第三話 あなたを好きになって、良かった

まだ幼い頃、絵本の中に出てくる騎士さまに憧れた。

お話の中で騎士さまは、白馬に乗って、王女さまを救いに来るのだ。


父上のお誕生日を祝って開かれた舞踏会。

まだ幼かった私は、母上のドレスの裾につかまって、ホールを眺めていた。

美しく着飾った人々がくるくると踊り、色とりどりのドレスが閃く。

そんな美しい音と色に溢れた世界で、私は、私の騎士様ナイトを見つけた。

金色の髪にブルーの瞳、美しい男性ひとだった。


私はその日から、その男性ひとのことばかり話してた。

すると、ある日、その男性ひとは、本当に私の騎士ナイトとなって、私の前に現れたのだ。

そう、それが、ヴィンセント。


私は、彼が側にいてくれて嬉しくて、甘えたくて、たくさん無理を言った。

彼に構ってもらいたくて、乗馬を習い、

剣も教えて欲しいとせがんだけど、流石にそれはと止められた。

でも、泣き出しそうな私を見て、仕方がないとこっそり護身術を教えてくれた。

毎日、私の側に彼がいた。

だから、私の幼い頃の思い出は、とても温かい。


そして、私は十七歳になった。


今、私は護衛の女騎士たちに囲まれ、国境へ向けて旅をしている。

王女は、馬車の中に大人しく座っているべきなんだろうけど、我儘を言った。

馬に乗るのは好きだし、遠乗りも平気。

それに、王宮の外に出るのは、生まれて初めてなの!

旅の途中で見る景色、民が暮らす様子、何もかもが初めて!

でも……多分、これで最後。


私の国、ラクロス王国は、私が生まれた時には既に、隣国との戦に明け暮れていた。ここ数年で、ようやく停戦が望めるようになったけど、その事を素直に喜べたのは、ほんの束の間のこと。隣国と停戦するには、条件があったから。

それは、私が隣国の皇太子と婚姻すること。


父上からその話を告げられて、目の前が真っ暗になった。

全身の血がすうっと下がって、そのまま底なし沼へと沈んでしまいそうだった。

敵国へ嫁げと、敵国の見知らぬ男性ひとと結婚しろと?

そう叫びたい気持ちを押し込めて、私は父上へ向き直った。


「はい、父上、承りました。

私は王女ですから、国ために政略結婚をすることも理解しております。

私が結婚すれば、民は、もう傷つかなくてもすむのですよね。

家族を亡くして嘆くことも、もうなくなるのですよね。

王女として、民を幸せにできるのです。

これ以上の喜びはありません。」


でも、心の声はまだ叫び続けていた。


では、私の気持ちは、どうすればいいのですか!


——


「フィオリーナさま、お疲れでは?一日中馬の背では、お尻が痛いでしょう?」

隣で歩む馬上から、栗色の髪が美しい女騎士、ゼフィーが私を気遣ってくれる。

「大丈夫、馬車の中で大人しく座っているより、ずっと楽しい」

そう答えれば、くすっと笑い声がした。

振り向くと、金髪を短く切り揃えた女騎士、ゾラが笑っていた。

私は二人が大好き。いつも、私の側にいて私を護ってくれる。

でも、幼い頃、こうやって私の隣にいてくれたのは、ヴィンセントだった。


「殿下」

振り向くと、たった今、頭に浮かべていた男性ひとが、馬を寄せて来た。

「ヴィンセント!」

心が、少し踊った。

「今夜は、街を抜けた所で野営します。テントを設営致しますので、そこでお休みいただく事になります」

「ええ、大丈夫よ。それなら夕食は、火を焚いて、屋外でいただくの?」

私が、少しわくわくして尋ねると、

「殿下は、公爵閣下と一緒に、テントの中でお食事ですよ」

ヴィンセントが優しく口の端を上げた……そんな顔も素敵。

私が惚けている間に、彼は馬の首を廻らせて、後方へと駆け出して行った。


彼の鍔広の帽子キャバリア・ハットが、馬の動きに合わせて揺れている。

深い藍色の生地に銀色の縁取り、大きな真っ白い羽が飾られた帽子。今回の旅では護衛 騎士たち全員が被っていて、私の両脇にいるゼフィーもゾラも、もちろん、私も被っている。

普通の帽子よりも鍔の部分が大きくて、見た目にも華やか。日除けにもなるし、同系色の騎士の外套マントともよく合っている。

この帽子は、今回の旅のために、ヴィンセントが特別にデザインしたのだと聞いた。剣の腕を磨くことにしか興味がないと思っていたのに、こんなデザインもできる男性ひとだったなんて、今更だけど、ドキドキしてしまう。


また、こっそりと振り返って、ヴィンセントの姿を盗み見る。

彼は、レジーナ将軍の隣に馬を並べて、なぜか、しきりに帽子を目深に被り直している。

あれでは、顔が見えなくなってしまうのではないのかしら?

彼の仕草を、少し不思議に思う。


将軍との親しげな雰囲気が気になって、また、こっそりと振り返る。

レジーナ将軍が楽しそうに話しかけ、ヴィンセントの肩が大きく揺れている。

影になってよく見えないけれど、きっとあの帽子の下は、満面の笑顔。

彼が私の前で、あんな風にくつろいで笑うことはない。

レジーナ将軍が、羨ましい。


こんな風に胸が痛いのは、あの夜と同じだ。

隣国の皇太子との婚約を、父上から告げられた夜、レジーナ将軍が、私の宮殿を訪れた。

「フィオリーナ様、陛下からお許しを頂けましたよ」

「ほんとうに? ああ、良かった!」

その日、私は父上へ、少し我儘を言ったのだ。

せめて、婚姻の前に、この目で自分の国と民の姿を見ておきたい。

そして、自分の夫となる男性ひとに会って、心の準備をさせてほしいと。


隣国との条約締結は、両国の国境にある砦で行われ、隣国からは、王の代理として、皇太子その人が訪れると聞いた。私は自ら国境へ出向き、皇太子の人となりを知りたいと、父上に願い出たのだ。

こちらからは、父上の代理として公爵である叔父上が赴き、レジーナ将軍の軍勢が同行する。その軍勢に、私も同行できることになったのだ。

父上は、相当渋っておられたけれど、王女の身分を隠して行くという事で、許して下さったらしい。きっと、私の覚悟も察して下さったのだろう。


「それにしても、どうやって父上を説得したの?」

私がそう尋ねれば、将軍はとても優しい顔を向けてくれた。

「殿下は今、ものすごく不安で、恐ろしい思いをしていらっしゃると、申し上げたのですよ。その若さで、敵国の見知らぬ男性と結婚するのですよ、怖くないはずがないと」

「父上はなんて?」

「陛下は、『理解している、できるだけの不安は取り除いてやりたいが、どうすれば良いのか』と」

「父上がそんな風に……それで?」

「はい、そもそも、相手の事を全く知らないから、想像だけであれこれ考えてしまって、 不安になったり、恐ろしくなったりするのです。ですから、殿下が直に、お相手と知り合ってしまえば良い、そう申し上げました」

「えっ?」

「お相手の事を少しでも知れば、そのお相手とこれからどうしていけば良いのかと、先の事が考えられるようになりますから、恐ろしさも幾分軽くなるのではと、そう申し上げたのです」


ああ、この女性ひとは、いつだって真っ直ぐに前を向いている。


「ほんとうに、その通りね……でも、将軍がそのように考えていたなんて……その、てっきり、将軍は不安や恐怖など感じたことがないとばかり思ってた」

「私など、いつだって不安だらけですよ。ですから、私の兵たちは、私の不安を軽くするために、できるだけ多くの敵の情報を集めようと、朝から晩まで走り回ることになるのですよ」


レジーナ将軍は、私を励ますために、こうやって自分の弱い部分でも包み隠さず見せてくれる。

私も、貴女のように、真っ直ぐで、強い心を持ちたい。

そう、口にしようとした時、


「陛下が、ヴィンセント隊長も同行するようにと、命じられましたよ」


その言葉に、思わず頬が熱くなった。

私は心の底で、父上が、ヴィンセントに、そう命じて下さらないかと、少し期待していたのだ。


身勝手な願いが叶ってしまった、そんな後ろめたさを、なんとか取り繕う。

「将軍は、ヴィンセントが一緒でも大丈夫? その、彼とは犬猿の仲だと聞いてるから」

私の言葉に、将軍は、我慢できないとばかりに吹き出した。

「大丈夫ですよ、私とヴィンセントは昔からの付き合いですから」

そう言って、将軍は、ヴィンセントが若かった頃の話をしてくれた。


ガスト大将軍の元で一緒に訓練に明け暮れた日々。

彼の戦功、そしてその数以上に、しでかした失敗の数々。

彼には夢があった事。

でも、散々語っていたその夢を叶える事なく、

ある日突然、近衛騎士隊へ移動になった事。


その話を聞いて、私は呆然とした。

私のせいだ……と。


あんな美しい男性ひとが、私の騎士ナイトになってくれたらいいなと、無邪気にそう言った。

そうしたら、ある日、本当に、彼が私の騎士ナイトとなって、目の前に現れた。

だから私は、おとぎ話のようなハッピーエンドを夢見てしまった。


王族は、どんな些細な我儘も許されない。その我儘が、他人の人生を変えてしまうこともあるのだから。常に、国のため、民のため。

そう、散々言い聞かされていた筈なのに、私は自分に身勝手になることを、許してしまったのだ。


「私は、殿下が民の姿をご自分の目で見ておきたいと仰った事が、とても嬉しいのです。いつの間にか、こんなに立派に成長されておられたのですね」

話の最後に優しい言葉を残して、レジーナ将軍は退出していった。


将軍が去った後も、私は混乱したままだった。

嗚呼、なんてこと……彼の夢を潰えさせてしまったのは、私?

夢への道を閉ざされて、辛かった? 私を恨んだ?


すると、私の心の奥から声がした。


でも、フィオリーナ、

貴女は、ヴィンセントが貴女の騎士ナイトになってくれて、嬉しかったのでしょう?

側にいてくれて、幸せだったのでしょう?


その声へ、私は答える。


ええ、そうよ!

彼が辛くても、傷ついても、私は彼が側にいてくれて嬉しかったわ。

だって、彼のことが好きなの! 好きで、好きで、どうしようもないのよ!


でも、わかっている。

ヴィンセントが好きになるのは、私みたいな子供ではなくて、

もっと美しい大人の女性ひと……そう、レジーナ将軍のような。


私の脳裏に、紅い髪の美しい女性ひとの姿が蘇る。

強くて、美しくて、誰からも好かれて、そして、私の知らないヴィンセントを知っている女性ひと


私は顔を覆って、その場に泣き崩れた。

生まれて初めて、こんなに激しく醜い感情を抱いた。

この感情を、嫉妬と呼ぶという事さえ知らなかったのに。


嗚呼っ!


泣き叫んだ瞬間、その嫉妬心に私の中の魔力が共鳴した。

魔力が、冷たく青白い炎となって、私の身体の中から一気に燃え上がった。

徐々に、青白い炎が黒いゆらめきへ、そして黒い影へと変わってゆく。

その黒い影は、出口を求めるように漂い、やがて、流れるように窓から中庭へと抜けて行った。

その間、私は、ただ感情に任せて泣き続けていた。


中庭から、護衛騎士が必死に何かを叫ぶ声が聞こえた。

きゃああ!

部屋の扉を開けた侍女が叫んでいる。


私の体内から、黒い影がすっかり出尽くした。

私の目の前に暗闇が降りてきて……

それっきり、何もわからなくなった。


目覚めれば、私はベッドに寝かされていた。

何があったのかと聞けば、宮殿の外に魔獣が現れて、将軍を襲ったという。

しかも、その場に居合わせた、ヴィンセントまで怪我を負ったという。


嗚呼、そんな悪きものを呼び寄せてしまうなんて……私の心は、なんて醜い。


——


俯いたまま、馬の歩みを進めていると、遠くから歓声が聞こえてきた。

気づけば、私たちは、街の入り口に差し掛かったところだった。

多勢の人々が、有名な将軍の行列を見ようと、沿道に集まっていた。

「将軍! レジーナ将軍!」

沿道の声に応えて、将軍が手を振り返せば、更に歓声が大きくなる。


行進する軍兵へも、惜しみない声援や拍手が送られる。

私たちの国を守ってくれてありがとう!

命をかけて、私たちを守ってくれて、ありがとう!

そんな想いのこもった声に、兵たちが面映そうに応えている。

退役した元兵士だろうか、老人たちが胸に拳を当てて、兵たちへ敬意を示す姿も見える。


どこかで、誰かが、国歌を歌い始めた。

その声に周囲の声が重なって、やがて一つの声となって私たちの胸に届く。

軍人も騎士も、拳を胸にあて、共に歌いながら行進してゆく。


私が隣国に嫁げば、戦は止んで、私はこの人々を守ることができる。

私は、この人々の笑顔を取り戻すことができる。

そっと胸に手を当て、この国の王女であることに、心から感謝した。


不意に、沿道でどよめきが起こった。

人々の熱気に充てられたのか、女性が体調を崩して倒れたらしい。見れば、お腹が大きく膨らんでいて、臨月が近そうだ。

彼女の顔からは、すっかり血の気が引いていて、夫らしい男性が彼女を抱え、必死にその名前を呼んでいる。


私は、馬から飛び降りると、倒れ込んでいる女性の側に跪いた。

片手で女性の手を握り、もう片手をお腹にそっと添える。

そして、目を瞑って意識を集中して、精霊スピリットを招く。


この女性が意識を取り戻し、お腹の赤ちゃんが元気に産まれてきますように、

どうぞ、そのおパワーをお貸しください……


私の身体が暖かさに包まれて、握っている手がオレンジ色に染まってゆく。

そのエネルギーを女性の身体へと注いでゆくと、次第に女性の顔に血の気が戻ってきた。


はっ、と女性が大きく息を吐いて目を開いた。周囲の人々が歓声を上げる。

添えていた私の手の下で、赤ん坊が女性のお腹を蹴っている。

「さあ、早く! 赤ちゃんが産まれてしまうわ!」

私の声に、周囲の人々が慌ただしく動き出した。


私の魔力は、民を救うもの。

私は、自分の魔力を正しく使えた事が嬉しくて、

小走りに、自分の馬が待つ場所へと戻った。


馬の傍でヴィンセントが待っていた。

表情を強張らせていて、明らかに怒っている。

手を添えてくれる間も、何も言わず、

私が馬の背に落ち着くなり、背を向け、離れて行ってしまった。

あれほど高揚していた気持ちは消えて無くなり、私は惨めな思いでいっぱいになった。


野営地に到着し、テントの設営を待つ間、ずっと私はヴィンセントに叱られていた。

王族の身で、群衆の中へ飛び込んでゆくなど、自覚がなさすぎる。

その魔力を、衆目に晒せば、身元が知られて危険な目にあう。

貴女は、もうすぐ嫁がれる身なのですから、もっと淑女らしく。

「嫁ぐって、何よ……ヴィンセントの馬鹿!」

思わず幼い口調で言い返してしまい、恥ずかしくて、私はその場から逃げ出した。


いくら口調がきつくても、私のことを心配してくれているのがわかるから、小言くらい平気。

でも、彼以外の人に嫁ぐということを、彼自身の口からは聞きたくなかった。


どうして、こんなに好きになってしまったの?

どうして、こんなに好きなのに、側にいてはいけないの?

嗚呼、ヴィンセント……


周りに人がいないところまで、走ってきたはずなのに、少し離れた場所に、若い騎士の姿が見えた。こちらに背を向けて佇んでいる。

もちろん、護衛騎士の誰かが、私を追ってくるだろうと、わかってはいたけれど、その騎士が、ヴィンセントではないと知って、また涙が出た。

私は、独りで泣くこともできないのだと、悲しみに重なって、怒りさえ湧いてきた。

でも、その怒りが、胸の痛みを少し和らげてくれるような気がする。

おかしいわね、さっ きまでは、心臓が止まって死んでしまえばいいのに、って思ってたのに。


ふと、近くの藪が、ざわつくような音を立てた。

剣呑な空気を感じて、慌てて辺りを見回せば、先程まで少し離れた場所にいたはずの、騎士の姿が見えない。

辺りはすっかり宵闇に包まれていた。

かさっ、かさかさっと、近くの藪が揺れた。


怖い……


突然、背後で、乱暴に草木を踏み荒らす音がした。

ふり向く間もなく、荒れて節くれだった掌が、私の口を塞いだ。

その圧倒的な暴力に、息をすることができない。

「間違いない、確かに王女だ。早く連れて……」

耳元に荒い息遣いを感じ、首筋に冷たい金属があてられた。

心臓が凍りついた。


怖い、怖い……


頭の中が、恐怖で埋め尽くされてゆく。


ひっ!

突然、私を押さえ込んでいた男が、くぐもった声を発した。

口を塞いでいた手が離れ、私は激しく喘いだ。

男の身体が、私の背に沿って、ずるずるっと地面へと崩れていき、

何かぬるりとしたものが、背筋を伝う。

それが何かを考えるのも恐ろしくて、

振り向くこともできず、ただ震えていた。


「殿下!」と、背後から私を呼ぶ叫び声がした。

私は、弾かれたように振り向く。

嗚呼、ヴィンセント、ヴィンセント!


——


駆けつけてきた騎士や兵士たちが、辺りの捜索を始めた。

私の身体は震えが止まらないまま、心は空っぽのまま。ただ、ヴィンセントにしがみついていた。

彼は、周囲の視線から私を庇いながら、兵士たちの間を通り抜けてゆく。


——


「……殿下、しっかり……もう大丈夫です、殿下!」

ヴィンセントの声が聞こえ、少しずつ意識が戻ってきた。

そこは、小さな池のほとりで、私たちは二人きり。

野営地の喧騒が、遠くに聞こえる。


気づけば、すぐ目の前にヴィンセントの心配そうな顔があった。

途端に涙が溢れてきて、私は、迷子になった幼い子供のように、しゃくり上げる。

「怖い……何もかもが怖い……この世界はこんなに悪意に満ちているのに、私は独りぼっち!」

「貴女は独りではない。私たちがいる、この国の民たちだって」

ヴィンセントの言葉が、なぜか私を苛立たせる。


「ええ、わかってる、わかってるわよ! 民のために、もうこんな戦争を終わらせなきゃっ て……私が民の幸せを守らなきゃ……それが私のすべき事なんだって……でも、私はどうなるの? どうして私は、敵国の見も知らぬ人を夫と呼ばなきゃいけないの?」

身勝手な思いが、言葉となって溢れ出し、もう止まらない。

ヴィンセントは、困惑したように私を見下ろすと、何も言わず背を向けた。


また、貴方を怒らせた?

違う……貴方に伝えたいことは、こんな想いではないのに……


沈黙が続き、その間ずっと、彼から責められているような気がして、堪らなかった。


やがて、私の耳に、彼が低く囁く声が聞こえ始めた。

彼の柔らかい声が、静かな景色に染み渡るように広がってゆく……これは詠唱?


目の前の景色が、少しずつ変化し始めた。

池のほとりに銀色の芽が生まれた。

その芽はみるみるうちに成長し、葉を伸ばし、辺り一面に広がってゆく。

銀色に輝く葉の合間から、星のような形をした白い花が次々と咲きだす。

ようやく顔を見せた月の光が柔らかく、澄んだ水面へと差し込んできた。

銀色の葉にも月の光が照り返って、今、私たちは煌めきに包まれている。

その光景は、まるで頭上に煌めく星空を、そっくり地上に写し取ったかのよう。


そして、その煌めきの中で、恋しい男性ひとが私を見つめていた。


「さあ、貴女の胸の内を、すべて吐き出してください」

そう言って、ヴィンセントが、私に手を差し伸べてくれた。


ああ、私の胸にある想いは……


「……好き」


「え……」


「貴方が好きなのです! 幼い頃から、ずっと貴方だけを見てきたのです!」


もう、この想いを止めたくない。

涙とともに、胸の奥から、今まで無理矢理に押さえつけてきた想いが溢れ出る。

身体が震えてどうしようもなく、彼の顔を見ることすらできない。


急にこんなことを言われて、どう思っている?

愚かなことを言っていると、呆れている?


「どうか、顔を上げて……」

少し掠れたような声がして、大きな手が、私の頬をそっと包み込んだ。


「殿下……私は、貴女の気持ちに応えることはできない」


ああ、わかっていたのに!

私は俯いたまま、唇を噛み締め、強く目を瞑った。

そうすれば、この世界の全てを、私の中から締め出してしまえると思って。


「ですが、貴女がこれからもずっと幸せでいられるようにと、そう願い続ける事を、どうぞお許し下さい」


ヴィンセントの声が、私のすぐ近くで響く。


「覚えていますか?

まだ幼かった貴女が、その小さな手に花の咲いた枝を取って、

跪くひざまづく私の肩に、そっと触れた……」


私は、頬に添えられた手に、そっと自分の手を重ねて、顔を上げる。

彼のブルーの瞳が、すぐ目の前にあった。


ええ、もちろん覚えてるわ。

その日は、護衛騎士となったヴィンセントに初めて会った日。

戯れに、私だけの騎士ナイトの称号を与えたのだわ。


「私は、あの日からずっと、貴女の騎士ナイトなのですよ」


彼の唇の端が柔らかく上がり、目尻に少し皺が寄る。

ああ、そんな風に貴方が私に微笑むことを、ずっと願っていた。


彼の囁きが続いてゆく。


謙虚であれ、

誠実であれ……


裏切ることなく

欺くことなく……


その囁きが、柔らかく私の耳に響く。

それは、あの日も私に誓ってくれた、騎士ナイト宣誓アコレード


「私は、貴女を守る盾となり、貴女の敵を討つ矛となり、

そして、貴女の騎士ナイトであることを、決して忘れない」


思い切り抱きしめられた。


その力強さに、目眩がした。

ずっと恋焦がれてきた男性ひとの腕の中にいる。

この瞬間に、世界が終わってしまえばいい、そう願った。


「貴女の心、このヴィンセント、確かに受け取りました」


ヴィンセント……ヴィンセント……ありがとう

貴方に恋をして、ずっと幸せだった。


やがて、私の永遠は終わりを告げて、

彼の温かさが、胸の鼓動が、ゆっくりと遠ざかっていった。


今、真摯な眼差しで、私の前に立つその男性ひとは、

私が最も信頼する、ラクロス王国の近衛騎士、ヴィンセント・ウィンウォード。


彼は、私に向かって姿勢を正すと、握った拳を左胸に力強く叩きつけた。

それは、騎士が示す最大の敬意。

相手の気持ちを己の胸に刻んで、死んでも忘れないという証。


そして、彼は騎士の礼をとって、私の前に跪いたひざまづいた


「王女殿下に、幸あれ!」


私は、鼻を少し啜って、目元を拭った。

涙がこぼれないように、顎をあげ、背筋を伸ばす。

私の騎士ナイトが、私のことを誇りに思ってくれるように……堂々と。


私は、フィオリーナ・ド・ラクロス

ラクロス王国の王女




THE END

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