ラストダンジョンは私に

ぶっくばぐ

第1話


「ひとつ、昔話をしようか。ここに書いてあるんだ」


 薄暗い地下通路の埃っぽい空気。先輩の声が、コンクリートむき出しのそっけない壁に反響していく。


「まだTVゲームが流行り始めて間もない頃、ある男の子が、年上の女の子とゲームを通じて仲良くなった。でも女の子の方がずっと上手でどうしても勝てない。男の子は練習を重ねて、いつか必ず勝つことを誓った」


 先輩の足元は、学校指定のローファー。服装は外出の際でも変わらない、いつもと同じセーラー服姿。あたしも制服でお揃いにすれば良かったと少し後悔する。もうすぐ着ることができなくなるし、なにより汚れても予備がある。


「ところが女の子はそれを聞くと、病気で長く生きられないことを告白する。嘆き悲しむ男の子に女の子はこう提案する。『じゃあ、約束しよう。あたしは必ず生まれ変わる。そうしたら対戦で必ずあたしを負かしてね』と」


 ライトで照らした手元の冊子をめくりながら、へーとか、ふーん、とか言いつつ先輩の語る話は、ゲーマーには有名な都市伝説だ。当然その続きも知っている。実は女の子は恐ろしい魔女で、約束は呪いに変わり、頷いた男の子は生ける屍になって、ゲームの対戦台で永遠に来ない生まれ変わりを待ち続ける。そんな男子が何十人も東京の地下に閉じ込められているという。他にもクソゲーしか出さない弱小メーカーがいつまでも潰れないのは、麻薬取引の資金洗浄に利用されているから、とか。日比谷線銀座駅中央改札横のトイレは、午前0時に異界への通路が開くとか。どれもネットのくだらない噂話。ゲーセンの対戦待ちでの暇つぶしだ。そう思っていた。つい半日前までは。


 噂話の魔女の住処。通称、東京地下ダンジョン。


 先輩とあたしは、もう一時間もそこを彷徨っている。




 父親の事業が傾いた。


 あたしと先輩は「電脳技研究会」という同好会の、二人きりのメンバーだ。SFチックな名前とは裏腹に、わりと歴史ある同好会で、活動内容は囲碁・将棋のネット対戦と、発表された論文や学会内容をチャットで語りあう高尚なもの。先輩もいわゆる一般的なTVゲームはたしなまない。そんな同好会に、ただのゲーマーであるあたしが所属しているのは、もちろん一学年上の先輩を性的にお慕いしているから。出会って以来、金魚の糞のごとくまとわりつくあたしを、先輩もそれなりに相手をしてくれる。ひいき目で見れば可愛がってくれていると思う。Sっ気のある先輩がたまに無茶ぶりしてきて、Mっ気のあるあたしが尻尾を振りながらそれをこなす。そんな愉快な学園生活を送っていた。


 しかし、このまま距離を縮め、いずれは処女を奪い奪われたいと思っていたあたしの未来予想図は、市場経済の前に無残に砕け散った。


 両親は卒業までいても良いと言ってくれたが、ただでさえ高額なお嬢様学校の学費や寮費。それををそのまま借金に上乗せするほど親不孝な真似はできない。今年度の学費までは納入済みだけど、3年生にはなれない。来年3月には先輩は卒業。あたしは自主退学。


 先輩には言わないと決めた。先輩への愛の重さには自信があるが、さすがにこの話題は重すぎる。先輩の家は資産家で、あたしの進路希望は先輩の性的愛玩動物とはいえ、学費を出してもらうのはちょっと違う気がする。さらに考えたくもないが「田舎でも元気でね」なんてさわやかに言われた日には、その場で出家して尼になるしかない。


 残された日々を大切に過ごしていこうと、そう決めていた。


 そんなある日。つまり本日昼休み。いつものように部室で昼食を取っていると、先輩からお誘いがあった。


「ちょっと後で付き合って欲しいんだけど」

「後? もうすぐ食べ終わりますけど」

「いや、放課後の話。少し歩くから、寮で動きやすい恰好に着替えてから来てくれ」


 わーい放課後デートだ。浮かれ喜ぶあたしに、さらに刺激的な言葉が告げられる。


「東京まで出るから。遅くならないつもりだけど、週末だし、念のため宿泊許可も取っておいて」


 これはワンチャンあるか。学校最寄りの駅での待ち合わせ。コーディネートはカジュアルかつスポーティ。鼻息荒く、キメキメの格好で勝負下着までつけたあたしを出迎えたのは、先輩のどや顔だった。


「ふっふっふ。じゃじゃーん!」


 目の前に突き付けられた、古びた冊子の表紙には、寝起きのアル中がペンを取ったような字でこう書いてある。



『けっていばん。とうきょうちかだんじょんこうりゃくぼん』



「先輩の字じゃないですよね。先輩達筆だし。…どこで拾いました? それ」

「失敬な。ネットオークションで競り落としたんだよ」


 先輩が、オークションまでたしなまれるとは知らなかった。


「ちなみにおいくらで?」

「10万円」


 頭を抱えた。ブルジョアな先輩の買い物に口を出す気はないが、リアルに金銭トラブルを抱えている身には、心底ダメージが大きい。


 うめくように教える。


「それ有名なガセネタですよ。大方おもしろがった暇人が作った落書き本。つまりはゴミです」


 先輩の笑顔は揺るがない。控えめな胸を張って、ちっちっち、と立てた人差し指を振り、

「これの落札価格は2万円。残りの8万は調査費用だ。少しは信憑性がある。それに、ほら!」


 と、そのまま開いたページを指さす。


「ミッション成功者には豪華景品プレゼント、とある。この世ならぬ地下ダンジョンの景品だ。ある程度元は取れるかもしれない」


 いやゼロに何を掛けてもゼロだ、と思う。


「ちょっと見せてください」


 手渡された冊子をぱらぱらとめくる。昨日今日作られたものではないが、劣化はせいぜい古雑誌程度。中身も下手くそなボールペンの手書きだ。そのくせ雰囲気を出すためか、わざわざ和綴じにしているのが痛々しい。後半は著者が書いているうちに飽きたのか白紙である。正真正銘のゴミにしか見えない。これが10万円。銀座ショッピング。憧れの資生堂パーラー。締めに東京湾ナイトクルージングにでも連れて行ってくれたら、その思い出を宝石のように抱えて、田舎で余生を過ごすことができたのに。


 正直妙だとも思う。先輩はおしとやかな人ではないし、エクセントリックな行動に出ることも多々ある。でもこんな風に大金をどぶに捨てるような、軽率な真似はしない。最近オカルトに凝っているという話も聞いたことがない。それになんだか、やけにハイテンション。ひょっとしたらドッキリでも仕掛けているのだろうか。


 まあいいか、と思いなおし、閉じた冊子を先輩に返す。


「わかりました。お共します。――行きましょう。先輩」


 どのみち、あたしが先輩のお誘いに、ノーと言えるわけがないのだから。


 これもちょっとした日常のスパイス。ドッキリ上等。万が一先輩が本気でも、偽物の『こうりゃくぼん』でどこかに辿りつけるわけがない。迷子になって散々苦労して地上に戻り、笑い話の一つになるというのも、まあ悪くない思い出だ。


 そう考えながら地下鉄をいくつか乗り換え、先輩の後をついて知らない駅のホームに降り、見知らぬ駅ビルのエレベーターのボタンを複数同時押し。関係者以外立ち入り禁止の通路からタラップをくだって、怪しげな地下通路をいくつも通り過ぎ、いつの間にか現実まで通り過ぎていた。先ほどから寒気が止まらない。通路の右側には扉が立ち並んでいて、薄く開いているものもあるが、先輩は立ち止まりもせずに先を歩いていく。試しにいくつか覗き込むと、得体のしれない軟体動物の組体操や、勝手に動きまわる植物の根っこ。腐乱した死体同士がエアホッケーに興じており、猫と鼠がポーカーをしながら葉巻を吸っていた。


 吐きそう。


「せんぱーい! もう帰りましょうよ! ね?」 


 半泣きになって先輩に駆け寄る。


「おやおやぁ? 地下ダンジョンはガセネタで、この冊子はゴミとか言ってなかったっけ?」


 先輩はわざとらしく聞き返す。


「信じます! 信じましたから! ここ本物の地下ダンジョンです。絶対ヤバいですって!」

「ああ凄いな、解読には時間がかかったけど甲斐があった。いよいよこれは本物だ。豪華景品は目の前だな」


 信じられないことに、先輩は上機嫌で鼻歌まで歌い出す。


「景品とかマジ! どうでもいいですから! ここ本物です! 本物の魔女の住処です! カエルに変えられて喰われますよ!」


 しがみついて懇願するが、先輩はカエルは嫌だなあと、どこ吹く風。


「まあまあ、あとちょっと、もう少しで目的地だから」


 必死の訴えも聞いてもらえず、あたしの腕から力が抜ける。先輩は気づかずに歩いていく。うつむいたあたしの足元は、お気に入りのカラフルなスニーカー。泥や砂ぼこりでひどく汚れている。歩き詰めだったので足が痛くなってきた。そのまましゃがみ込んでしまいたいが、置いて行かれる恐怖に耐えかねて、とぼとぼと先輩の後をついて行く。


 先輩は悪くない。だって知らないのだから。頭の中で繰り返す。


 でも、という思いがぬぐえない。やっぱり先輩はひどい。今日、誘われて本当に嬉しかったのだ。少し、いやかなり期待していた。なにが地下ダンジョンだ。豪華景品だ。


 今日はあたしの、先輩と過ごせる、多分、最後の誕生日なのに。




「着いたよ。ここが目的地だ」


 数分後、一つの扉の前で先輩は立ち止まった。今まで通り過ぎた扉との、違いがわからない。


「はあ……おめでとうございます」


 先輩はあたしの無感動な返答を、気にも留めずに、

「ここは『かくげーべや』というらしい。くだんの、生まれ変わりを約束した女の子ならぬ魔女を待ち続ける少年……長いな。ポチと呼ぼう。ポチが閉じ込められ、ゲームを練習し続けている部屋であり、彼を成仏させるのが今回の目的だ」


 と手にした冊子を確認しながら、うんうん頷く。


 ポチ(先輩命名)。自分同様、年上の女性に翻弄される少年にあたしは深く深く同情した。


「えー、つまり先輩が魔女を演じつつ、ゲームで対戦するんですね? いいんじゃないですか。先輩すらっとしてて、なんか雰囲気あるし…」


 ちっ、といきなり舌打ちされた。珍しくやさぐれたお顔。


「また胸の話をしている」

「胸の話なんてしてません!」

「まあ待て」


 先輩は抗弁しかけたあたしを手で制し、

「なにか勘違いしているな。ゲームで対戦するのは、君だ」


 と意味不明なことをのたまう。


「あたし?」

「そう。大体私では勝てない。知ってのとおりゲームのことなんて皆目わからんしね。でも君、こういうゲーム強いんだろ?」

「いやいやいやいや! 無理無理無理無理! 強いって言っても地元のゲーセンで上位ってだけですし、全国大会も2回戦負けだったし……」


 激しく首を振りながら、最近の戦績、練習の重要性、初見の相手との相性まで話そうとしたところで、ふと気づく。そもそも。


「あれ? 勝っていいんですか?」

「ああ。それが大前提だ」」

「おかしくないですか? だってポ、ポチは、魔女に勝つために練習してるんですよね。成仏させるためには負けてあげないと」

「いいや。君が負けたらポチの望みは叶わない。絶対に、絶対に勝つ必要がある」


 今年一番シリアスな顔を見せる先輩に、あたしは不安にかられて聞く。


「勝てなければ……あたしたち、どうなるんですか?」

「ゲームはともかく演技には自信がないだろう? 口が聞けないという設定でいこう。私が適当に通訳するから君は黙っていればいい。準備はできたかな? さあ行こう」


 わざとらしく話題を変え、先輩は扉に手をかける。


「ちょっ! なんで答えてくれないんですか? もうやだー! あたし帰るー!」

 暴れるあたしの襟元をつかんで、先輩は有無を言わせず扉を押し開ける。廃墟の中央にゲームの対戦台が一台きり、ということもなく、部屋の中はひと昔前のゲーセンそのままだった。


 照明は控えめで暗く、それなりに広く、ゲームの筐体が背中合わせに並んでいて、その列の間が通路になっている。画面が死んでいる筐体もいくつかあるが、ほとんどが稼働中。ポリゴンの光で周囲をわずかに照らしながら、まだ見ぬ挑戦者を健気に待ち続けている。引きずられながら左右を見渡すと、古すぎて初めて見るゲームもあるが、一線を退いた懐かしのゲーム、いまだ現役で踏ん張っている有名タイトル、少し前に登場したばかりの人気タイトルと種類も豊富。誰がどうやって搬入しているのかと、現実逃避気味に考えていると、先輩が立ち止まった。


「お姉さんたち。誰?」


 部屋の最奥の角、通常なら脱衣系ゲームが置かれているところにポチ(仮称)がいた。


 もちろん遊んでいるのは脱衣麻雀なわけがなく、現役の端にぎりぎり引っかかっているような少し古めの格闘ゲーム。とうの昔に腐り落ち、虚ろな穴と化した眼窩は画面からぴくりとも動かさず、骨と皮だけの両手でレバーとボタンを操っている。ポチの外見は噂通りの生きる屍で、一言でいえば包帯ではなく学ラン姿のミイラ。生きていれば中学生くらいの小柄な体格。ここに来る前に見かけた、フレッシュかつグロテスクな腐乱死体と違い、干からびて乾燥している見た目はそれほど嫌悪感をもよおさない。


 この期に及んでミイラが話すくらいで驚きはしないが、問題は、その足元に折り重なって倒れている数人分の死体で、先輩が言わなかった「勝てなかった場合」の犠牲者ではないだろうか。


「ったく聞いてんのかよ。耳あんだろ?」


 自分こそ舌も声帯もないだろうに、やけに甲高い声でポチが毒づく。


「私は案内人だ。君の待ち人を連れてきた」


 先輩は落ち着き払った声で応え、嫌がるあたしを前に押し出す。


「あに? また偽物? もうウンザリなんだよね」


 一区切りついたのか、ポチはレバーから手を放してこちらを向く。


「どいつもこいつも弱っちいし、彼女なわけないじゃん。やればわかるんだよ俺は」

「ほう。そんなに弱かったのかい?」


 先輩が応じると、ポチは頬肉がない顔を歪めて笑う。


「もうわざとかってくらい。俺が強くなりすぎたのかもしれないけどね」

「それは期待外れだったろう。この子は違うよ。本物だ」

「へえ。自信あるんだ? でも」


 と、ポチはあたしを指さして言う。


「相手すんのこの人なんでしょ? さっきからなんで黙ってんの? ビビってる?」


 あたしが目配せすると、先輩はまかせておけ、と視線で返して言った。


「すまんが、彼女はあごの治療中で話せない。フェラチオの世界記録に挑戦しようとして外れたらしい」

「ゲホッ!ゴホッ」


 せき込むあたしの背中をなでながら、さらに続ける。


「とまあ、このように息は出来るが、声を出そうとするとひどくむせる」

「マジで! 本物かも! あの人アグレッシブなところもあったし」


 おいおい信じるなよ、とあたしは咳き込みながら脳内で突っ込む。ポチと魔女のイメージが音をたてて崩れていく。年上の女性に憧れた純粋な少年、ではなくスケベ女にたぶらかされた、ただのエロガキだったのか。


 ゲーセン椅子と呼ばれる、背もたれのないシンプルな椅子に座って息を整えていると、反対側の筐体からポリは身体を傾けてこちらを覗き込み、

「いや、でもパッとしない見た目だし、やっぱ違うんじゃねえの?」


 とひどく失礼な感想をもらす。


「綺麗な方のお姉さんは? 観戦?」

「いや、私は彼女の言いたいことがわかるから、まあ通訳も兼ねている」

「そっか。残念だなー。お姉さんがあの人の生まれ変わりだって言ったなら、俺絶対信じたよー」


 先輩とポチは、再びなごやかに談笑し始める。

 ゲーム画面に隠されて、ポチの姿や死体の山が見えなくなったのが良かったのかもしれない。


 なんだか、だんだん腹が立ってきた。自分一人だけ怯えているのが馬鹿馬鹿しくなってくる。聞こえてくるポチの声は生意気な中坊そのままで、先輩と話している内容も自分がどれだけ強く、周りは雑魚ばかり、といった自慢話が大半。こういう連中には覚えがある。さすがに地元のゲーセンで遭遇することは減ったが、初めて足を踏み入れるゲーセンでは大抵出くわす。大した実力もないくせに、舐め腐った態度で勝負をふっかけてきて、いざ負けたら女相手だから油断した、女相手には本気が出せないと言い訳し始める。女子ゲーマーは不遇なのだ。


 やってやろうか。


 目の前のゲーム、『スーパー路上暴行ターボ』はとっくに旬を過ぎたとは言え、今だに大会が開かれることもある人気のゲームだ。置いてあるゲーセンはいくつも知っているし、ブランクはないに等しい。ポチが長年練習を重ねてきたと言っても、一人用のCPU戦と、対人戦での駆け引きは違う。むしろこの地下でろくな対戦相手に恵まれなかったのなら、勝機はあるように思えた。


 ただ、もし負けた場合、先輩はどうなるのだろう。


 あたしの視線に気づいたのか、先輩は懐からボールペンを取り出し、手にした冊子の裏側になにやら書き込んでいく。謝罪か激励の言葉、あるいは秘策でもあるのかと思って見てみると、床の間に飾れそうな達者な字で「フォースと共にあらんことを」と書いてあって脱力する。


 腹が決まった。負けた場合なんてもう知るか。先輩を道連れに心中だ。


「お? 自称『生まれ変わり』のお姉さんも準備できた?」


 あたしの様子の変化に気が付いたのか、ポチも声をかけてきた。


「まあ、こっちは適当に始めてるから。いつでも乱入どうぞ。――ボコボコにしてやっから」


 ポチの挑発は適当に聞き流す。ここがどこかなんて考えない。負けたらどうなるかなんて考えない。深呼吸をひとつ。ふたつ。


 よし。


 いつもの習慣でレバーやボタンの具合を確かめると、デモが消えてタイトル画面が現れる。見慣れた「インサート・コイン(ズ)」の点滅表示。



 あ。お金取るんだ。




「このへったくそ! 数十年練習してその程度⁉」


 先輩が狂った。


「才能の欠片も感じない。田舎に帰って引きこもれ! 会いに来て本当に損した……と彼女は言っている」


 言ってないです。


「なんだぁさっきまでの偉そうな態度は? 土下座して千回詫びろ!」


 先輩が怒鳴り散らしている相手はもちろんあたしではなく、ポチだ。気がふれた先輩に罵られ、ポチは悄然と項垂れている。


 結論から言うと2-0で勝てたが、内容はかなり危うかった。1本目、やはりポチがCPU戦ばかりしていた弊害か、わりとあっさり勝ってしまい拍子抜けした。しかし2本目がやばかった。立ち回りを修正してきたポチはさすが数十年やりこんできた強者。尻上がりに調子を上げてくるタイプらしく、後半は投げが必ず抜けられる。コンボからの脱出が早く攻めきれない。3本目までもつれたら多分勝てない。ガードを固めてリーチの長い必殺技でとにかく削る。削る。意識しないようにしていた死体の山がフラッシュバックして、半ば恐慌状態になりながら自キャラを操作していると、体力ゲージを数ミリほど残した時点で相手が倒れた。


 勝った気はまるでしない。


 酸欠で立ち眩みに似た症状を起こし、目元を抑えていると、突如、先輩が大声でポチを責め始めたのだった。


「この役立たずの無能! カス! ゴミ! どうせ今までずっと女性キャラでいやらしい妄想にふけってたんだろ! 恥知らずの変態!……と彼女は言っている」


 いやあたしは言ってない。


 罵声を浴びたポチは見るからに動揺し、下を向くなと怒鳴られて顔を上げ、こっちを見るな気持ち悪いと言われて視線を彷徨わせ、ついに先ほどから観念したかのように項垂れて動かない。


 そのままの状態で責められること優に15分。散々罵られ、人格を否定され続けたポチは、陸に上がった金魚もかくやという有様で声も出せず、下を向いたまま時折痙攣し、最後に大きく肩を震わせて椅子から崩れ落ちた。


 それ以降、動く気配がない。


 先輩は筐体の反対側まで歩いて、倒れたポチの身体をローファーで蹴飛ばした。反応がないのを確かめて、大きく息をついて言う。


「よし。もう大丈夫だ」


 先輩が大丈夫じゃない。リアルの死体蹴りなんて初めて見た。


 素で怯えるあたしに対し、先輩は先ほどまでの狂乱が嘘のように、落ち着いた様子。


「あー、すごい顔で見てるけど、正気を失ったわけじゃないよ。これは必要な手順なんだ」

「すみません。信じられません」


 素直な感想をもらすと、先輩はあたしの隣に座り、にこやかに言い放った。


「説明しよう。ポチはドMだ」

「どえむ」


 マゾヒズム。羞恥心や屈辱感で快感を誘導される性的嗜好。その強調形。


「そう。つまりポチは、長年の焦らしプレイの果てに、最後のご褒美を待っていたわけだ。負けてあげるなんて論外。仮に勝っても今までの努力を褒めたり、いたわる言葉をかけたりするとアウト。多分、私たちも死体に仲間入りだ」

「でも、ポチ生意気でしたよ。イキってました」

「誘い受けというやつだな。犬が構ってほしくてわざと悪戯するアレだ。ポチと名付けたのは適当だったが、言いえて妙だったな」

「でもでも、ポチ強かったですよ。正直かなりギリギリでした。真面目にゲームやりこんでたと思います」

「全力を尽くして、なお届かないのがいいんじゃないのか? まあ微妙に違うかもしれないが、丹念に積み上げたものを一気に壊すカタルシスについては、多少理解できる」


 Mっ気ありを自認していたあたしでも、変態度のレベルが高すぎて共感はできない。が、とにかく理屈の上では呑み込めた。


「じゃあポチは長年の成果が報われずにあたしに負けたあげく、先輩に思いきり罵倒されて成仏したんですか?」

「ああ、むしろ昇天した、といったところだな」


 あたしの疑問に、立て板に水で答えてくれる先輩。


「詳しいですね。先輩」

「ん?」


 実は、この地下ダンジョンに足を踏み入れてから、ずっと抱いていた疑念があった。意を決して、あたしはそれを口に出す。


「……先輩が、魔女なんじゃないですか?」


 先輩の顔を見るのが怖くて、顔を伏せながら続ける。


「だから知ってたんじゃないですか? ポチのこと。ここまでの道。今度はあたしがここに閉じ込められるんですか? 先輩が魔女でもあたし全然かまいません。でも、どうせなら言って欲しいです。先輩が望むなら、あたし、いつまでだって待てます」

「いいや、全然違うよ」


 あっさりと否定された。驚いて顔をあげるあたしに、先輩は呆れた顔を見せる。


「私はただの資産家の娘だよ。まったく、どこからそんな考えが出てくるんだ?」

「いや、だって! でも…」

「私が持ってるのはなんだい?」


 先輩が冊子を手にそう言う。


「一度見せたのに、君全然読んでないんだな。まあ君が得意な格闘ゲームの章が前半にあって良かった。アクションゲームの章は途中で途切れていたけど…」

「適当にめくっただけだし、そんな汚い字読めませんよ」

「ここまでのルート、ポチへの対策、心をえぐる台詞10選まで、全部ここに書いてある。当たり前だろ? 攻略本なんだから」


 にわかには信じがたい。


「うっそだー。そんな詳しく書いてあるんなら、それって魔女が書いたってことですよね? どうして自分でやらないんですか? ホントに書いてます? 先輩が魔女でもウェルカムですよ。先輩の生まれ変わりなら、1億年と2千年経っても愛してます」

「しつこいね君も。ほれ」


 先輩があたしに冊子を手渡し、

「大体、そういうことは本人に聞きたまえ」


 と指さす先。振り返ると、そこに、魔女が、いた。


「ぎゃ! 出たー!」


 あたしは思わす、もらったばかりの冊子を取り落とした。


 さっきまで、まず間違いなく、誰もいなかった空間。ポチの遺体のすぐそばに魔女が立っていた。


 先輩が魔女なんてとんでもない。まともじゃないと一目でわかるこれが、このイキモノこそ正真正銘の魔女だ。想像していたより幼げな容姿だが、目元は包帯のようなものが巻かれているため、よく見えない。深めにかぶった三角帽子には嘘みたいに巨大な眼球がついていてゆっくりまぶたを上下させている。耳から垂れ下がる、大き目のイヤリングに見えたのもやはり眼球で、時折勝手に動いてこちらに視線が向く。冗談みたいに大きなバストと、漫画のようにくびれた腰にぴったりと張り付いている衣装。スカート部分がくらげか蛸を思わせる生物じみた動きで広がってポチと他の死体を覆い隠した。なにかを咀嚼するくぐもった音が聞こえてくる。


「くううううううううううう! あああ!」


 腰を曲げて全身を硬直させた魔女が、可愛らしい声に似合わない乱暴な口調で叫ぶ。風呂上がりに缶ビールを開けた父親を思わせる、感極まった声。


 やがてふうと息をつき、再び背筋を伸ばした魔女。明らかに先ほどより弛緩した雰囲気をまとって言った。


「出たー、なんてご挨拶ねー。えー改めまして、格ゲー部屋ミッションクリア。おめでとう~」


 足音もせず近づいてきて、あたしが落とした冊子を拾い上げる。


「それにしても懐かしい。まだ残ってたのねこれ」


 ぽんぽんと埃を落としながら、にっこりと笑う。


 邪気のない笑顔とその足元からまだ聞こえてくる咀嚼音に、安心するべきか逃げ出すべきか、はたまた立ち向かうべきか混乱する。しかし先輩を疑った負い目もあって、八つ当たり気味に声を張り上げた。


「そうそれ! そんなモノ書く暇があるなら、どうしてポチを自分で送ってあげないの! 変な小細工して! ゲーム上手いんでしょ!」

「ポチ? 誰?」


 首をかしげる魔女。しばらくすると思い至ったのか、あーはいはい、と下腹部に手を当て、

「この子ね。お気に入りだったし、私もそうしたいのは山々だったんだけど……こ・れ」


 と、今まではっきり見せていなかった右手を大きく開いてあたしに向ける。


 その手は、人差し指と小指以外の3本が大きく欠けていた。これではとてもコントローラーを上手く握れない。怪我か事故か。例えば雪山で遭難したときなど、ひどい凍傷で指先が壊死してしまうと聞いたことがある。


「ご、ごめんなさい。あたし、何も知らなくって…」


 思わず頭を下げたあたしに対し、魔女は残った指で頬を掻きながら、恥ずかし気に舌を出した。

「葉っぱキメながらオナってたら、膣痙攣で抜けなくなっちゃって、気を失って丸2日もそのままで腐っちゃった。粗悪品に手を出しちゃダメね」

「グロっ! っていうか腐れビッチなうえ、オナ厨でジャンキーって属性盛りすぎだろ! 謝って損したよ!! ぐえ」


 憤慨して魔女に喰ってかかったあたしは、真後ろから先輩に取り押さえられた。控えめなバストをあたしの背中に押し付けつつ、先輩は問いかける。


「あなたの性倫理に口を出す気がないが、冊子に書いてあった豪華景品。本当にいただけるのだろうか?」

「あら? 魔女は約束を破りません」


 どの口で言うか。疑いの眼差しで向けるあたしたちに、魔女は心外そうに続ける。


「ホントよホント。数十年分の未練と絶望の味に、最後にちょっとした解放感のスパイス。大変美味しかったし、私も大満足。サービスするわよ」


 そう言う魔女のスカートが怪しげにうごめき、えずくような音の後、ぺっ、と足元に何かを吐き出す。なんかばっちい。


 背中から先輩の急かす声。


「さあさあ君が勝ちとった景品だ。早く私にも見せてくれ」

「いや興味はありますけど…汚くないですか? 先輩にあげますよ?」

「馬鹿言わないで。私は何もしてないんだから」

「はあ」


 先輩に伸し掛かられ、這いつくばった姿勢のまま、おそるおそる手を伸ばす。

 ぬるぬるした粘液に包まれていたが、内部の梱包材は防水らしく、中は乾いたままだった。手をぬぐいつつ包みを破り、出てきたパッケージを目にした途端、声を失うほどの衝撃を受ける。


「こ、これは!」 


 アラビア語のタイトル。当然読めないが、副題が英語表示されていて、なによりパッケージイラストはプレミアゲームソフト一覧に毎回登場するため、見間違えようがない。


『タクラマカンからの脱出』だ。中東のプログラマが開発した伝説のゲーム。原理主義者たちの作戦や思考をあまりに正確にトレースしていたため、発売直後にテロ組織の攻撃に遭い会社は消滅。アメリカ政府がプロファイリングのために買い占めに乗り出し、しばらく後に流通禁止措置を取る。市場への出荷実績はわずか十数本。あまりの希少さに現在最低1000万円の値がつけられている。


「どうなのかな。これは」


 先輩が離れる。背中が軽くなる。


「どうも何も! すごいですよ先輩これは! これがあれば全部、ぜん…ぶ?」

 立ち上がる先輩を見上げたあたしは、再び声を失うことになった。


 先輩に対しては常に精神土下寝状態のあたしだが、現在、物理的に土下座しているような態勢だ。その状態で上を向けば、先輩の顔が見られる。いつも見ている先輩の綺麗な顔。いつまでも見ていられる先輩の顔。いつも飄々としているその顔が、今まで見たことのない表情を浮かべている。


「どうなのかな? これは」


 先輩の不安そうな顔。


「どうなのかな? 私はTVゲームの類は詳しくないんだけど。…これは多少は値が張るものなんだろうか? その……例えば…学費の足しになるくらい」


 知ってたんだ。


「私は魔女じゃない。魔女で魔法が使えれば良かったんだけど、ただの資産家の娘だ。自由に使える金はたかが知れてるし、そんな金を君が受け取らないこともわかっている」


 知ってたんだ。あたしのこと。あたしの家のこと。せめていつも通りに過ごしていたいと思った、あたしのちっぽけなプライドのこと。思い出す。地下ダンジョンに来る前からの、やけにハイになっていた先輩。そもそも、ゲーマーにとっては常識であり、眉唾物の地下ダンジョンの話に、どうして先輩が興味を持ったのか。まして、偶然本物を引き当てたとはいえ、オークションで怪しげな攻略本を競り落とした理由。


「でもそれは君が勝ち取ったものだ。誰に遠慮することもないと思う。さばくルートがないなら実家の方で手配しよう。それぐらいはさせてくれ。君の退学届けは理事長に頼んで、保留にしておいてもらっている。……で、どうなんだろう? そのゲームに価値があるのか?」


 いつまでも返事をしないあたしに、次第に早口になる先輩の表情がどんどん曇っていく。初めて見るレアな表情を永久記憶に焼き付けたいと思っても、視界がどんどんにじんで、それももう叶わない。なによりいつまでも先輩にこんな顔をさせちゃ駄目。返事を、とにかく返事をしなきゃいけない。大丈夫だって伝えなきゃ。でも声が出ない。


「だ、だいびょうぶです! ぼう! ぜんぶ! だいぼうぶなんです!」


 必死にしぼり出した声はひび割れ、我ながらひどいものだった。誰が聞いても意味不明。先輩の表情も晴れない。せめて伝わるまで繰り返す。


「ぜんばいのおがげで! ぜんぶ! だいぼうぶにだったんです!」


 泣き声で何度も何度も繰り返し、ようやく伝わってくれたのか、しばらくすると先輩も大きく息を吐いた。あたしの隣に座って手を握ってくれる。


 あたしも先輩の手を握りしめ、それしか言葉を知らない赤ん坊のように泣きながら繰り返す。


 そう。


 あなたのおかげです。


 もう大丈夫。全部大丈夫になったんです。



 これからもそばにいられます。




「はーいこれ、チリ紙」


 泣き止んだのを見計らい、ティッシュを渡してきたのは、黙ってあたしたちを見守っていた魔女だった。


「…あんがと」


 こいつも悪いやつじゃないのかもしれない。受け取って何度か鼻をかみ、もう一度礼を言おうとして、すぐに自分の迂闊さに気づいた。


 魔女の目元は見えない。でも三角帽子の眼球があたしたちに向ける視線は、完全に食べ物をみる目つきだった。


「いやー、女の子同士ってのも悪くないわね。今度うちの子たちのアレをもぎとって、女子会でも開こうかしら」


 多分、いや絶対乱交パーティーだと思う。


 にたにたと笑い、不穏な内容をつぶやいている魔女を睨んで、自分に言い聞かせる。


 こいつは気を許してはいけない相手だ。


 そしてもうひとつ。間違いなくクソビッチだ。


 あたしの緊張を悟ってか、先輩が固い声を出す。


「景品はありがたく頂戴する。で、私たちは無事に帰してもらえるのかな?」

「もちろんよー。お帰りはあちらー」


 意外に軽い返答。


「通路の先。突き当り左にエレベーターがあるから。ボタン押さなくても勝手に来るし上っていくし、いつも私が使っている駅トイレに繋がってるわー」


 さらに『こうりゃくぼん』を投げ返してくる。


「復活の呪文を書き足しといたから、次からここに直通で来られるわよ」


 お断りだったが、下手に刺激したくなかったので、しぶしぶ受け取る。


「ACT部屋にFPS部屋あたりも、いい感じに熟成してるから。――またいつでもいらっしゃいねー」


 魔女の声を背中に、あたしと先輩は通路を奥へと向かう。


「白状してしまうと…」


 歩いている途中、先輩が小さくつぶやいた。


「やせ我慢していただけでね。またここに来るなんて死んでも嫌だな」

「あたしも同感です」


 あたしは激しく同意する。


「当分は、ゲームも見たくない」

「あたしも同感です」


 ガチゲーマーも休業だ。廃業するかは約束できないけど。


「さて」


 何事もなくエレベーターに辿り着き、箱が下りてくるのを待っている間、先輩は思い出したように言う。


「今さらだが、その服はよく似合ってるよ。残念ながら、かなり汚れてしまっているけど」

「ホントに今さらですね。でもいいです」


 先輩も余裕がなかったということだろう。そのことが嬉しい。


「先輩の制服も埃まみれでひどいもんですよ」

「まったくだ」


 と先輩は苦笑して続ける。


「とりあえず最寄りのスパにでも行こうか。洗濯できるところもあるだろう。その後は店で食事だ」

「店?」

「資生堂パーラーで祝勝会だ。もちろん、私のおごりだ。なにせ……今日は君の誕生日だしね」


 やっぱり先輩は最高に素敵だ。好き。愛してる。万感の思いを込めてあたしは元気よく返事する。


「はい!」




 エレベーターが繋がっていたのは、銀座駅中央改札横の「男子」トイレの個室だった。トイレはひっきりなしに人が出入りし、正直、脱出難易度は地下ダンジョン以上。魔女がいつもナニに使っていたのかは深く考えないことにする。



 さしもの先輩も顔を赤らめていた。

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ラストダンジョンは私に ぶっくばぐ @1804285

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