウンターには年配の女店主が立っていて、こちらに気づくと目を細めて微笑んだ。
「あら、かわいいお客様ね」
「かわっ……俺が……?」
思わず口ごもり顔を引きつらせると、女店主はからかうように笑った。
「この辺じゃ男臭い客ばかりでね。若い子は珍しいのよ」
俺はなんだかきまり悪くなりつつも、用件を切り出す。
「……剣が欲しいんだけど」
彼女は少し驚いた顔を見せたが、すぐに納得したように頷いた。
「剣ねぇ……少ないけど、いくつか見繕ってあげるわ」
女店主が奥の棚から何本かの短剣や小剣を持ってくる。
見たところ大きな武器はなく、小回りの利く軽いものばかりだ。俺は一本ずつ手に取って、握り心地を確かめる。
「サーベル……軍刀かな」
しっくりきたのは、直刀型のサーベルだ。柄には四角い護拳がついていて申し分ない。柄頭には革製の刀緒がぶら下がっていた。
「多分、古い儀礼用の軍刀だね。実際にも使えると思うけど……」
「ちょっと長いけど、軽いしこれにする。……これで足りる?」
「あらっ……そ、そうねぇ、問題ないわ」
持っていた金貨を差し出す。女店主は一瞬、金貨をじっと見つめたが、すぐに穏やかな笑顔を浮かべた。
「その……少し時間をちょうだい。手入れと研ぎを済ませるから、しっかり綺麗にしてくるわね」
そう言うと、女店主は手にした金貨と剣を持って店の奥に引っ込んでいった。
それから数十分……いや、それ以上待ったかもしれない。剣を受け取るのにしてはさすがに遅すぎる。
俺は首を伸ばしてカウンター越しに奥の方を見つめていた。
もどかしさが募る中、店の扉が再び開かれる音がした。
振り返ると、見覚えのない初老の男が立っていた。銀装飾の施された制服を着込み、厳格な表情で杖を握っている。
「はぁ? なんだこのガキは……」
その男の値踏みするような、鋭い視線が突き刺さったとき、ぞわりと背筋に冷たいものが走った。
ここにいてはまずいと本能が警鐘を鳴らす。
考えるより先に身体が動いた。迷うことなく窓に向かって駆けだし、そのまま窓枠をつかんで外に身を躍らせる。
「待てっ!」
「ガルドリスさん、逃げたっス!」
ガラスの割れる音と男の鋭い声が背後で響き、石畳に転がり落ちながら着地。店内の男と同じ格好をした若い男と目が合うが、気にせずそのままの勢いで走り出した。
アレは多分、盗品なんて持ってるのを見つかると良くない奴らだ。
やっぱりすぐ使うのは不味かったかも知れない。市場まで戻って人混みに紛れよう。
そう思った瞬間、背後から低いうねりのような音が聞こえた。
まるで空気そのものが震えているかのような不吉な気配。
「……なんだ?」
走りながら振り向くと、鋭い光の束が背中に迫っている。避ける間もなく、光が背中に突き刺さるようにして炸裂した。
「ぎゃっ……!」
その光に弾かれて何度か転がった末に、ようやく動きが止まる。思いのほか、背中に拳を叩きつけられたかのような衝撃だった。頭と背中に鈍い痛みが残っている。
「あーあ、やりすぎじゃないっスか?これ、死んだんじゃないっスか?」
「……ただの手癖の悪いガキだろう。どうせ何も知らん」
近づいてくる声が耳に入る。
「くそ……なんだぁっ!」
どうにか声を絞り出すと、若い男が目を輝かせて笑った。
「動いたっス! 生きてるっス!」
「ん?加減しすぎたか……?」
顔を上げると、二人の男が周りに立ち、冷たい眼差しで見下ろしていた。威圧的な初老の男と、軽薄な笑みを浮かべた若い男だった。
「まぁ、いい。さてガキ……貴様何者だ?」
初老の男が、鋭い目で俺を睨みながら低い声で問いかける。その声には、容赦のなさと冷たい威圧が込められていた。
俺が何者かって……咄嗟に言い訳を考えるが、ふらつく頭では睨み返すことしかできない。
「おい、黙ってるつもりか?それとも本当に何も知らないか?」
「頭、打ったんじゃないっスか?」
若者が俺の顔を見下ろし、楽しげに笑う。這い蹲っている姿をまるで娯楽のように眺めていた。
「あっ?」
その時、不意に俺の首元で鎖が浮き上がる。
半透明で青白く冷たい光を放つその鎖の先は、ふわふわと俺の首元からどこかに引っ張られ伸びていった。
「あぁん?」
「な、なんスか、それ……?」
男たちも異変に気づいたようで、戸惑いの表情を浮かべていた。
「うぉっ……うあぁっ!」
見えない力が強く鎖を引き、俺の体がふわりと宙に浮かぶ。彼らは呆然としたままそれを見送るだけだった。
鎖を引く勢いは増し、俺の体は空中を滑るように運ばれて行く。
しばらくの飛行のあと、ようやく勢いが緩み、地面にそっと降ろされた。そのまま、ずるずると引きずられると、体がぴたりと止まる。
「あっ、どうも……」
目の前には見覚えのある冷たい視線。どこか呆れたような目で、引きつった顔の俺を見下ろしていた。
「楽しかった?」
アリシアがいた。
もぐもぐと串焼きを頬張りながら、ベンチに悠然と腰掛けている。まるで何もかも計算していたかのような、余裕たっぷりの態度で。
「なんで……いでっ!」
呆気に取られたまま彼女を見つめていると、不意に空から何かが飛んできた。鈍い痛みが頭の奥まで響き、思わず顔をしかめる。
「な、なんなんだ!?」
転がってきたのは、さっき道具屋で買ったはずの軍刀だった。どうやら俺を追うように飛んできたらしい。
頭をさすりながら、その軍刀を拾い上げると、アリシアが小さく笑った。
「あら、お買い物もしてたの?」
アリシアは目を細め、興味深そうに見ている。
「剣……ノア、あなた剣が使えるの?」
「……まぁ、それなりに」
返事をすると、アリシアは小さく笑って軽く肩をすくめた。
「そう、じゃあ見せて……?」
「み、見せるって……」
その言葉が何を意味するのかはわからなかったが、何か企んでいるような雰囲気は伝わってくる。
言葉の意味を問う間もなく、背後から足音が聞こえてきた。
振り返ると、さっき俺を追っていた二人の男が、険しい顔でこちらに向かってくるのが見えた。先ほどよりも焦りと怒りが入り混じった表情だ。
「はあっ、ようやく見つけたぞ……黒魔女め……」
「ほら、ガルドリスさん、やっぱ繋がってたっス! 死んでなくて良かったっスね!」
男たちがアリシアをじっと睨み、周囲の空気が一気に冷たく張り詰めた。
「また出た……なんなんだ、こいつら……」
「さぁノア、早く見せて?」
彼女は俺の困惑をよそに、無邪気な顔でそう言い放つ。その態度に若干の苛立ちが募るが、今は目の前に集中せざるを得ない。
「はぁっ。さっき一発かまされてるからな……よし……来るなら来いよ!」
抜き身の軍刀を構える。胸の奥でドクドクと鼓動が高鳴り、手のひらに感じる刀身の重みが、なぜか心地よい。
混乱と緊張が混ざり合いながらも、どこか気持ちが高揚するような感覚が湧き上がっていた。
卓越した剣術は魔法より優れるのか おいしい塩 @sioois
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