第四話 僕は、貴女を守りたい

「ヴィンセントの馬鹿!」


ヴィンセント隊長を探して茂みをかき分けると、突然、女の子の叫ぶ声がした。慌てて見やれば、声の主が走り去っていく背を、ヴィンセント隊長が苦虫を噛み潰したような表情で見つめていた。

「ルーカス、頼む、殿下の後を追って様子を見て来てくれ」

「はっ」

考える前に、身体が動いた。騎士として、徹底的に教え込まれた習性だ。

今、駆けて行ったのは、フィオリーナ王女殿下だったのか?

今、王女は独りなんだ……。


僕が子供の頃から当たり前のように続いてきた戦争が、ようやく止もうとしている。 隣国との停戦交渉のため、公爵閣下が王陛下の代理として、ラクロス国軍を伴って国境 へ向かわれることになった。その軍を率いるのは、レジーナ将軍だ。


王女殿下たっての希望で、身分を隠して公爵閣下に同行されている。

僕はまだ騎士隊に入りたての新米だけど、今回王女殿下の護衛に選ばれた。

僕たちに課せられた任務は、王女殿下をお護りすること。

でも、僕には、もう一つ、別の命令が下されていた。


『王女殿下を誘拐せよ』と。


その命令を下したのは、僕の父、ヴィッツイオ侯爵。

父が、武器を扱う商売で、巨額の利益を上げていることは知っている。

だから、父は、我が国が隣国と停戦するのを阻止したいのだ。

戦争が長引けば、それは侯爵家の利益になるから。


停戦交渉には、王女殿下が隣国の皇太子と婚約するという条件が含まれていた。

王女殿下を誘拐し、その身を隣国から隠すことで、隣国へ悪印象を与え、停戦を延期させるつもりか。

誘拐した後、王女殿下をどうするのか……それは、あまり考えたくないな。


僕の母は父の愛人で、ずいぶん前に、病を拗らせて亡くなってしまった。

父は、残された僕を侯爵家に引き取ってくれた。

だが、侯爵家を継ぐのは、正妻である義理の母が産んだ弟だ。

もちろん、僕にはなんの不満もなく、近衛騎士になるまで世話をしてくれた父に、感謝すらしていた。


だけど、ようやく近衛騎士となってみて、父の本当の狙いを知った。  

僕を引き取ってくれたのは、愛情とか、そんな感傷めいた理由ではなくて、いずれ何らかの使い道があるだろうと考えたから。

僕に近衛騎士になるよう勧めてくれたのも、王族の身辺の様子を探らせるため。

そして、今回のように、自分の思惑を成し遂げるため、手足となって動く駒が必要だったため。



——



後を追って少し走ったところで、王女殿下を見つけた。

華奢な背中を丸めて泣きじゃくる姿が痛々しくて、僕は、少し離れた場所に立つ。

辺りは、鬱蒼とした茂みに囲まれ、僕と殿下の二人きり。 

すぐ近くには、父が手配した輩が機会を伺っているはず。

今すぐに合図をすれば、父の思惑通りに、王女殿下を攫うことは簡単だ。


僕はもう一度、辺りを見回した。

早くしないと、護衛騎士のゼフィーやゾラたちが駆けつけて来るかもしれない。

そう考えた途端、僕の脳裏に浮かんだのは、黄金の髪の女騎士の姿。

……ゾラ。

僕がここでこんな企みに加担していると知ったら、君は僕を軽蔑するかな……。


ゾラ。

王女殿下付きの女性騎士。

最初は、綺麗な金髪を短く切っているのが、女性にしては珍しいなって思った。

いつもは大人しいのに、剣を持てば別人のように研ぎ澄まされる、そんな様子も面白かった。


でも僕は、彼女に嫌われていると思ってたんだ。

挨拶しても、無視される。

用事があって声をかけても、目も合わせてもらえない。

自分の容姿に自惚れるつもりはないけど、女性にここまで無視されたのは、正直初めてで。

侯爵家の甘やかされた坊やだと思ってるのかと、勝手に邪推して、腹を立てた。

実際、同僚の騎士からも似たようなことを言われたこともあったから。  

じゃあ、その時と同じように、彼女にも僕という人間をわからせてやるべきだろう。


全くのところ、理由もなく彼女に絡んでいったのは、僕の方だった。

無理やり剣の手合わせを申し込んだら、彼女は驚いたようだったけど、

「うん、いいよ」って、簡単に応じてくれた。


そして、手合わせが終わって見れば、こてんぱんに打ちのめされたのは、僕の方だった。

僕の使う火魔法は、彼女が起こす風の威力に、あっという間に吹き消され、

風に乗った彼女の素早い身のこなしについてゆけず、

僕は、ただ力任せに剣を振り続けて……力尽きた。

年齢もそれほど離れていない、僕より小柄な、しかも女性相手に、惨敗だった。


少し落ち込んで、地面に転がったままの僕に

「ありがとう、楽しかった」

そう言って、手を差し出してくれた、ゾラ。

初めて見た彼女の笑顔に、僕は悔しさも忘れて、暫く呆けていたかもしれない。

すごく、可愛かったんだ。

負けた相手に、可愛いって……自分でもどうかしてるよな。

でも、その日から僕は、頻繁に剣の手合わせを頼むようになった。


剣を合わせるたびに、彼女のことを少しずつ知るようになった。

ものすごく、人見知りで、恥ずかしがり屋なこと。

でも剣のことになると、ものすごく話せること。

レジーナ将軍を尊敬していること。

それと、母親が小さい頃に亡くなって、伯爵家の養女になったこと。

実の父親とは、離れて暮らしていて、なかなか会えないこと。

剣の手合わせの後とかに、ぽつりぽつりと話す程度だったけど、

似たような境遇のせいか、僕は、彼女を身近に感じ始めていた。


あの日も、僕たちは二人で新しい技を工夫していたんだ。

僕たちの魔力は、案外と相性が良いようなので、色々と新しい技を試すことにしたんだ。


あの時、考えていた技は、攻撃技の組み合わせコンビネーション

まず、僕が標的めがけて炎の玉ファイヤーボールを打ち出し、続けざまにゾラが風をぶつけて炎を煽る。

同時に、僕は標的めがけて駆け、彼女は空中高く飛び上がり、炎の玉ファイヤーボールを追って、空中から標的めがけて飛び込んでゆく。

高熱化した炎の玉ファイヤーボールが、標的に命中して爆発すると、間髪いれずに、僕とゾラが標的を攻撃するという連続技だった。


その日も、なかなかタイミングが合わず、僕たちは試行錯誤を繰り返していた。 「ルーカス、今度は、空中から魔力を炎にぶつけてみようよ。その方が魔力の勢いが増すと思うし、私が敵に突っ込んでゆくスピードも上がると思うから」

「うーん、でも、爆発に巻き込まれないように気をつけろよ」

「うん、わかった!」

勢い良い返事と共に、ゾラが空中へ飛び上がった。

僕がすかさず炎の玉ファイヤーボールを打ち出すと、ゾラが空中で風を起こして炎にぶつけた。


「あっ!」


背筋が冷っとした。ゾラの落下する速度が速すぎる!

次の瞬間、炎の玉ファイヤーボールが、接近しすぎたゾラの目の前で爆発した。ゾラは、咄嗟に、逆風を起こして炎の玉ファイヤーボールから離れようとしたけど、力加減が上手くいかない。

コントロールを失った彼女の身体が、真っ直ぐ僕の方へ飛んできて、僕は、夢中で、彼女の身体を受け止めた。僕は彼女をしっかり抱き抱えたまま、石ころのように地面を転がった。


太い木の幹にぶつかって、僕たちはようやく止まることができた。

硬い木に思い切り頭をぶつけて、目の前に星が飛んだ。

僕は、ぼうっとする頭を振りながら、ゾラに声をかけた。

「うわっ……すごかったな……大丈夫?」

何気なく、自分の腕の中にいるゾラを見て、ドキッとした。

すぐ目の前にゾラの顔があって、彼女の薄桃色の唇が、すぐ触れられそうな近さにあったんだ。


「……ルーカス?……大丈夫?……」

僕の全ては、彼女の唇に釘付けになって、彼女の声も朧げだ。

「ルーカス!」

ゾラの声に正気に戻ってみれば、ガッチリと彼女を抱きしめていた事に気がついた。

「あっ、ごめん!」

慌てて手を離せば、ゾラも慌てた様子で離れていった。

顔が赤い?

っていうか、僕自身の顔がものすごく熱かった。


その後はずっと、ふわふわと雲の上を歩いているような気分で、

同僚から、何を言われても、上の空。

胸の奥がくすぐったい……なんだろう、この気持ち?


でも、その晩、一通の手紙が届いて、僕の浮かれた気分は粉々に打ち砕かれた。

それは、父からの命令を伝えてきた手紙。

読み終えた僕は、乱暴に手紙を破り捨てて、唇を噛み締めた。


そうだった……僕とゾラは、全く違う世界に住んでいたんだ。


父の配下の者と顔を合わせ、日を追うごとに企みが具体的になって行った。

出発準備で互いに忙しくなった頃から、僕とゾラは、顔を合わせる時間を作るのも難しくなって言ったけど、でも、それが返って良かったかもしれない。

こんな罪悪感に塗れた思いを抱えて、ゾラと顔を合わすのは嫌だったから。


国境へ向かう途中、僕は父の命令通り、それとなく王女殿下の様子を探り続けた。

だけど、王女殿下に視線をやるたびに、嫌でも側にいるゾラを見る羽目になる。

父のためだ、侯爵家のためだ、庶子である自分の役割だからと、いろいろ言い訳を繰り 返して、自分を正当化しようとしたけど……やっぱり駄目だった。

この悪事に加担してしまったら、もう二度とゾラの側にはいられない、そう思った。

遠くに見えるゾラが眩しくて、鍔広の帽子キャバリア・ハットを目深に被り直して、そっと顔を隠した。


今回の行軍で、僕の心を揺さぶったものがもう一つ。

それは、レジーナ将軍が率いる軍隊の存在だった。

今回の停戦交渉のために、レジーナ将軍は、コジモ副官が指揮する実動部隊の一部を率いている。ザキアス隊長が指揮する国境警備隊の一部もすでに合流しており、国境の砦に残してきた兵と合わされば、実戦でも対応できる編成になるらしい。


レジーナ将軍、ゾラが憧れる女性ひとだ。

紅い髪を高く結い上げて、黒い軍服をきっちりと着こなしたその姿。

少し小柄とも思える女性なのに、その存在感は圧倒的だ。


でも、その背後に居並ぶ軍人たちの姿には、正直驚いた。

コジモ副官は、髭も剃らず、前髪は下ろしたままで顔がよく見えないし、

他の兵たちも似たような有様で、なんというか……山賊集団?

国境警備隊の方も、似たり寄ったりで。

軍には規律ってものがないのか?


見かけはどうであれ、彼らは、僕がまだ子供の頃から戦場に立っていたんだ。

そして、その兵のほとんどは平民出身なわけで、魔力を持たない。

ただ剣だけを頼りに、戦ってきたんだ。


この国では、貴族の血を引くものだけが魔力を持つ。

火、水、風、そして土魔法でも、どんな魔力でも戦場では有利なはずなのに、

貴族のほとんどは、危険な戦場に出るなんてこと、考えもしない。


それは、歴とした差別意識の表れ。

平民は、国のために、王族のために、貴族のための駒となる。

平民は、ただ戦場に駆り出され、血を流し、命を散らす。


でも、僕は、そんな風に保身に走る貴族たちよりもタチが悪い。

父に従って、彼らが終わらせようとしている戦争を、長引かせようとしているのだから。

そう思う度に、自分自身に唾を吐いてやりたい気分になった。


ずっと自分に言い訳を繰り返しながら、鬱々と過ごしていた、そんなある日

僕は、自分の弱さを、徹底的に思い知らされる事になったんだ。


その日、僕はいつも通り父の配下の者と落ち合った後、こっそりと野営地に戻ろうとしていた。

すると、野営地からは、まだかなり離れているはずなのに、人の話し声が聞こえきたんだ。

僕は、後ろめたさに、思わず足を止めた。

「……どうして、もっと会いに来てくれないの……」

痴話喧嘩かな?

自分が見つかったわけではないと、ほっとしたら、今度は、誰が話しているのか気になった。

今まで他人の恋話には、全く無頓着だったのに、その時は魔がさしたのかな。

それとも、どこかで聞いたことのあるような声だったから、気になったのか。

僕はあまり深く考えずに、目の前の茂みをかき分けたんだ。


そこには、向かい合う一組の男女の姿。

軍服姿の男性に、女性の方は騎士?

「……結局、また私を捨てて行くんだわ!」

泣きながら立ち去ろうとする女性の腕を、男性が掴んで引き留めている。 腕を掴んでいるのは……ザキアス隊長で、女性の方は……えっ?


ゾラ⁉︎


ええっ? 誰が誰を捨てるって?

ザキアス隊長がゾラを捨てるのか?

っていうか……ゾラを泣かすんじゃない!


僕はその時、泣いているゾラのことしか考えられなかったんだ。

早く救ってやらなきゃ……その思いに突き動かされて、自分の立場も忘れてゾラの元へ駆け出した。


突然目の前に現れた僕を見て、二人が驚いたように動きを止めた。

僕はザキアス隊長の腕を乱暴に振り払うと、ゾラを引き寄せて自分の背に庇った。

「僕のゾラに触るんじゃない!」

そう叫んで、渾身の力を込めた拳を隊長の顔に叩き込んだ。


「きゃああ! 父さま!」

そう叫んだゾラが、僕の背から飛び出して、地面に転がるザキアス隊長へ駆け寄った。


ん? 父さま?……えっ……ええっ‼︎


ザキアス隊長に、引きずられて野営地に戻った僕は、なんと、レジーナ将軍の天幕に放り込まれた。

「え、何?」

執務中だったらしく、書類に目を通していたレジーナ将軍が顔を上げた。  

でも、僕の顔を見るなり、なぜか突然に急用を思い出したと、天幕から飛び出て行ってしまった。

コジモ副官が慌ててその後を追う。


天幕の中に残されたのは、僕とゾラと、怒り心頭に発した様子のザキアス隊長。

「名前は?」

「はっ、ルーカス・ヴィッツイオです」

「ヴィッツイオ? ヴィッツイオ侯爵家の?」

「……はい」

父の名前を聞いたザキアス隊長が、目を細める。

名乗ったからと言って、心象が良くなったとは……とても思えない。


「さて、いったいどういう事か、説明してもらおうか」

説明って言われても……僕は言葉に詰まる。

「それは……しつこく言い寄る中年男性から、彼女を守ろうと思って」

決して嘘ではない。

でも残念ながら、この言い訳はザキアス隊長の怒りを煽っただけのようだ。

「つまらない誤解をしました。申し訳ございませんでした!」

僕は、ザキアス隊長に向かって、深々と頭を下げた。

本当に、申し訳ないと思ってるのだ。九十度きっちり腰を折る。


僕がまた下手な言い訳を口にする前に、コジモ副官が戻ってきてくれた。

そして、副官に続いて天幕に入ってきたのは……ヴィンセント隊長!

「っ……隊長!」

ゾラの狼狽えるような呟きが聞こえた。

「ルーカス、ゾラ、お前たちは、いったい何を仕出かした?」

ああ……最悪だ。


頬を腫らしたザキアス隊長、真っ赤な顔で俯くゾラ、そして頭を下げている僕。

「理由は知らないが、年配者の顔面を殴りつけるってのは、どうなんだろうな」

コジモ副官が、何やら合点したらしく、ニヤニヤ笑いながらそう言えば、

ヴィンセント隊長がギョッとした様子で、コジモ副官を振り返った。

そして、ザキアス隊長の腫れた頬を見て、そして、僕を見る……うわっ。

「大変申し訳ありませんでした!」

僕は慌てて、また、頭を下げる。

「誤解って……くっ……おおかた、男前のザキアス隊長が、若い女性騎士を口説いていると思ったってとこかな」

コジモ副官が、ついに耐えきれないように、爆笑した。

副官、お願いですから、笑顔で状況を悪化させないでください!


案の定、ザキアス隊長の顔つきが、みるみると険しくなってゆく。

「それで、君はゾラの何なんだ‼︎」

その叫ぶような問いに、僕はたじろぐ。

「いえ、その……」

コジモ副官がまた爆笑する。

ヴィンセント隊長は大きくため息をつくと、

「ルーカス、騎士隊では真剣であれば、別に誰と恋愛しようが自由だが、君は……その……ゾラとそのような関係になっていたのか?」

うわあああ……こうやって真面目に聞かれると、無性に恥ずかしい。

ゾラが、僕の横であわあわしている。


僕らのそんな様子に、ザキアス隊長はますます怒りを募らせてゆく。

「『僕のゾラ』って叫んでたな? 娘と交際してるのか? したいのか? どうなんだ‼︎」

「いや、まさか、そんな……」

「父さま……私は、もういいから」

しどろもどろになった僕を庇うゾラの声は、今にも消え入りそうだ。


僕の隣で、真っ赤になっているゾラを見て、自分がつくづく情けなかった。

ごめん、ゾラ、君に何も言ってあげられなくて。

君が泣いているのが嫌だったんだ。

君を守りたかったんだ……そう言ってあげたい。

でも、僕は、君にそんなことを言えるような人間じゃないんだ。


「そんな……僕がゾラを好きになるなんて……無理なんだ」


知らず知らずのうちに、胸の内が声になって漏れ出していた。


「ルーカス、貴様!」

僕の言葉をどう捉えたのか、ついに怒りを爆発させたザキアス隊長が、僕の胸元を掴み上げ、拳を振り上げた。

殴られる! 僕は、咄嗟に目を瞑り、歯を食いしばった。

でも、いつまで待っても、その拳は振り下ろされず、

恐る恐る目を開けてみれば、僕のすぐ目の前で、ザキアス隊長の拳が震えていた。


「私は、ゾラに、誰よりも幸せになってもらいたい……」

僕の胸元を掴んだまま、ザキアス隊長が、振り絞るように声を出した。

「私は、妻を守れなかった……彼女を死なせてしまい、ゾラから母親を奪ってしまった。 こんな私が、ゾラの側にいていいのか? 守ってやることができるのか……自信を無くして私は、結局、ゾラから逃げ出した……」

「父さま?」

ゾラの声が掠れている。


「私は、自分を責め続けて、自分のことしか考えられなくなってたんだ。ゾラのために なると思ってしたことは、結局、ゾラに寂しい思いをさせただけで……そんなことに今更気づくなんてな……」

ゾラは、言葉も出せないようで、両手で口元を覆ってしまった。


「でも、私は娘のためなら何だってできる。ただ、幸せになってほしいんだ……いつか、 私以上にゾラのことを想ってくれる相手と巡り合って、悩みも不安も分かち合える、嘘偽 りのない人生を送ってほしい……」

ザキアス隊長の拳がまだ震えている。


「貴様のような中途半端な奴に、ゾラはやらん‼︎」


ザキアス隊長はそう叫ぶなり、思い切り僕の身体を突き放した。

僕は、地面に転がったまま、動けなかった。

ゾラを想う隊長の想いが、僕のゾラへの想いに重なった。

それは、ゾラを愛して、守りたいって想い。

でも、今の僕には、そんな事は言えやしない……無理なんだ。


僕は、ゾラの顔をまともに見る事もできず、ヴィンセント隊長に促されて天幕を出た。

「ちょっとザキアスの声が聞こえてしまったから……」

天幕の入り口の側で、レジーナ将軍に声をかけられた。

将軍は、僕たちに向き合うでもなく、まるで世間話をするかのように、軽い調子で話し出した。

「私たちは、剣を持って大切な人たちを守っている。でも、その大切な人たちに、自分の想いをちゃんと伝えられているのかな?」

「……」

「大切な人と過ごせる時間は、存外短くてさ。それに、ほら、私たちは、いつ死んでい なくなってしまうかもしれないし……一分一秒が大切な時間なのに、そのことに気づかず に、忙しさにかまけてすれ違ったり、喧嘩したり……無駄に過ごしてしまった時間を思うと、悔やんでも悔やみきれないんだ」

この女性ひとにも辛い過去があったんだろうか?

何気なく話すレジーナ将軍の言葉は、まるで僕の後ろめたさを見透かしているようで、僕の心に真っ直ぐに突き刺さった。



——


 

突然、茂みを踏み荒らす音が聞こえた。

はっとして顔をあげると、王女殿下の背後から、数人の男たちが飛び出してくるのが見えた。

男の一人が王女殿下に覆い被さって口を塞ぐ。

「間違いない、確かに王女だ。早く連れて……」

囁き合う声に、父の配下の者たちだとわかって、僕は混乱パニックに陥った。

まだ、何の合図も送っていないのに、どうしてこの場所がわかったんだ?

僕は、目の前で王女殿下が攫われようとしているのを、ただ呆然と見ていた。


「ルーカス! 何をしてるの‼︎」


突然、ゾラの声がした。

ビクッとして顔を上げると、ゾラがすぐ側に立っていた。

信じられない、と言うような表情をして。

茂みの向こうでは、今まさに、王女殿下が攫われようとしている。

僕がここで何をしているのかなんて、言い訳のしようもない状況だった。


ゾラが空に向かって、指笛を吹いた。

その音は、彼女が招いた風に乗って、すぐに護衛騎士たちのもとに届くだろう。

彼女はすかさず茂みを飛び越えて、王女殿下の元へ駆けて行く。

すぐに、反対側の茂みから、ゼフィーが飛び出してきた。

ゾラの相棒の女騎士だ。指笛の合図に駆けつけたのだろう。


次の瞬間、茂みからヴィンセント隊長が飛び出してきた。

王女殿下を襲っている男を乱暴に掴みあげ、その背に剣を突き刺す。

男は声を上げることもなく、その身体はずるずるっと地面に沈んでいった。

隊長は、王女殿下を外套マントで覆うように庇うと、すぐさまその場を立ち去った。

僕の目の前で、ゾラやゼフィー、他の護衛騎士たちが、一味の男たちを縛り上げてゆく。


ああ、王女殿下は無事だ……

僕は、安堵のあまりその場にへたり込み、夢中で息を吸った。

僕はもう少しで、王女殿下を見殺しにしようとしたのだ。

自分のしでかした事の重大さに、ひりつくような思いだった。


その後、野営地に戻った僕は、ヴィンセント隊長から凄まじい剣幕で叱責され、拳を喰らった。

王女殿下から目を離し、危険な目に合わせたということで、処罰は必至だろう。

口の中が切れてしまったのか、吐いた唾に血が混じっていた。


痛む頬を抑えて、独りになれる場所を探した。

手頃な岩の上に座り込み、まだ混乱したままの頭で考える。

なぜ僕が合図する前に、彼らが王女殿下の居場所を見つけられたのか?

考えられるのは、僕の他にも、王女殿下を見張っていたものがいたってことだ。

つまり、父は、最初から僕を信用していたわけではなかった?

悪事に加担しているつもりで悩んでいたのに、加担すらさせて貰えてなかったんだな。

……はっ、とんだお笑い草だ。


でも、だからと言って、僕の罪が軽くなるわけじゃない。

僕は、あの現場を見て見ぬふりをしようとしたんだ。

助けに行くどころか、声を上げることもできず、

あまつさえ、そんな狼狽えた様子をゾラに見られた。

……最低だ。


どれだけ時間が経ったのか……気づいたら側にゾラがいた。

僕は、彼女と目を合わせられなくて、顔を隠すように俯いた。

でも、ゾラはそんな僕に構わず、すぐ隣に腰をかけると、

そっと手を伸ばして、冷やした布を僕の腫れた頬にあててくれた。

「っ……!」

その冷たさが、頬の痛みへ沁みて、

僕の後悔に沁みた。


僕は、正義も悪事もどちらも選べない、中途半端な男で、

いつも父の言いなりで、こんなにも弱くて。

きっと、軽蔑してるよな。

 

だから、こんな僕が君に想いを伝えるなんて……できっこない。


でも、ゾラは僕に何も尋ねない。

ただ黙って側にいてくれるだけ。

僕はすがるように、頬に充てられたゾラの手を握りしめた。

彼女の華奢な手を、自分の頬に強く押し当てて、更に深く俯いた。

流れ出て止まらない涙を、彼女に見られたくなかったから。




THE END


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将軍レジーナ 〜金蘭の契り〜 ムーンストーン @HirokoN100

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